2010/1/28
野口英世
野口英世の伝記は子供の頃に読んで感動を受けた。多分。しかし、いつ頃か思い出せな
い。やはり伝記は人物の歴史を綴るものなので、そういう内容に興味を持つ年頃の事であろ
う。火傷を負って、それを克服し、医学の道に志す。立志伝として知っている程度である。い
つか、じっくり見てみようと中古ビデを買ってある。一度見たこともあるのかもしれないが、そ
れも忘れてる。タイトルも「遠い~」しか思い出せない。早速、検索。「遠き落日」であると思い
出す。自分が興味を持つのは、記録も記憶も残りがたい人生の初期と晩期のことである。こ
の部分はもはや社会としては余り関心を寄せる部分ではない。しかし、かけがえのない人生
を送ってきた一人の人間としては個人史の重要な部分を占めている。結局、第三者が歴史
上の個人の内面を知ることは本来不可能なのであろうか。技術の現場ではいろいろなデータ
をとる。それをグラフにプロットする。そうして、その点列に近い曲線を引く。ようやく、そのデ
ータの全貌が見えてくる。出来た曲線の両端をどのように処理していたろうか。新入社員の
頃、曲線の両端を無闇に伸ばさない方が良いよと先輩がアドバイスしてくれたのを覚えてい
る。データの無い部分はあくまで推測に過ぎないのである。データの無い、両端からさらに測
定範囲を広げると実用性は余り無いが興味ある現象が現れてくる。物事は大抵あるパラメー
タ値に関して、それ以下では使えない、それ以上では壊れるという特性をもつ。動作する限
界があるのだ。今思うと、勝手に推測で伸ばした曲線の部分に動作しない領域が入っていた
場合もあり得たという事である。ともかく、育児に十分な手が掛けられない場合、昔の人は
色々な知恵を絞ってきたのであろう。意外にそのような知恵を我々は教わったり、体験したり
する事が少ない。最近、この本を育ての母に捧ぐという献辞を巻頭に記した本に巡り会った。
大部の本でそれを出版するのには大変な苦労があったと偲ばれる。専門外の本であるが充
実した内容で大変お世話になった。むしろその献辞に励まされて読んだ法律書であった。そ
の労作を育ての母に捧げたという事は育ての母の苦労はそれにも増して有り難かったから
であろう。そうして、その育ての母がいなければ、この本も無かったと言外に語っていたよう
に思い、自然に涙がこぼれた。