宮仕え

2010/2/15

宮仕え

立派な所に伺候すれば、それを誇りに感じるのは人情かも知れない。威光の効用もあろう。

学歴なども同様な効果があるようだ。ともかく、人が見る目と自分が感じる事にはギャップが

あるのは不可避なのだろう。サラリーマンも役人も宮仕えの一種と言えるだろう。異動や業務

命令にはなかなか逆らいがたい。組織という物が一種の機械の如く動くのは、組織独特の

DNAが支配しているからなのだろう。自分も組織の異動命令を受けて、話を聞くと自分にとっ

ては新しい分野の仕事で、興味もあったので、それに同意した。しばらくは、当初通りの仕事

に従事した。しかし、その仕事もやがて終息に向かった。そうして、ある日、こういう仕事があ

るからやってくれないかと言われた。どうも、色々課題があり、棚上げされていた仕事が復活

して、そのおはちが自分にまわって来たようなのだった。この時はすまじきものは宮仕えとい

う言葉がこたえた。YESと言っても自分にできる仕事か、NOと言ったらどうなるのか。しばら

く、考える時間を頂きいやいやながらやりますと返事した。清水の舞台から飛び降りるような

悲壮感があった。正月頃の話で、ご馳走も喉を通らないような気分で相当に悩んだ末の結論

であった。当然、その後から、その仕事の経緯や詳細を知る事になるのだが、すでにその仕

事はやらざるを得ない状況になっていたようであった。結果から言うと、そのプロジェクトは成

功して、海外の顧客の若いエンジニアから望外の感謝のレターを頂いた。お互い若いエンジ

ニアとして大きな課題にチャレンジさせて頂き、その成功を分かち合えたのであった。時々、

あの時の異動の本命はこの店晒しされた仕事の処理にあったのだろうかと思うことがある。