06C1_蚕種で栄えた島村
06C1_蚕種で栄えた島村
1.田島邸
養蚕も科学的に突き詰めて行けば蚕種の良否が繭の品質と生産量を支配することが分かってきたのが明治時代頃だろう。養蚕にも和魂洋才という流れがあっただろう。単なる繭生産の養蚕から蚕種の生産へ転換した所に島村の養蚕革命があるのだろう。二階の櫓は通気を良くするための設備であるが閉鎖されていた。単なる邸宅兼養蚕施設と見るより、蚕種生産施設と見ると感慨深い物がある。植物(農業)でも、工業でもSEEDS(種子、工業では特許、ノウハウ等を含む)という、リスクはあるが前工程の付加価値は高いのだろう。邸内には当時を語る物が色々あった。井戸の隣に大きなソテツがある。多分何かの歴史が残っているだろう。関連記事:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/post-4a54.html。(DSC=2011/12/3)
2.島村の一風景
左はJA佐波伊勢崎旧島村支所。最近JA佐波伊勢崎管内では支所統合が行われている。右は境島小学校。中は境島小学校内の片隅にあった二宮金次郎像。逆光で写りが良くない。境島小学校はかつて日本の教育者斎藤喜博が教鞭を執った学校との事だ。「斎藤喜博;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%96%9C%E5%8D%9A;(最終更新 2010年10月14日 (木) 06:46)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年3月20日 - 1981年7月24日)は群馬県出身の日本の教育者。元宮城教育大学教授。群馬師範(現群馬大学教育学部)卒。また、早くからアララギ派の歌人としても活躍し、ケノクニ選者をながく務めた。歌集『職場』などの短歌はすべて彼の師である土屋文明の選を経ている。著書の多くは国土社から刊行されている。斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。」とある。(DSC=2011/12/3)
読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/11/post-37c9.html
「桜とニノキン url=http://blogs.yahoo.co.jp/sakurajinyapoo/9696171.html」というBLOGがあった。なかなか良い画像が乗っている。駆け足で撮った上の写真であるが同じ場所にあるのあろうか。現在はどうも校庭の隅で学校の方に尻を向けて辛うじて生き残っているように見えてしまうのだ。