老人の寝言:ああ貧老充満の大尽国日本!;爺婆の 捨て場に困る 都会かな。1509。

2015年9月22日(火)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 27.7 14:54。最低気温(℃) 17.8 05:52。ざっそう句;爺婆の 捨て場に困る 都会かな。N側白菜とS側タマネギに灌水。S側白菜と男爵区画の除草。作業中に出てきた種ジャガの芽は1cm以下。ブロッコリーの苗を定植。苗の品質は良くない。茎が細く、食害で葉をほとんど失っている物もある。オクラを収穫。莢は小さく先端が曲がっているのが多い。期待薄の株は引き抜いた。サツマイモの試し掘り。まだ少し早い。昨日は敬老の日。一人だけで畑仕事。そこへ大先輩が声をかけてくれた。

2015年9月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.3 NO DATA
TMAX= 27 最高気温(℃) 27.7 14:54
TMIN= 18.3 最低気温(℃) 17.8 05:52
DIFF= 8.7 NO DATA
WMAX= 3.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.5(南) 15:49
SUNS= 3.9 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


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老人の寝言:ああ貧老充満の大尽国日本!

先輩は自転車でやってきて、しばし、立ち話。遊ぶのも元気なうちだいネ~とか。夕方頃、出かけるのは中止と電話があった。家族と同居や家族が近くにいれば、老後の大きな不安は少しは安らぐだろう。

最近は「貧老」という言葉が氾濫している。同様に「子供の貧困」という言葉も良く耳にする。何か、違和感を感じる。幼老即ち若年層と高齢層は本来経済力が乏しいのが当然ではないか。日本の敬老の日、こどもの日は一日限りになってしまったのか。

地方創生というかけ声に悪のりしているのか、都会の高齢者を地方に送り出す構想があるようだ。そこで思い出すのが、「たまゆら」の火災焼死事件だ。おじちゃんもう歳なのだから無理して出かけない方が良いヨと言われれば我慢はできる。だが、住み慣れた場所から知らない場所へ老人を送り出す発想は理解できない。

「老人の寝言:社会から見捨てられ浮かばれない貧老の嘆きの声が聞こえてこないか(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/post-0062.html)。(2013年1月20日 (日))」(この記事へのリンク

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