ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):伐採された八幡沼の松の古木

2012年11月21日水曜日
昨日は晴れ。昼までは暖かで着込んだ上着を脱いで仕事。午後は少し風が強くなった。最低気温(℃) 3.3 01:59 。最高気温(℃) 16.8 12:30 。ざっそう句:草むらに 卵のように カラタチの実。そろそろ今年の家庭菜園シーズンも終わりかと思ったが、まだ色々な仕事があった。通路の近くにニラを移植。畑の中程だと食卓にあがらない。ニラの後がまにポットのキャベツ苗を定植。シシトウ、ナスを収穫して片づける。灌水手抜きのため苗箱のネギ苗を移動。極小さな桔梗の種子を抽出。ごみや砂を完全分離出来ない。アマランサスの種子処理を思い出した。桔梗の種子は食用でないのでごみにこだわらないことにした。もらった種子はごみもなくきれいだったが。サトイモの葉が枯れた。サトイモは暖地の作物で霜が降ると枯れやすい。初霜は11/19らしい。当日の初霜推定時刻のAMEDASデータ:時刻、気温、降水量、風向、風速、日照時間=4、2.9、0、北北西、1.4、0。11/20=2時、気温3.5、風速1.9は11/19より条件が緩い。自働蒔きダイコンを収穫。いくら頑張っても手で抜けなかった。シャベルで堀上げ。過去最大級。周辺の除草をしたので無肥料でも大きく育ったようだ。

TAVE= 10.0
TMAX= 16.5 最高気温(℃) 16.8 12:30 
TMIN= 3.5 最低気温(℃) 3.3 01:59 
DIFF= 13
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.9(北) 14:59 
SUNS= 9.3
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):伐採された八幡沼の松の古木

当地区の八幡沼の沼堤には、桜、松、櫟?の古木があった。桜、松は堤防の保護として意図的に植栽されたものと考えられる。植物の根張りで沼堤を強化する意図があったと推定される。古い地域誌によると、八幡沼は桜の名所という記述もあったと思う。ともかく、八幡沼とともに沼堤の古木は、地域住民の原風景として記憶の中に残っていたとおもう。自分も、機会があると、その風景を楽しんだ。我々戦後世代が幼少の頃は、沼面すれすれの松の木があり、そこから沼に飛び込む、肝試しのような遊びもあった。怖くて出来なかったが。その松の木もすでに相当前に伐採されたのだろう。

数年前、松枯れ病か、松が立ち枯れした例があった。その時は、枯れた松のみ伐採したのだと思う。ところが、ある日松の古木が全部伐採されているのに気付いた。現在、桜と櫟?は残されているのだが、松の古木を全て伐採した理由が分からない。それには、理由・背景があると思うが、農林水産庁が実施したため池百選の応募に関係して、その松の古木が織りなす風景も売り込んだので、一抹の寂しさがある。

真偽のほどは定かではないが、八幡沼の松は船津伝次平が赤城山の植林をしたときの苗の一部だという説にであった事がある。WEBで調べると、「赤城山に造林されたマツについて(中間報告)
http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_tokushima29/jichiken/3/3_2_07.htm)」という記事があった。船津伝次平が植えた松の樹種は黒松だったとの事。多分八幡沼の松も黒松だったと思う。船津伝次平が20代で名主になったころ、八幡沼開鑿指導者の川端宇兵衛は50代で、なんらかのつながりがあった可能性は否定できない。切り倒された松の樹齢はどのくらいだったのか。切られた松の幹の中央には空洞があったが、周辺部はしっかりしていた。総合的に見ると直ちに伐採すべきほど危険な状態ではなかったように感じるがどうだろうか。
以下は松の古木伐採前後の様子:
hachimannuma_matunokoboku_cut_ba_5pix.jpgをダウンロード

追記(関連記事):
「06B_川端宇兵衛 生誕200年記念講演(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/wp06b.html)」に関連年表( time-line_of_kawabata-uhei.pdfをダウンロード )。

「06B1_ため池百選候補になった八幡沼(伊勢崎市)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/06b1_HACHIMAN_NUMA.html)」。