2009年10月22日 (木)
我が闘争(改題):老人の寝言:ハイルヒットラーはもうご免!
第二次世界大戦はまだまだ記憶から消える事はない。しかし、徐々に遠くなりつつあるのも事実かもしれない。ヒットラーの著書、我が闘争は1925年に出版された。気になっている本であるが、読んだ記憶はない。ドイツでは終戦までに約1000万部が出版されたとの事である。
現在、ドイツでは一般人は我が闘争を読めないとの事らしい。すなわち、出版が禁じられていること、図書館等で公開されていないということらしい。古本も相当数残っていると思われるので、読もうと思えばドイツでも不可能ではないだろう。しかし、意識的、無意識的に退けられていることもあろう。
日本でも、終戦前の本や雑誌を古本で見つけるのは困難になっている。もう、意味もないと処分されたり物置の奥の方に埋もれているのかもしれない。生々しい記憶が薄れてきてようやく歴史として客観的に見るゆとりが出てくるのであろうか。
もう一つの気になる事は父親からも我が闘争云々という話を聞いたような記憶がかすかに残っている事である。戦前に日本でも翻訳され出版されている。日本ではどの程度の影響があったのか。
*************************
我が闘争
第二次世界大戦はまだまだ記憶から消える事はない。しかし、徐々に遠くなりつつあるのも
事実かもしれない。ヒットラーの著書、我が闘争は1925年に出版された。気になっている本
であるが、読んだ記憶はない。ドイツでは終戦までに約1000万部が出版されたとの事であ
る。現在、ドイツでは一般人は我が闘争を読めないとの事らしい。すなわち、出版が禁じられ
ていること、図書館等で公開されていないということらしい。古本も相当数残っていると思わ
れるので、読もうと思えばドイツでも不可能ではないだろう。しかし、意識的、無意識的に退け
られていることもあろう。日本でも、終戦前の本や雑誌を古本で見つけるのは困難になって
いる。もう、意味もないと処分されたり物置の奥の方に埋もれているのかもしれない。生々し
い記憶が薄れてきてようやく歴史として客観的に見るゆとりが出てくるのであろうか。もう一つ
の気になる事は父親からも我が闘争云々という話を聞いたような記憶がかすかに残っている
事である。戦前に日本でも翻訳され出版されている。日本ではどの程度の影響があったの
か。
*************************
追記(2017/11/20):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
BLOG開始初期の記事である。当時は、パソコン画面設定に合わせて強制改行したようで非常に読みにくい。文節に分け、タイトル文字のサイズと色を変更。老人の寝言のカテゴリーに入れた。学生時代は、授業の外国語にドイツ語があった。その時、HAIL HITTLERにかけて、入るヒットラー・出るヒットラー等と駄洒落を面白がっていた記憶がある。現代の若者はヒットラーの名前をどれほどが知っているのか。
国立国会図書館サーチでキーワード「我が闘争」を検索
この検索で「我が闘争 :ヒットラァ 著,室伏高信 訳 第一書房 1940」がヒットした。
YOUTUBE:「時代は独裁者を求めた」へのリンク
YOUTUBEで「HAIL HITTLER」を検索
独裁に「入るヒットラー」が自滅して「出るヒットラー」となった歴史には、謎と共に多くの教訓が残されている。ヒットラーが採用した手法は今尚、見習う輩がいるようだ。
*************************