ものぐさのつけ

ものぐさのつけ

何事も便利になった。金を出せば大抵の物は手に入る。便利さを金でかっている訳である。

しかし、ちょっと考えてみると、自分でやるという基本的な事も他人に任せてしまっている。自

分が食べる食物を自分で作るとなると大変な仕事である。これを、個人のレベルで野菜の一

品種でも作ってみると体も使う頭も使うという事で食べることだけでも相当な仕事を要するこ

とが理解できる。基本的な事を他人に任せるという事は相互依存の関係を築くという事で社

会が成立する条件でもあろう。しかし、自分の子供の教育を学校という他人に任せる事ほど

怠惰な事はないという風な言葉を聞いてはっとしたことがあった。学校教育というのも基本的

には効率主義が支配する。為政者から見れば手段に過ぎない。というより学校教育は近代

化が産んだ制度に過ぎない。昔の読み書き算盤は家庭教育か寺子屋教育だった。そんな事

で、ルソーのエミールを読んだ事を思い出した。自分は親の扶養の本にいた身分であったの

で育てる父親側を見上げていたのであった。ルソーの教育論は家庭教育に比重があるよう

だ。エミールはルソーの教育論を物語に仕立てたようなのだが、あのような父親が理想に思

えた。しかし、ルソーとその父親も矛盾を含んだ人でもあったようだ。ともかく、その矛盾を発

展の契機として大きな仕事を為したのであろう。矛盾も目の前の壁も自分のものと認識しな

い限りそれを乗り切れない。