老人の寝言:臥薪嘗胆して理不尽という壁を乗り越えよう

2011/6/19
昨日は曇り後夜雨。外出の帰りに何か花が咲いていないかと探したら、薄青色をしたツユクサの花が咲いていた。この時世、花でも眺めていないと気が滅入る。ツユクサはなるほど、梅雨期の花にふさわしく思えた。育ちも早い。知人が来て世間話。東電の株は今は買えない云々。

昨日の天気

TAVE= 19.5
TMAX= 21.8
TMIN= 18
DIFF= 3.8
WMAX= 2.8
SUNS= 0
RAIN= 2

老人の寝言:臥薪嘗胆して理不尽という壁を乗り越えよう

東北地方太平洋沖地震以後100日、WEB上で読んだのはほとんどが中央紙だった。その中に、2011年3月12日付けの福島民報の号外があった。それを改めて読んでみた。この段階で、死者97人、不明490名と伝えていた。全国では死者217人、不明681名であった。東京電力福島第一原子力発電所に関しては、政府が半径10Km以内の富岡、大熊、双葉、浪江の四町の住民に対して避難指示を出した事と、東京電力にベントの命令を出した事を報じていた。東北関東大震災と福島原発事故がこれほど大規模なものだったとは報じていない。その時点では十分な情報が断たれていたのだ。しかし、人的被害すら、その報道のレベルに納まらないと誰もが内心思っていただろう。更に、福島原発事故が現在のような事態になるとは地域住民は夢にも思わなかったに違いない。

ようやく、WEB上の地方紙を読んで見ようと思った。そこで探したのが、河北新報社の河北春秋。
河北新報は宮城県、仙台市、東北のニュースを主に扱っているようだ。

河北春秋は、「1983年度に放送されたNHK連続テレビ小説「お… ;url=http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20110617_01.htm(2011年06月17日金曜日))」というタイトルで、「▼1995年の阪神大震災後、神戸市の観光客数が震災前の水準に回復したのは12年後だ。時間はかかるが、地域の復興計画に観光振興を組み込む必要性があろう▼台湾外交部は福島を除く東北5県への渡航自粛勧告を解除した。おしんの古里は再び活気を取り戻すだろうが、原発事故収束のめどが立たない福島の復興は容易ではない。おしん伝説は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の先に成功があればこそ。理不尽と闘うには希望が要る。 」と報じた。

震災後に外国人観光客の姿が途絶えた事を受けての記事である。東北にはあのおしん伝説がある。東北はその「聖地」であると述べている。そうして、その締めくくりが、「理不尽と闘うには希望が要る」という一言だ。臥薪嘗胆とは寝心地どころではない薪の上に寝て、苦い胆(きも)を舐めてさえ、その試練・苦労を忘れずに頑張る事を意味する。その苦労・試練の先に成功という希望があれば、耐えられるのだ。そこで「理不尽」とはどういう意味か。その試練・苦労の原因に自分と何らかの因果関係があれば、その試練・苦労を自分の運命としても何とか受け入れる事ができるであろう。現実は、そんな事ではなく、そこに住んでいただけで、むごい試練・苦労を強いられている。理不尽とは道理が通らないことだ。希望を跳ね返す壁だ。被災地の人々はそれを痛感しているだろう。福島県と言えば野口英世を思い出す。WIKIPEDIAの野口英世語録に「偉ぐなるのが敵討(ガタキウ)ちだ(口語)」というのがあった。「理不尽と闘う」には誰とまた何と闘うのか。高山彦九郎は地域の偉人を尊敬すべしという考えがあったとの事。高山彦九郎は江戸幕府が崩壊するさきがけを感じ取った人物だろう。東北地方を旅して飢饉の惨状を記録に残している。これらの人物に、臥薪嘗胆して理不尽という壁を乗り越えるヒントはないだろうか。野口英世の思い出:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-3a76.html

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:秀子

歌題=秀子:

■三ヶ月 勤務休みて 看とりせる 吾子の切なき 朝な夕なよ 104 吉井 千代子

最愛なるものが去って、そこに歌が生まれる。歌は心の空白を埋めて新しい出発のさきがけになる。