読みかじりの記:「食のクォリア」 茂木 健一郎 著 (2006年 青土社)
2011/10/10
昨日は晴天。午前は畑の手入れ。2008年に切った花水木の根を除去。幹は地上から20~30㎝で切ったが、地面から出ているので作業の障害になっている。根が腐っていればカケヤで叩けば倒れるだろうと実験。引き抜けた根、引き抜けない根、折れた根等々色々であった。3年間では根が十分抜けやすくなるまで腐らせるに不十分だった。1.5~2.0mで幹を切って根が腐ったらテコの原理で倒して引き抜く方が楽なようだ。腐るまで4~5年かかりそうだ。午後は下草刈り続き。苗救出。栗拾いetc。
2011/10/9の天気
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2011/10/7の天気
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asahi.comは、「アップル前CEO、スティーブ・ジョブズ氏死去 56歳;url=http://www.asahi.com/digital/pc/TKY201110060120.html(2011年10月6日13時42分)」というタイトルで、「米アップルを創業し、同社を時価総額世界一の企業に育てたスティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(CEO)が5日、死去した。56歳だった。パソコン、デジタル音楽販売、スマートフォン(多機能携帯電話)、コンピューター・グラフィックス(CG)映画など、IT関連産業で数多くの新製品や新サービスを生み出した。 」と報じた。
コンピュータは20世紀を特徴付ける大きな発明だ。しかし、そのコンピュータ全体は小さな発明や創作の集合体である。そのコンピュータが多くの人を引きつけたのは、人間の能力と機械の能力との関係であったろう。コンピュータを作ることにより人間の脳の仕組みも見えてきた。最近の自動車には沢山のマイクロプロセッサーが使われている。これからはコンピュータは益々見えない存在になってゆくだろう。また日用品のレベルに近づいて来る。10年、20年後のアップルはどうなっているだろうか。
読みかじりの記:「食のクォリア」 茂木 健一郎 著 (2006年 青土社)
「食のクォリア」をGoogle翻訳したら「Food Kuoria」と出た。この漢字の「食」がくせ者で、大体、この「食」の意味をはっきり限定しないと落とし穴に落ちる。漢字源で調べると、元々の意味が動詞で「食べる」。それが抽象化されて食物云々という名詞の表意文字としてのイメージがふくらんでいったようだ。一筋縄で一刀両断にできないのが食の悩ましい問題だ。
「茂木 健一郎 ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E;(最終更新 2011年10月6日 (木) 12:07)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「茂木 健一郎(もぎ けんいちろう、 1962年10月20日 - )は、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別研究教授。学位は博士(理学)(東京大学・1992年)。血液型はO型。」とある。
「食」に関するコメントは際限がない。一日三食。人生50年一人で5万5千回も休み無く食べる。著者の言う「クォリア」を著者は(質感)と言い代替えしている。「質感」だとピンキリまで範囲が広すぎるのか、「クォリア」という言い直しで、概念を化粧直ししているようにも見える。「質感」ならば常識的な成人ならなんとか意味を把握できるが、「クォリア」と言われたら、常識的な成人は何の事か分からない人が多いのではないか。
著者の「茂木健一郎 クオリア日記(url=http://kenmogi.cocolog-nifty.com/)」には「クオリア(感覚質)を鍵として、脳科学をやっています。」とある。質と量は異なった概念だがどこかで繋がっているように感じる。量から質への転換という言葉も言い古されている。本書の中にも、生存のための食、歴史、社会、習慣等が材料となり、著者流に料理されている。食に関する「思い出せない記憶」の研究も、自分として興味を持つ。著者は脳科学をやっているので、もっとむちゃくちゃな、非科学的な仮説でも結構だから、もっとこれが自分の言う「クォリア」だと示してくれると面白いと思う。
上記著者のブログで著者は、「ジョブズは、醜い技術の世界を、美しくした;(2011/10/07)」というタイトルで、「ニューヨークタイムズに引用された言葉に、「ジョブズは、醜い技術の世界を、美しくした」(“R.I.P. Steve Jobs. You touched an ugly world of technology and made it beautiful.”)とあった。ぼくの気持ちもそうだ。コンピュータの世界は、醜い技術、正確に言えば、美的なセンスなどどうでもいい、という人たちがつくる技術に支配されていた。」とアップルのS.ジョブズの死を悼んでいる。
「クオリア;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2(最終更新 2011年9月24日 (土) 10:21)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「クオリア(英:複数形 qualia、単数形 quale クワーレ)とは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと[2]、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう[3]。日本語では感覚質(かんかくしつ)と訳される。」とあり、著者独創の概念ではなさそうだ。
「クオリア」が正しいのか「クォリア」か。この文では混用している。日本は言い換え、使い捨て文化で言語に関して極めて底が薄い感じを常に持っている。一種の流行語で、10年後にはその残骸しか残っていないようでは残念だ。
10万回何事もなく食べて死ねればそこには「本当の食」があった事にはならないか。そこから、その本質を抜き出すことにより本当の食の質感が得られるのではないか。食の質の本質を極める努力は必要だが、流行に乗ったり、言葉に酔っては危険だ。たったの百年で人間の食は大変貌してしてしまった。現代人はその激動の中で食うために夢中だ。自分達の青年時代は食は貧しかったが、パンのみに生きるにあらずとか、働かざる者食うべからずとか真剣に考えた。著者は衣食足った時代を生きてきたのか。
最近冷やかしにGoogle翻訳を試用している。原文と訳文を比較してみると、訳文にはそれとなく原文の風味は感じるが、全体の風味は今ひとつだ。自分としてはGoogleの翻訳アルゴリズムを知りたい所だ。WEB上の膨大なデータを適当に加工するともっと原文に似た訳文ができるようになるのか。もっと言えば、WEB上の全ての単語と文章に適当なパラメータを与えるともっと原文に近い訳文ができるのか。冷やかしができない訳文が出てきたら恐怖だ。S.ジョブズはコンピュータ界の孤独な芸術家でGoogleのコンピュータ技術者はその逆なのか。食もコンピュータも10~20年後は大変貌しているかもしれない。しかし、コンピュータは変わる運命にあっても何の不思議もないが、食はどうなるか。不安が一杯だ。