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2012年3月13日

2012年3月13日 (火)

東北の海よ:ニューヨークタイムズが伝えた3.11東北三大災害

2012/3/13(火)
昨日は晴れ。風が強く寒い日だった。午前は資材加工。午後は仲間二人で修理作業。更に二人応援が来た。ともかく、寒風の中の作業だったが、人数が多いと元気が出てくる。寒くともスギ花粉は飛ぶとの事でマスク着用。昨年は花粉の飛散が特に多い年とされていたが、東京電力福島原発事故で、放射能の危険が増大した。その予防でマスク着用が多かったのか、花粉症はほとんど感じなかった。昨年の3.13のブログでは原発事故の事を書いているが。まだ、その深刻さを意識していなかったようだ。「環境雑録:巨大地震による原子力発電所の事故。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/03/2011.html。」

2012/3/12(月)の天気

TAVE= 3.9
TMAX= 9.1 最高気温(℃)   9.5  12:47
TMIN= -0.2 最低気温(℃)   -0.6  06:11
DIFF= 9.3
WMAX= 8.5 最大瞬間風速(m/s)   17.3(西北西)  12:15
SUNS= 9.3
RAIN= 0

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東北の海よ:ニューヨークタイムズが伝えた3.11東北三大災害

3.11から一年を迎えて、世界はこれをどのように報じているのか。たまたま覗いたNY TIMESに次の記事があった。By HIROKO TABUCHIという署名記事である。かなりの長文で読むのが大変。細切れにして、Googleで翻訳した。機械翻訳なで「超訳」的な部分もあるが、英文記事が伝えようとする内容は、これを手がかりに解読する以外にない。

「Effects of Japan’s Disaster(追記:An Anniversary of ‘Heartbreaking Grief’ in Japanに変更/2012/3/13)」というタイトルだが、3.11の地震、津波、原発事故という巨大な災害三重奏の及ぼす影響についての記事。翻訳では、それが「まだアンフォールディングしています」とちょと意味がとりにくい。「日本の巨大災害の影響ががぞくぞく明らかになる」という意味だろう。被災から一年経ち、ようやく被災直後の様子が分かってきた事が多いだろう。

この記事は、浪江町の被災者と被災者が死亡に到った原因について報告している。浪江町では、避難者は津波からの避難と原発からの避難の両方を考える必要があった。もし、原発が無かったら、助かっていた人もいたはずだ。福島原発事故で、放射能被害を怖れて、捜索や立入が禁止・断念され、遺体収容が遅れた。その後の捜索で、収容した遺体の調査をすると、津波による死亡と異なり、餓死や衰弱死が死亡の原因と判断された例があることを伝えている。

先日聞いた講演で、気仙沼市の観音寺住職は、地震・津波の時は「てんでんこ」が、被災を避けるのに重要だと話された。「てんでんこ」とは、各々自分自身でという意味。一度、自分自身は逃げることができても、親のことを思い、親の救出に向かって、被災した人が多いと話した。親よりも若い人が多数被災していると聞いて、改めて絆とは何かと思う。親子、親族という絆ほど強いものはないだろう。災害の時は、逃げるのは「てんでんこ」にして、家族が集まる場所を決めておいて、そこで再会して下さいと話す。お互いに探し合う事で、二次災害の心配もある。

NY TIMESの記事はかなり詳細に、3.11三大災害発生後の一年を伝えていると思う。放射性物質の飛散状況を当局が直ちに公表しなかったため、放射能が高い方に向かって避難した例も述べられている。また、以下の記事は、放射能が具体的にどの程度の強度かが分かっていれば、救援隊が救援に向かい、被災者は助かっていたかも知れないことを伝えている。

