ハト(伊勢崎)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:変わりゆく鯉沼の風景

2014年6月21日(土)
昨日は晴れ時々曇り。ざっそう句:へぼ百姓 何故か気になる 夏至の空。朝飯前仕事で草むしり。かみさん曰く、よその人が畑仕事を終わる頃畑に出ると熱中症になるヨ~。そこで少し早起き。雑草には朝露が降りている。幼少の頃、朝露を踏んで置き針を上げに近くの小川に行ったことを思い出した。ウキウキすることなら早起きも厭わない。草むしりは憂し憂しだ。道路沿いの、おしろい花、ジニア、マリゴの救出。メヒシバ、ヤグルマギク、ヤブガラシ等の根本にひょろひょろの苗が育っている。これらの障害物を除いて花苗に日光を当てなければと思う。カレンダーを見ると本日が夏至。昼前終了。来客。雑談。午後用事外出。ついでにタウンウォッチング。小型ノートPCに5ボタンマウス。ドライバーをインスト。コピペを設定。

2014年6月20日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.6 NO DATA
TMAX= 27.7 最高気温(℃) 28.7 13:38
TMIN= 19.1 最低気温(℃) 18.8 03:58
DIFF= 8.6
WMAX= 2.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.0(東南東) 19:06
SUNS= 5.6 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ハト(伊勢崎)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:変わりゆく鯉沼の風景

鯉沼は冬の一時期を除いて通年貯水しているが、昨年の冬頃から今年の今頃まではため池の入り口の堰を閉じて工事が行われていた。先日、田んぼに出かけたついでに鯉沼を見ると、通常の水位まで貯水されていた。いよいよ稲作シーズンになったかという感じである。

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鯉沼で養魚をした業者は、各自餌くれ場を作ったようだ。自分が知っているのは三代先までである。それを古い順に初代と数えると、初代の餌くれ場は鯉沼の南西側にあった。現在も沼底が見えるようになった時は、その残骸が姿を現す。二代目の餌くれ場は沼の北東側にある。そこには、小屋もあったが撤去され、現在は餌くれ場だけが残っている。三代目の餌くれ場は南側堰堤の中央よりやや東側にあった。先日、出かけてみたら撤去されてていた。

かなり長期間沼底が涸れていたので、沼底に雑草が生えてきた。鯉沼一帯は、湧水が豊富で、その湧水を沼に改造して水利に役立てたのが鯉沼開発の歴史と言われている。開削が1613(慶長18)年との事で、昨年で丁度開削400年であった。幼少の頃の思い出ででは、鯉沼にも小さな上沼があり、鯉が逃げないよう本体の下沼と竹で出来たスノコで接続されていた。上沼は水位が浅く、マコモのような物が生えていた。昔の湧水の名残かもしれない。

「ハトよ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎 八幡沼開削150年記念碑が発する古老達のメッセージ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/12/150-1aaa.html)。(2013年12月27日 (金))」

今年、八幡沼(通称新沼)が開削150年を迎えたので、鯉沼の方が約250年古い事になる。現時点では、沼の北側の護岸工事と、南東側の堰の新設と北側の入水口の改築が終わっているようだ。稲作シーズン到来で、工事は刈り取りが終わる秋以降まで中断になるのかも知れない。

二本の古木の内一本は今年の大雪で倒れて、残骸は撤去され、鯉の餌くれ場も撤去されたので以前と風景が変化した。今後も護岸工事が続くので、風景の変化も続くだろう。

一緒に歴史話をした故人の事を以下に書いた:「02A5_三軒屋遺跡シンポジウム2011/11/13(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a5_S_ISEKI_SIMP_20111113.html)。」

残った古木は、そのまま残るのか。気になるところだ。

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