心象の足跡:庭から出てきた錆びた鉄の固まりは蹄鉄か?

2011/10/23
昨日は雨後曇り。用事で外出。帰路、買い物と給油。ガソリンの現金価格は@133であった。ギリシャの財政不安からヨーロッパ経済も不安定になっている。アメリカ国債・経済も不安定。日本も有史以来の円高、ドル安、ユーロ安で世界経済の影響を受けている。世界経済は一蓮托生、風が吹けば桶屋が儲かるというように、お互いに影響を与えあって相互依存の関係にある。世界各国も総論では安定を唱えていても、各論では自国の不利益を排する経済戦争の様相を示すようになる。日本政府も外交・内政で舵取りを誤らないで頂きたい。世界経済の先行き不安を反映してガソリン価格は連続的に低下しているが複雑な心境だ。

2011/10/22の天気

TAVE= 17.1
TMAX= 18.6
TMIN= 15.3
DIFF= 3.3
WMAX= 1.9
SUNS= 0
RAIN= 13

心象の足跡:庭から出てきた錆びた鉄の固まりは蹄鉄か?

Teitetu

先日タマリュウの改植中に、シャベルの先にコチンと当たるものがあった。それを堀上げるとU字型をした錆びだらけの鉄の固まりであった。なんだろうかと考えてようやく蹄鉄らしいと分かった。牛馬の足の裏のひずめ(蹄)にはかせる鉄板だ。これは人間の靴に相当する。マイペディアによれば西洋では9-10世紀に始まり、日本では明治以降に普及したらしい。それ以前は藁靴だったとある。「拾った蹄鉄は災いを防ぎ、幸運を招く」という言い伝えがあるそうだ。幸運の兆しと考えたい。ところで、考古学では、色々な分析考察をするのだろうが、過去の事を想像した「考過学(造語)」的に振り返っておく。我が家は江戸末期から同じ場所に住んでいるので出土した蹄鉄は我が家の牛馬に関するものだろう。残念ながら、戦前の牛馬の事は余り聞いていない。父が復員するとき、馬を一匹連れてきたという話は聞いたことがある。戦争のどさくさで、行き場を失った馬だったのではないかと思う。買ったとしても二束三文だったろう。母屋の南東の一番良い場所が馬小屋だった。多分、ここで馬を飼ったのだろう。餌は藁や草。夏場は田圃の畦の草を飼料用に刈るのが普通であった。この草を刈る場所も決まっていて、農民は自分達なりの秩序を守っていたらしい。馬がいたのは自分が幼少の頃で、馬の事ははっきり覚えていない。記憶にあるのは牛の方だ。最初は役牛として黒の和牛を飼っていたと思う。田植えの前のすきかけの役務に使った。最初は、鼻取りという牛を耕すコースに導く仕事を手伝った。ある程度体力が付いてくると、鼻取りの仕事は弟が担当して、自分は犂を操作する仕事にまわった。鼻取りの棒は牛の鼻環につないだ。鼻環は常時装着。牛を歩かせるときは鼻環に縄を付けた。鼻取りの場合は更に牛との距離をとるためか1間程度の竹の棒等を付けていた。牛に鼻環や蹄鉄を付けるのは専門業者が廻ってくるので、そういう人がやっていた。それを、遠くの方から珍しげに見ていた記憶が残っている。馬の場合その記憶がない。蹄鉄をはかせる前には、蹄を刃物で切って平にして、釘か何かで打ち止めたようだ。出土した蹄鉄にもその穴があるのではないか。耕耘機が入り、役牛は姿を消した。その後は乳牛を飼った。白黒のホルスタイン種だったと思う。2~3頭程度の小規模な酪農で、搾乳も手作業だった。乳缶という筒状の鉄缶に入れて出荷した。乳業会社が毎日集乳こ廻ってきた。この時代は中高時代で農作業の記憶は余りない。出土した蹄鉄も使い古しの物が何かの事情で紛失して埋もれていたものだろう。出土した蹄鉄も思いがけない「考過(造語)」物件ではあった。