20101/30
足跡
ICのチップ上に家紋を入れるのも足跡を記したことになるだろう。自分はICのパターンは描
いた事がないのでそういう経験はない。しかし、パターン図は修正毎に第何版のパターンか
を識別できるようチップ面にそれを判別する記号が描かれていたと思う。契約書の仕事で
は、振り返ると日本の契約はそっけなかった。ほぼ、パターンが決まっていた。枚数もなんと
か我慢できる範囲に収まっている。しかし、外国の契約書は個性もあり、主張もあり、表現も
多様で、量も読み通すのがうんざりするほど多い場合があり、契約書書自体が一種の財産
であり、作品であるように感じた。逆に、そういう大量の文書も見落としや読み損なう訳には
ゆかない。そうして、大量の文書の中で、ここは譲れないという所を優先して交渉する。お互
いに何回かやりとりすると、中にはこりごりする文言もある。そんな時、ケネディ大統領の就
任演説の片言を盛り込んで仕返しをした。相手も、もうこりごりだから、苦笑いしつつここで矛
を収めたのか、大量の文章の中に埋もれた片言で気付かなかったのか、それ以後は交渉が
まとまってきた。契約にも合理的妥当性という範囲がある。余りにも一方的な場合は当事者
の立場に相当な程度になるまで交渉をする。立場にも弱い立場に立つ場合と強う立場に立
つ場合がある。しかし、ある契約を締結して仕事をする場合、当然共通の目的がある。それ
がビジネスの原点である。実は自分が投げかけた仕返し(対案)も一種のJOKEであり、日本
的な玉虫色の解決提言に見えたのかもしれない。しかし、その足跡は大量な文言の海に沈
んでもはや探す事はできないだろう。お互いに主張し合ったが、お互いに譲れない。そんな
場合は交渉事には付き物かもしれない。時には個人的には、本音では暗黙理にお互いに相
手方の主張を認め合っているが、担当者個人としてはその立場に立てない場合もある。しか
し、交渉はまとめなければならない。そんな局面では玉虫色の文言も交渉当事者の足跡とし
て意味があるのかもしれない。