「Last week, the police in the Futaba-gun region of Fukushima, which includes the damaged Fukushima Daiichi Nuclear Power Station and the town of Namie, confirmed that a handful of tsunami survivors trapped in the rubble probably starved to death as rescuers fled the scene for fear of radiation. 先週、破損した福島第一原子力発電所と安室奈美恵の町が含まれています福島の双葉郡地域の警察は、救助者が使用するシーンを逃れたとして、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者の一握りのは、おそらく餓死していることが確認放射線への恐怖。(先週、破損した福島第一原子力発電所と浪江町を含む福島県の双葉郡地域を管轄する警察は、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者中には、救援隊が放射能の恐怖から現場を退散したので、取り残された何人かが、多分餓死したと思われる事を確認した。)」

多分、この著名なNY TIMESの記事は英語なので、世界中多数の読者がいると思う。3.11の三大災害を機会に、世界は日本に注目している。日本は世界に向けても情報発信をしてゆく責任があるのではないか。政府は3.11の三大災害対応の会議議事録の作成をしていなかったと報道されている。しかし、日本の官僚は魂を悪魔に売る程堕落はしていないと信じたい。何年か後に、その議事録の存在が明らかになれば、まさに巨大な官製隠蔽談合があった事になる。日本の3.11の三大災害対応の議事録は、世界の災害対策のバイブルにもなるのである。しっかりせよ、日本のジャーナリスト。これからが正念場ではないか。

以下は参照したNY TIMES記事とそのGoogle翻訳。機械翻訳の実力・現状を知るためにも参考になる。
*********************************************
Effects of Japan’s Disaster Are Still Unfolding(Google翻訳:日本の災害の影響がまだアンフォールディングしています)
By HIROKO TABUCHI
Published: March 11, 2012
http://www.nytimes.com/2012/03/12/world/asia/a-year-later-effects-of-japans-disaster-are-still-unfolding.html

NIHONMATSU, Japan ― Nobody knows whether Hiroshi Yokoyama’s elderly parents tried to outrun the tsunami waves that engulfed their home in Namie on the Fukushima coast a year ago. But Mr. Yokoyama does know that he would have searched for them high and low, if not for a second disaster that unfolded at the nuclear power plant just a few miles away, forcing him to abandon his search.

Google翻訳(以下同様):「二本松市、日本 - 誰も横山宏の高齢者の両親が年前に福島県の海岸に安室奈美恵に彼らの家を巻き込んだ津波の波を逃れることを試みたかどうか知りません。しかし、横山氏は、彼が彼の捜索を断念することを強制、ハイとロー、そうでない場合、わずか数マイル離れた所原子力発電所で繰り広げられる二次災害のためにそれらで検索しましたことを知っています。」

As grieving families across the nation gathered Sunday to mark the one-year anniversary of Japan’s 3/11 disasters ― an earthquake and tsunami that ravaged the northeastern coast, killed almost 20,000 people and caused a huge nuclear radiation leak ― some communities are still coming to terms with the calamity’s scale, complexity and lasting effects, and painful new revelations have shed light on how some of the victims died.

北東部の沿岸を荒らし、ほぼ20,000人が死亡し、巨大な核の放射能漏れを引き起こした地震と津波 - - 全国家族を悲嘆としての日本の3月11日の災害の1周年をマークするために日曜日に集まっいくつかのコミュニティは、まだに来ている災害の規模、複雑さと持続的な効果、痛みを伴う新たな啓示との用語は、犠牲者の何人かが死亡した方法に光を当てるしています。

Last week, the police in the Futaba-gun region of Fukushima, which includes the damaged Fukushima Daiichi Nuclear Power Station and the town of Namie, confirmed that a handful of tsunami survivors trapped in the rubble probably starved to death as rescuers fled the scene for fear of radiation.

