2010/1/14
記憶喪失
失われた時を取り戻すことは出来ない。何らかの記録が残っていればそこから過去の記憶
をわずかでも取り出す事が可能になる。情報や記録がある確率で消失するのであれば、そ
の情報や記録を保つためにはその数を増やす事が現実的な解決方法なのかも知れない。
古来の語り部はその役割を背負った人間であったろう。釈迦の教えが経典としてまとめられ
る前には多数の信徒が集まって釈迦の教えを唱和してその誤りを正して教えの変質を防い
だようである。ここに、信頼できない素材を使って信頼できる記録を残そうとする古来からの
人間の努力が認められる。デジタルの信号があるかないかで記録を操作し保存する方式、
即ちデジタル技術の本質は、はまさに信頼できない素材を使って信頼できる操作や結果を
確保する為の方法であった。自分は技術者時代の大半でアナログ技術とつき合ってきた。
そうして、電子情報通信学会を今年の3月で退会する事になっている。ほとんど読むことがな
かった学会誌を覗いたら、古いがまだ頑張っている技術が紹介されていた。まだその分野で
頑張っている技術者もいる。なつかしく感じた。やはり、生き延びる技術はそれを支える基盤
がある。それが無くなれば消えてしまうのか。一方では記録メディアの技術進歩で古いメディ
アにアクセスする手段・装置が無くなるとその記録の価値が無くなってしまう事、またその記
録にアクセス出来るようにするには膨大な量の記録をアクセス可能な媒体に変換せねばなら
ない事が今日の技術のジレンマとして紹介されていた。そんな、ことを考えながらここ1~2年
使っていないセレロン400M/HDD10Gのパソコンに残したデータにアクセスする必要が生じ
た。いざSWを入れるとWINDOWSのロゴ画面で止まってそれ以上進まない!仕方ないの
で、WIN MEの起動ディスクから作成しておいた起動CD-ROMで立ち上げたら、何とか
DOS MODEで立ち上がった。DOS MODEのSCANDISKとDEFRAGを行うと3つのクラス
ター破損が報告された。HDDに重大な支障があるという見慣れないメッセージも現れた。し
かし、何とかWINDOWSが立ち上がり、求めるデータを探したがそのデータは無かった。予
備パソコンであったので大方のデータは現用機に移してあった。現用機に残っているデータし
か無いことが確認できただけで有り難かった。ところが予備機からデータを取り込もうとして
現用機のUSBメモリーを取り外して予備機に装着した。用事の済んだUSBメモリーはズボン
のポケットに無造作に押し込んだ。いざ、現用機にそのUSBメモリーを装着しようとしたら、そ
れがポケットに無い!可動部のあるHDDよりUSBメモリーの方が信頼性があると思い自分
が作成した重要なデータはUSBメモリーにだけに保管していたのであるが、それを紛失して
記憶喪失のような空虚なやるせない心境に陥った。記憶を作る為に投入されたエネルギー
だけでも取り返せないほど膨大なである事を改めて痛感した。パソコンの記憶を失うのは、
壊れるときだけでなくその記憶パーツを紛失しても失うのだ。同時に壊れたり、同時に失った
りする確率が少ないという点では同じ物を二個以上用意した方が安全なようだ。そう言えば
特攻の兵士は飛行するとき何個かの時計を装着したという話を聞いたか読んだ記憶があ
る。昔のゼンマイ時計は止まったり遅れたりと余り信頼性が良くなかったらしい。二個の時計
が同じ時刻を指していれば問題ない。一方がD時間遅れた時は二個の平均値の遅れはD/2
時間だ。持っている時計がこの遅れる時計一個だけの場合、このDとD/2の時間が死活を決
める場合があるという事であろう。片道の燃料しか積まない特攻機の現実を思うと、やるせな
いが深刻な問題であったと理解できた。