雑草句録:ムクドリ

2011/1/25
年賀状はそろそろ減らしてゆこうかと思っていた。断捨離だ。しかし、この年賀状も色々な縁の上に続けている。自分から切るまいとは思っている。今まで新年のあいさつで行き来した方には、年賀状で失礼させていただくことにした。付き合いもお互い身の丈にあったものが良い。人間の付き合いも激変はなじまないようだ。たまたま、朝刊を開くと年賀状のお年玉の抽選番号が載っていた。今日は郵便局へ行く用事もあったので、頂いた年賀状の番号を調べたら、切手が二枚当たっていた。番号を調べたのはもう何十年ぶりかもしれない。兎の切手をもらってきた。自分流とはあえて断捨離ではなく、ぐうたらな継拾接だ。何も見えないが、人間は藁一本でも誰かと、何かとつながっていると思えると心は安らぐのではないか。見方を変えれば、運良くもらった兎の切手もなにか拾い物のような気もするが。いつか役に立つ時があるだろう。局長は番号にスタンプを押してはがきを返してくれた。おまけにポケットティシュもくれた。局長が当選番号をプリントアウトした直後で、最初の引き替えであった。

昨日の天気

TAVE= 3.0
TMAX= 6.4
TMIN= -0.5
DIFF= 6.9
WMAX= 5
SUNS= 5.2
RAIN= 0

以下本題。

雑草句録:ムクドリ

■ムクドリの枯れ木に群れて日の出待つ

ムクドリは夕暮れ頃に良く群れている。日の出の頃も同様だった。多分集団防衛なのだろう。

○魚鳥の心は知らず年忘れ     芭蕉

Google検索:約 22,200 件。方丈記を念頭に作られた句だとの事。魚鳥の心はいざ知らずとも、気心が知れた仲間との忘年会は格別だという解釈がある。

■何万回食った記憶もただ一つ