寺子屋

2009/9/12

寺子屋

仏教が日本に伝えられ寺も各所に建てられている。寺もその長い歴史の中で生まれたり消

滅したり、存亡の危機に直面したり人間と同じ様な運命を背負っている。武家は支配層であ

りそれなりの学問教育の体制はあった。商家も幕府の流通経済に深くかかわり塾も栄えた。

農家はそれに及ばないが寺子屋等で教育が行われた。残念ながら寺子屋教育の詳細がよく

分からなかった。寺は昔は一種の学問所、教育機関の機能を果たし、そのような歴史の中

から民間の学習施設も寺子屋と呼ぶようになったと勝手に想像している。学制が整わなかっ

た以前の庶民の教育は寺子屋が受け持っていたわけであるが、実態がよく分からないのが

残念であった。今日の学習塾も教えると教わるという関係はあるが、サービス業の性格もあ

る。寺子屋の場合そこまで割り切ってはいないであろうし、むしろ庶民の教育が重要である

事を自覚した学問のある農家が余暇を削って地域の人々の教育に捧げたのが実態のよう

だ。上毛カルタに「老農 船津伝次平」の札があるのを覚えているが、同名の本が上毛新聞

社から出版されている(柳井久雄著)。末尾の著者欄に同氏は教職を経るとと共に村史や教

育史に関わっていることが分かった。寺子屋の実態と役割が理解できた。船津伝次平の父

の代から寺子屋を開いており、船津伝次平もそのお師匠さんをしたと本を読み直して新たに

知った。八幡沼開鑿の知られざる先覚者川端宇兵衛の父親も寺子屋を開いていた事が知ら

れている。人材を産むにも偉業を達成するにも地に着いた教育が必要であった事を改めて

痛感した。