09D1_群馬県令楫取素彦がつなぐ吉田松陰と高山彦九郎
09D1_群馬県令楫取素彦がつなぐ吉田松陰と高山彦九郎
平成23年に起きたマグニチュード9.0という巨大な東北地方太平洋沖地震により、日本は大地震災害、大津波災害、東京電力福島原発事故災害という、3.11三大災害に直面した。この年は政治も経済も行き詰まり国民の意識には不安と閉塞感が充満した。そこには、あたかも明治維新前夜の江戸時代末期や第二次世界大戦末期に通じる世相が出現していたように思われる。幸い、日本が崩壊・沈没せずに、これまで持ちこたえられたのは、それらの災難を味わった体験の記憶が残り、それらの災難から学習した効果が、持続していたからではないか。
今年は、群馬県の初代県令で、群馬県の発展、近代化に尽くした楫取素彦没後100年にあたる。明治初期は、明治維新、和魂洋才、文明開花と今日の日本に向かうレールを敷設した時代とも考えられる。今後の日本を考えるにも、先ず志が無ければ浮き草ののようになってしまい、行き先は定まらないであろう。
たまたま、渋川市の御蔭松と楫取素彦の名前が刻まれた御蔭松の石碑に遭遇して、時代の英傑高山彦九郎と吉田松陰が楫取素彦を介して並々ならない深い関係で結ばれているのではないかと想像した。更に調べてみると、平成25年は高山彦九郎没後220年、平成26年は吉田松陰没後155年という節目になる。何と楫取素彦、高山彦九郎、吉田松陰と三年連続で、深い縁で結ばれた英傑の節目の年が巡ってくるのも不思議だ。群馬県人が、百年後、二百年後の群馬を真剣に考えるとき、これらの先覚者の事跡を振り返る意義は大きいのではないか。明治時代の国造りは、平成後半の国民の復興にも通じるのではないか。
参考のため、「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(1)~(6)」の記事へのリンクを設定した。(2012/3/24)
(1)「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(1)」http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-769b.html
(2)「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(2)」http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-db3a.html
(3)「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(3)」
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-d0fd.html
(4)「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(4)」
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-f7fe.html
(5)心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(5)
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-0718.html
この項に、ランキング入りした時の追記等を加えてある。
(6)「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(6)」
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-a33c.html
(7)「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(7)」
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/03/post-9850.html
追記(2015/3/11):「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(7)」(2014年3月18日 (火))のページに御蔭松の碑の碑文抜き出しを記載しているが、まだ解読不明の漢字が残っている。