ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近の変貌

2013年8月2日(木)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 31.9 15:37。ざっそう句:携帯の アンテナ立てる マル秘ワザ。オクラ、下仁田ネギ、ゴボウ区画の除草。オクラ、下仁田ネギは成長中なので鶏糞散布。湿度が高い:AMEDAS前橋の正午までの最小値が79%。葉裏から蚊が多数飛びだして攻撃してくる。今年初めてトウモロコシ数本収穫。無農薬・無肥料だがマアマアの出来。かみさんと賞味。午後携帯ショップへ。月数回しか使わない携帯をどうするか悩みの種。とりあえずショップで情報収集。今回は家電量販店で男性の係りが対応。公開されていないキーを操作すると何とまたアンテナが立った。聞くところによると最新の機種でも同じ様な症状がでる場合があるとの事。とりあえず持ち帰り様子をみる事にした。夕食後、子供屋台の練習応援。だんだん盛り上がってきているように感じる。

2013年8月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 26.5 NO DATA
TMAX= 30.7 最高気温(℃) 31.9 15:37
TMIN= 23.6 最低気温(℃) 23.4 06:35
DIFF= 7.1  
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.2(東南東) 20:46
SUNS= 2.7 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近の変貌

先日の参議院選挙の日、出かけたついでに、旧五目牛町の町名の由来と言われる牛石まで足を伸ばした。粕川には北関東自動車道と上武道の両方の橋がかかっており、両道路は粕川右岸で交差する。北関東自動車道と上武道の工事に伴い、その周辺の発掘調査が行われ報告書が発行されている。

発掘調査によれば、石器時代から今日まで文明が連続している事が分かっている。出かけたついでに、どのような地形なのか見てみようとしていたが、古代史の手がかりになるものは見つからなかった。発掘調査報告書等から辿る以外にはなさそうだ。

「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/2-511d.html)。(2013年6月27日(木))」

その代わりに、北関東自動車道と上武道の橋の部分を裏側から見ることができた。地形の高低差を吸収するため、橋の構造は河川の上だけでなく、その両側が地面に接するまで続いているのだ。

WIKIPEDIA「上武道路。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E9%81%93%E8%B7%AF)」によれば、「沿革[編集]:1970年度から国道50号以南22.4kmが事業化。工事開始は1975年度からである。1981年から、群馬県太田市安養寺町(当時は新田郡尾島町安養寺)の国道354号から前橋市今井町の国道50号にかけての区間が順次開通した。」

WIKIPEDIA「北関東自動車道。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93)」

何世紀か後に、これらの巨大構築物が廃墟とならないとも限らない。その時は、昔の里山のような風景が出現するのだろうか。折しも、国道462号線も本関町区間で4車線拡幅工事中で、交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近は、まだまだ変貌の途上にあるようだ。国道462号拡幅工事では、樹木も相当数伐採され、空が開けたような印象も受けた。 この周辺は古代史の宝庫でもあるが、現代人にとっては、古代史から何が学べるのか。
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地図はマッピング群馬から引用。

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

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