2012/1/11
昨日は晴れ。恒例の行事は欠席して用事外出。出かけたついでに建物高階で両毛三山や浅間山、男体山等の山々を見た。空が晴れ、空気が澄んでいるので素晴らしい見晴らしだった。デジカメでその風景を写したが、カメラアングルはほぼ水平かやや上向きだったと思い出している。ついつい、カメラのファインダーからあの風景を覗いていたのだが、自分の眼にしっかり焼き付けておいた方がよかったのではなかったのかと思った。風景が心の中にスーット入って来て、ふと思い出すのは、カメラという借り物の眼を通してではなさそうだ。しかし、遠方の山々と自分の眼の位置を重ねて見た風景はそれなりに懐かしい思いがする。数年前そこに呆然として佇んだ事があった。点滴を下げた青年が言った。生きて帰れればいいんだ。だれをもやさしくつつんでくれる故郷の懐かしい風景の有り難さを感じた。
2012/1/10の天気
TAVE= | 4.9 | |
TMAX= | 10.4 | 最高気温(℃) 11.1 13:52 |
TMIN= | 0.6 | 最低気温(℃) -0.4 06:26 |
DIFF= | 9.8 | |
WMAX= | 4.2 | 最大瞬間風速(m/s) |
SUNS= | 7.1 | |
RAIN= | 0 |
東北の海よ:3・11東北地方同時発生三大災害より10ヶ月
2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震と津波、それに起因する東京電力福島原発事故と三つの過酷な災害が起きてから10ヶ月になる。2011年3月11日以来、人生や生活が一変してしまった人が多いだろう。その衝撃は日本だけでなく世界にも及んだ。自分の生活パターンにも影響が出ている。そうして自分なりに、このような歴史を見つめて行きたいと思った。しかし、復旧・復興というかけ声と共に自分の意識も変化を始めているようにも感じる。そうして、2012年の新年を迎えて改めて自分の記憶を振り返っている。その記憶のポケットとして「東北の海よ」というカテゴリーを作った。自分の東北地方のイメージとして海が漠然と浮かんできた。そうして、東京電力福島原発事故を通して、原子力発電所が原子炉の冷却水を取り入れ、冷却した温排水を流すために、海に面して立地している事を知った。大学時代までは電気工学とい強電の世界を主に学んだが、卒研はエサキダイオードの応用に関するもので、就職後はエアコン・冷蔵庫等モーターがらみの仕事になるのかと思ったが、半導体部門に配属され、数mAという弱電の世界で仕事をしてきた。残念ながら技術者としては強電(電力)の世界を冷静にみる事が出来なかった。復旧・復興も金を投入してかけ声を掛けただけでは進まない。やはり、その地域にしっかり根をおろした根元的な何かが不可欠だ。その根元的な何かを探求してきたのが哲学者の梅原猛氏だったのかも知れない。東北の海よ:哲学者・梅原猛さんの思い;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/post-6834.htmlに関連記事を書いた。「海」は生命の起源でもあり、母なる胎内でもある。そうして、海に出れば世界はつながっているのだ。あの過酷な3・11東北地方同時発生三大災害も海につながるのだが、海が東北地方復旧・復興のキーワードとして常に思い出されることを願いたい。
平成24年1月10日付けの警察庁緊急災害警備本部の発表「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置;http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf」によれば、人的被害では、死者=15844人、行方不明=3450人、負傷者=5891人、建物被害では、全壊=127212戸、半壊=232458戸、全半焼=281戸、床上浸水=12918戸、床下浸水=13964戸となっている。
地震、津波関係ではこのように、被害状況が数字で把握できるが、この地震、津波と同時に起きた東京電力福島原発事故に関しては、被害状況を数値的に把握できるデータがどこにあるのか分からない。自分なりに「3・11東北地方同時発生三大災害」と名付けたが、それは地震、津波、原発の災害・災過を一体的に把握する必要が必要であると痛感しているためである。原子力災害対策特別措置法;http://www.bousai.go.jp/jishin/law/002-1.htmlはあるが、東京電力福島原発事故は災害としてではなく、交通事故と同じような事故と矮小化して捉えられているような印象を受けている。原子力損害賠償法;http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S36/S36HO147.htmlという法律があるが、驚くべき事にこの法律の中で、「事故」という語を検索しても見つからなかった。事故はなくとも損害だけはありうるというのだろうか。立法者の貧困なる精神を疑わざるを得ない。
事故に相当する英語はACCIDENT。WIKIPEDIAでは福島第一原子力発電所事故を「Fukushima Daiichi nuclear disaster」と表現している。
http://dictionary.reference.com/browse/disasterによると「dis?as?ter
[dih-zas-ter, -zah-ster] Show IPA
noun
1. a calamitous event, especially one occurring suddenly and causing great loss of life, damage, or hardship, as a flood, airplane crash, or business failure. 」と出る。
http://dictionary.reference.com/browse/ACCIDENTによると「ac?ci?dent
[ak-si-duhnt] Show IPA
noun
1. an undesirable or unfortunate happening that occurs unintentionally and usually results in harm, injury, damage, or loss; casualty; mishap: automobile accidents.