先週、破損した福島第一原子力発電所と安室奈美恵の町が含まれています福島の双葉郡地域の警察は、救助者が使用するシーンを逃れたとして、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者の一握りのは、おそらく餓死していることが確認放射線への恐怖。(先週、破損した福島第一原子力発電所と浪江町を含む福島県の双葉郡地域の警察は、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者中には、放射能の恐怖から救援隊が退散したので、取り残された何人かが多分餓死したと思われる事を確認した。)

A month passed before rescuers started to  venture back into the 12-mile-radius exclusion zone set up around the nuclear plant; the bodies of Mr. Yokoyama’s parents were not discovered until the summer.

救助者が原子力発電所の周囲に設置されている12マイルの半径の除外ゾーンに戻って冒険を開始する前に、月が渡され、横山氏の両親の遺体は夏まで発見されていませんでした。

“If only there was no nuclear power station, lives could have been saved,” Mr. Yokoyama said. He thinks, and hopes, that his parents were quickly overpowered by the waves, and avoided the drawn-out deaths that some around them may have suffered.

"は原子力発電所がなかっただけの場合、命が救われたかもしれない"と横山氏は述べています。彼が考え、希望、彼の両親がすぐに波に圧倒され、彼らの周りの一部が苦しんでいるかもしれない長引く死亡を回避したこと。

A year later, Mr. Yokoyama, his wife, and two young children are still unable to return to their home on the shore. They observed the anniversary in Nihonmatsu, a city about 35 miles away, where a group of Namie townspeople now live.

一年後、横山氏、彼の妻、そして2人の幼い子供は、まだ岸に自宅に戻ってすることはできません。彼らは安室奈美恵の町民のグループが今住んでいる二本松市、離れて35マイル約市で記念日を観察した

“If only there was no nuclear power station, we could all go home,” Mr. Yokoyama said.

"は原子力発電所がなかっただけならば、我々はすべての家に帰る可能性がある"と横山氏は述べています。

Across the country on Sunday, there were hundreds of memorial services like the one in Nihonmatsu. Prime Minister Yoshihiko Noda, in a nationally televised address, pledged to work for a faster recovery.

日曜日に全国で、追悼式の何百もの二本松市のものと同様であった。内閣総理大臣野田佳彦は、全国的にテレビ演説で、迅速な復旧のために働くことを誓った。

“We shall not let our memory of the disasters fade, pay attention to disaster prevention and continue our effort to make this land an even safer place to live,” he said.

"我々は、災害フェードの私たちのメモリは、防災に注意を払うと、この土地に生きるにも安全な場所にする努力を継続させることができない"と彼は言った。

Japan’s reconstruction has accomplished much in the past year. Virtually 100 percent of the tsunami zone’s roads have been fixed, and landscapes once strewn with debris now are lined with tidy plots and a growing number of restored buildings. Severed supply chains have been re-established, and many of the region’s devastated fishing ports are back in service.

日本の復興はこの一年間で多くを達成した。実質的に津波ゾーンの道路の100%が固定されている、一度破片が散らばって風景は今きちんとプロットと復元建物の増加が並んでいます。切断されたサプライチェーンを再確立し、地域の荒廃した漁港の多くは、バックサービスであるされています。

But the still-evolving story of the towns like Namie is a painful reminder that the three-pronged onslaught of earth, sea and radiation that hammered the country a year ago was no ordinary disaster.

しかし、安室奈美恵のような町の、まだ進化の物語は地球の3方面からの猛攻撃は、年前に国を打ち出し、海や放射線は普通の災害なかったという痛い思い出させてくれます。

The tsunami waves that crashed into Namie not long after the 9.0 offshore earthquake at 2:46 p.m. that day swept entire houses out to sea, witnesses said.

ない長い一日が海に出て全体の家を掃除したことが14:46で9.0沖地震後の安室奈美恵に墜落した津波は、目撃者は述べています。

By nightfall, rescuers reached some of the worst damage in the town’s Ukedo District. In the pitch blackness ― the town’s power supply had been knocked out ― they heard taps and voices, possibly survivors under the mangled debris.

