2013年1月1日火曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.8 13:22。ざっそう句:紅白で ヨイトマケの唄 流れ聞く。老人モードで年賀状作成の続き。残りも何とか年内に投函できた。手書きの文面作成も単調なので消しゴムで漢字一文字のスタンプを作った。宛名の一人一人に思い出があり、関係も異なる。まさに一期一会。今年はもう一歩老人力を開拓しよう。小さな発見・大きな感動。
2012年12月31日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 6.8 | |
TMAX= | 11.4 | 最高気温(℃) 11.8 13:22 |
TMIN= | 0.3 | 最低気温(℃) 0.2 23:58 |
DIFF= | 11.1 | |
WMAX= | 8.2 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.3(西北西) 01:08 |
SUNS= | 8.4 | |
RAIN= | 0 |
Q
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寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後(改題):「ヨイトマケの唄」から思い出した幼少時の記憶など
自分の幼少の頃の様子を見てきたように話す人がいるが、どこまで正確なのか。自我・自己認識が出来るようになってある程度、自己を客観視できるようになるのではないか。それ以前の自分の姿は、他人から話を聞く位しか手がかりがない。
母から聞いた話では、自分が幼少の時、新宅が新築中で、地業工事で「ヨイトマケ」のかけ声の「エンジャ~ラヤー」とかいう声をマネていたとの事だ。当時の家庭環境から、想像すると、母は工事現場でお茶出しや「ヨイトマケ」の綱引きをしていたのではないかと思う。曾祖母が子守役で、工事現場まで自分を連れてきて工事の見物をしていたような構図が頭に浮かぶ。
「ヨイトマケの唄。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84。(最終更新 2012年12月31日 (月) 13:48 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」とある。
追記(2013/1/1):WIKIPEDIAの最新記事(最終更新 2012年12月31日 (月) 17:56 )に以下の記事=
「なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。
歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[4]であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)[5]。」がある。
家の基礎の地固めをする装置を、子供の頃「ヨイトマケ」と言ったか覚えていないが、遊びの中で「かあちゃんのためなら、えんや~こら」とか言った記憶はある。「ヨイトマケ」に関しては、以下の記事に書いた。
「ヨイトマケの記憶(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-4fdb.html)(2008/11/9)」。「読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/2002-9f3b.html)(2011/12/25)」
「読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/1983-52fc.html)(2011/12/14)」個人の記憶、人類の記憶、生命の記憶底には失われた連鎖がある。
報道やメディア、更には行政までも、人権や差別に関する言葉の使い方に注意が払われている。2012年NHKの紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」が流れたのは、新しい時代の夜明けをを告げているのか。YOUTUBE「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg&hl=ja&gl=JP)」
原ファイル名=「IOB_2017_MOV_DELETED動画削除20171204.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
追記(2017/12/04):以下の動画を追記
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寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後
自分の幼少の頃の様子を見てきたように話す人がいるが、どこまで正確なのか。自我・自己認識が出来るようになってある程度、自己を客観視できるようになるのではないか。それ以前の自分の姿は、他人から話を聞く位しか手がかりがない。
母から聞いた話では、自分が幼少の時、新宅が新築中で、地業工事で「ヨイトマケ」のかけ声の「エンジャ~ラヤー」とかいう声をマネていたとの事だ。当時の家庭環境から、想像すると、母は工事現場でお茶出しや「ヨイトマケ」の綱引きをしていたのではないかと思う。曾祖母が子守役で、工事現場まで自分を連れてきて工事の見物をしていたような構図が頭に浮かぶ。
「ヨイトマケの唄。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84。(最終更新 2012年12月31日 (月) 13:48 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」とある。追記(2013/1/1):WIKIPEDIAの最新記事(最終更新 2012年12月31日 (月) 17:56 )に以下の記事=「なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[4]であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)[5]。」がある。
家の基礎の地固めをする装置を、子供の頃「ヨイトマケ」と言ったか覚えていないが、遊びの中で「かあちゃんのためなら、えんや~こら」とか言った記憶はある。「ヨイトマケ」に関しては、以下の記事に書いた。
「ヨイトマケの記憶(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-4fdb.html)(2008/11/9)」。「読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/2002-9f3b.html)(2011/12/25)」
「読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/1983-52fc.html)(2011/12/14)」個人の記憶、人類の記憶、生命の記憶底には失われた連鎖がある。
報道やメディア、更には行政までも、人権や差別に関する言葉の使い方に注意が払われている。2012年NHKの紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」が流れたのは、新しい時代の夜明けをを告げているのか。YOUTUBE「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg&hl=ja&gl=JP)」
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追記(2017/12/04):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトルを変更して、再読。YOUTUBE動画へのリンクは
ZZZ2_YOUTUBEで懐メロ鑑賞
動画の中からからコピペ。BLOG ED進歩したのか記事内動画再生になった。