2. Law . such a happening resulting in injury that is in no way the fault of the injured person for which compensation or indemnity is legally sought.
3. any event that happens unexpectedly, without a deliberate plan or cause. 」と出る。
英語ではdisasterとACCIDENTを使い分けているのが分かる。その視点は事態の大きさ・規模のようだ。日本語の場合、「日本航空123便墜落事故(WIKIPEDIA):運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書[1]によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2012年1月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である[※ 2][※ 3]。」とある。
福島第一原子力発電所事故発生から10ヶ月を迎えて、これを単なる事故と捉えるべきか未だに違和感がある。事故の範囲の広さ、事故に巻き込まれた人数の多さ、与えた被害・損害の大きさ、そのどれをとっても単なる事故と大きく性格が異なるのは確かだ。これを単に福島原発事故と言ってしまうと事態を矮小化してしまうように感じるのだ。福島原発事故の被害者から見れば災過としか言いようがないのではないか。しかし、その衝撃は今も多数の人々の生活に及んでいる。地震、津波、原発も家財や生命に及ぶ経済的・精神的危機の原因になっている事は共通している。その危機を避けるための家屋・防潮堤・格納容器等の構造物の強度設計やマージの取り方も考え方としては共通している。物事も共通・一体的に捉えることにより、より広い視点に立ち、事態の解決も総合的に対応できるようになるのではないか。あらゆる方面に波及している専門化・縦割りの弊害を3・11東北地方同時発生三大災害は警告してくれているのではないか。
東北地方太平洋沖地震に起因する災害は、最初は東北関東大震災と呼ばれたが、政府が東日本大震災と命名した事により、東日本大震災という語が多く使われるようになった。2012/1/9時点でのGoogleキーワード検索ヒット数は、東日本大震災:約 197,000,000 件。東北関東大震災:約 17,200,000 件。かなり接近している。一つの単語としたときのヒット数(”KW”で検索)は、”東日本大震災”:約 140,000,000 件。”東北関東大震災”:約 77,100,000 件。
被害としては、東北地方が圧倒的に大きいのだから、その実態と歴史的意義を含めて東北関東大震災と呼んだ方が良いと思う。そのためには東北関東大震災を使い続ければよいのだ。歴史を作ることの前提には歴史を忘れてはならない。官製の”東日本大震災”が1億4000万ヒット数に対して、東北関東大震災はその半分以上のヒット数を維持している事に注目したい。
この3・11東北地方同時発生三大災害より10ヶ月、「ことば」に関しても色々考えさせられた。人間、言葉という刺激で物事を思い出すことしかできない哀れな機械にすきないようにも思われた。言葉はデジタルなのだ。一つの言葉を選ぶことにより、それ以外の言葉を捨てなければ言語表現は出来ない。従って、言葉と言葉の中間を読みとらなければその言葉の意味さえ掴めない。「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」というような言葉を何回聞かされた事か。しかし、ふと漏らされた言葉のなかににきらりと輝くことばもある。そのような言葉に耳を傾けたい。