2015年12月12日(土)
昨日は雨後曇り一時晴れ。最高気温(℃) 18.7 15:43。最低気温(℃) 7.0 04:45。ざっそう句;来客に キムチ作りの 熱もさめ。一時、強風も吹き荒れた天気。宅内閑居。白菜が自給できるので、キムチ作りを始めたが、買ってきたニラは既にかみさんが使ってしまった。ともかく、昔は白菜も塩漬けで食べる程度。それより幾らか具材を多く使うので、本物のキムチができるか気にしつつ、台所に立って作業を開始。幾つかの具材を大根おろしでおろすと体もほかほかしてくる。そこへ来客、さらに携帯もかかって来て、作業が中断。野暮用の配り物も来たようだ。更に別の来客もあり、貰い物。お返しに白菜。あれやこれやで、キムチ作りの熱もさめてしまいエンジンがかからない。うま味を出す魚醤・塩辛等が無いので代用品。さあ、何ができるか。
2015年12月11日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 11.8 | NO DATA |
TMAX= | 18.1 | 最高気温(℃) 18.7 15:43 |
TMIN= | 7.2 | 最低気温(℃) 7.0 04:45 |
DIFF= | 10.9 | NO DATA |
WMAX= | 9.5 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.1(西北西) 16:14 |
SUNS= | 1.7 | NO DATA |
RAIN= | 6 | NO DATA |
Q
Q
半端道楽:身辺雑記:田舎老人徒然草:路傍の小菊
先日、歩道のアスファルトと側溝の蓋のコンクリートの隙間に生えている小菊の花が強風に吹かれて咲いているのを見た。以前は、田圃の畦に植えられていた小菊であったが、チガヤやセイタカアワダチソウが繁茂して、その小菊は絶えてしまったのか。
菊は普通、根分けや挿し芽で増やすので、普通種子繁殖はされない。ところが、この小菊は、歩道のコンクリートの隙間に種を飛ばし、そこで花を咲かせている。生命力の強さを感じる。
長い期間を通して見ると、種を飛ばすのは、住処を変えて転居したように見える。植物が生きて行くのには、太陽光が不可欠だ。それを奪われると、移動して住処を変えなければ生き延びる事はできない。植物ですら、住みやすい場所を求めて移動するのだ。代を重ねつつ。
今年は、アラブ諸国からEUへの難民が増大し、社会問題になった。当然、難民とならざるを得ない事情がある。本来、自分が生まれた母国で育ち、そこで生活し、そこで死んでゆけるのが理想ではないか。だが、母国が、外国がしかけてくる戦乱で住めなくなって、難民とならざるを得ない人々が、この世界には多数居る。
そもそも、米国へ移民して、米国を作った人々も、何らかの事情で、母国を追われ、母国から脱出した人間ではないか。西欧諸国が、難民を受け入れようとする姿勢の中には、自国が加害者となって不幸な人々を生じさせたという、遠い過去からの呵責の念が幾分とも含まれているのではないか。西欧諸国は、何らかの意味で他国の侵略をしてきた。難民が、不足する労働力の供給源にもなってきた。懲りない面々こそ、過去先代が辿ってきた道を振り返るべきではないか。
外国から、多数の難民が押し寄せてくると、自国民との富や仕事の奪い合いが生まれる。人口が増え、もはや先住民のいない地上の楽園はこの世界には存在しない。日本も少子高齢化を口実に、移民や外国労働者の受け入れに向かう可能性がある。このような政策で利益を得るのは誰か。一方、日本は過去には、多くの移民や外国労働者を世界に送り出してきた。
「桑園:いとしきもの(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/04/post-8c94.html)。(2010年4月 2日 (金))」(このページへのリンク)
小学校4年の時、移民船ブラジル丸で、親に従ってブラジルに移民した友人を思い出した。人事じゃ無い。この友人に、粕川で泳いでいる時、小便を掛けられた。忘れがたき記憶だ。