2010/4/1
愛馬
馬を売りてつくりしといふ金を貰ひ心寂しく受取書くも
昭和萬葉集3巻。仕事の歌 弁護士の区分にあった短歌である。馬は農家にとって重要な財
産でもあったし、利口な動物であり、家族の一員として扱ってきた。築百数十年経た我が家
の南東の隅が馬小屋であった事を思い出す。ここは、家の配置から言えば一等地である。そ
こが馬の住居であった。我が家にも、戦後の一時期そこに馬がいた。この歌の作者は田中
長三郎という弁護士でもあった。弁護士としては弱い者の代言者という意識が強かったのだ
ろか。心寂しくという一語に複雑な心境を感じざるを得ない。作者に弁護を依頼した農民は、
馬以前に何か民事上のトラブルがあった筈だ。それは知る由もない。借金や田畑の問題で
あった可能性もある。農民ならば田畑を手放すより、大切で愛しくても先ず馬を手放して問題
を解決したのであろう。ともかく、最悪の事態は避けられたのだろうか。ひょっとするとそれも
かなわなかった可能性もある。裁判となると敗訴もありうる。しかし、弁護士費用は払わねば
ならない。もし、敗訴ならば心寂しくが一層深刻な印象になる。この歌の作者が弁護士である
と分かって、初めてその歌の内容が深長である事を理解できる。柑橘類の研究で大きな仕
事をした同姓同名の田中長三郎という農学者がいた。この方の名前を知ったのがNHK出版
の柑橘類という本であった。そんな縁で歌人田中長三郎の歌に目がとまった。明治の末頃渡
米したという田中長四郎という人物にも関心があるのだが、その手がかりは無い。ともかく、
農民として弁護士を頼めたのは少ない例かもしれない。そんな知恵も金もないのが普通の農
民でなかったか。当然、馬もいなかったかもしれない。自分が牛馬の如く働いたのだ。