文革:いとしきもの

2010/3/28

文革

革命者毛沢東も老い太りよたよたとして壇を降りゆく

昭和萬葉集14巻。世界の中の日本・激動の中国という区分にあった短歌である。確かに昭

和40年前後は中国も大きく揺れていた。今振り返ると、その振動のエネルギー源は終戦後

に生まれた当時の青少年であったろう。その世代が今日の中国を作り上げてきたと言っても

過言ではないだろ。近代中国を産み育ててきた毛沢東。詰め襟の人民服を着た大きな写真

を思い出す。この歌の作者はこの歴史上の巨大な人物を革命家と言わずに革命者と呼ん

だ。それにより、全ての神話から離脱した一人の毛沢東老人の姿を一枚の写真に収めたよ

うな作品になったようだ。文化大革命では紅衛兵が毛沢東語録という小冊子を掲げて気勢を

上げている姿も度々報道されていた。そういえば、ともかく中国をもっと知ろうという気持ちも

生じて、北京週報を購読した事を思い出した。インターネットで検索すると「『北京週報日本語

版』は、1958年、故・周恩来首相の提案により創刊された海外向け週刊誌で、中国の最新

情報を知るための窓口となってきた。」と北京週報ネット版が伝えていた。ネット版では発掘さ

れた曹操墓の真偽の論争等が伝えられており時代の変化を感じた。ともかく文化革命は文

化という帽子をかぶっているが革命は当然それ以外の目的もあったであろうが、これが中国

を成熟した国家・社会に鍛え直す機会でもあったと思われる。愚公移山という言葉を度々聞

いたのもこの頃ではなかったかと思う。調べてみると、愚公が通行に不便な山を箕で移し始

めたのが齢90才の時。これを見ていた天帝がこの山を移した寓話とある。誰にでも、実現不

可能に見える事でも、それは決して不可能なことではない。それを先ず始めようではないかと

いうメッセージとして意味があるだろう。中国革命の指導者はその革命の完全な成就には愚

公移山の精神が必要である事を見抜いていたのかもしれない。中国の歴史を見るとそのス

ケールの大きさを感じてしまう。文革の評価は非常に難しいだろう。WIKIPEDIAに詳細な記

述があった。ともかく、文革は否定するも肯定するも、それが現代の歴史の一局面であること

には変わりがない。日本もその文革の波が及んできていたのだ。