2010/3/2
方丈記随読4A
「こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。」
六十という余命わずかになって作った方丈(四畳半)の家。人生半ばの家の大きさの百分の
一以下であるという。盛年時には相当大きな家に住んでいたようだ。高さも七尺。地業も簡
便。インターネットにその復元図があり参考になった。瓦葺きの屋根では強度が足らないよう
に思われるが。「その家のありさまよのつねにも似ず」とあるので、相当コンパクトな家のよう
だ。さらに、それは気分により直ぐに余所に移動しやすいような組立式。「積むところわづか
に二輌なり。」とは何の意味かよくわからなかったが、車二台で引っ越しができる程度の部材
でできあがっている組立式住居のようだ。トレーラーハウスの前身だ。当時としては斬新なア
イデアであったようにも見える。要するに老境の住居は簡素で雨露がしのげれば十分だと割
り切ったかのようだ。「こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあ
り。」には長明さんの死生観・人生観が窺われる。