日暮れによって、救助者は、町のUkedo地区の最悪の被害の一部に達した。ピッチ暗闇で - 町の電源がノックアウトされていた - 彼らはマングルされた残骸の下でタップ、おそらく声、生存者を聞いた。

But as darkness enveloped them, the rescuers decided to suspend their search until dawn.

しかし、闇に包まれ、それらのように、救助者は夜明けまで、検索を中断することを決めた。

“We told them we would be back,” Kimihisa Takano, a neighborhood firefighter. “But we never did.”

"我々は戻ってであろう彼らに言われた。"公久高野、近所の消防士。 "しかし、我々は行ったことはありません。"

Mr. Takano instead found himself helping evacuate the town, after reports of a radiation leak from the nearby nuclear plant. But the town owned only a handful of microbuses and other vehicles to get residents out. As news spread of the unfolding nuclear crisis, commercial bus companies refused to travel to Namie, slowing the evacuation.

高野ではなく、近くに原子力発電所からの放射能漏れの報告の後、自身が町を避難させる助けた。しかし、町にはマイクロバスや住民を得るために他の車両のほんの一握りを所有していた。ニュースは展開の核危機の広がりとして、商用のバス会社が避難を遅らせ、安室奈美恵に行くことを拒否した。

(Page 2 of 2)

With no guidance from Tokyo Electric Power Company, the nuclear plant’s owner, or the central government, town officials led evacuees north, believing winds were blowing the radiation south. They would later learn they had fled right into the path of the radiation plume, despite the existence of government simulations that could have pointed them to safety instead.

東京電力、原子力発電所の所有者、あるいは中央政府からの指導のもと、町職員が信じている風が放射線の南を吹いていた、北避難を導いた。彼らは後に、彼らが代わりに安全にそれらを指摘していることが政府のシミュレーションが存在するにもかかわらず、放射線プルームのパスを右に逃げた学びました。

All the while, residents pushed for rescuers to return to Namie to resume their search for missing loved ones. “They were telling us, ‘What are the police for?’ ” said Takashi Sato, a police officer for the Futaba-gun region and a native of Namie, who fielded some of those calls. “But there was no way we could have carried out full-blown searches with radiation so high and the plant so volatile.”

その間、住民は行方不明の愛する人のために検索を再開するには、安室奈美恵に戻るには、救助のためにプッシュされます。 "彼らは'のために警察は何ですか?"、私達に言った "佐藤隆、双葉郡地域の警察官と、それらの呼び出しのいくつかを擁立安室のネイティブは言った。 "しかし、我々は非常に高い放射線など揮発性の植物で本格的な検索を行ったかもしれない方法はありませんでした。"

When Mr. Sato and his colleagues finally entered the 12-mile exclusion zone for a search mission in April, there were no survivors. Four bodies were discovered at a still-intact hospital in Okuma, next to Namie; an elderly man was found dead on the undamaged second floor of his house, according to Mr. Sato.

佐藤氏と彼の同僚は、最終的に4月の検索ミッションのために12マイルの排他ゾーンに入ったとき、生存者はありませんでした。四体は、安室奈美恵の隣に、大隈にまだ無傷の病院で発見された、老人は、佐藤氏によると、彼の家の無傷の二階で死んで発見されました。

They are all presumed to have died of causes other than the tsunami, probably starvation, Mr. Sato said.

彼らはすべての津波は、おそらく飢餓以外の原因で死亡したものと推定され、佐藤氏は述べています。

There are signs that victims in other towns and cities around the Daiichi plant, 160 miles north of Tokyo, suffered a similar fate. Ryuzaburo Shineha, a doctor based in Minamisoma who helped examine bodies pulled from the tsunami wreckage there, deemed that five out of 34 bodies he handled had died from debilitation.

第一工場、東京の160マイル北、周りに他の町や都市で被害者が同じような運命に見舞われている兆候があります。三郎Shineha、そこに津波の残骸から引き出された遺体を調べました南相馬市に本拠を置く医師は、彼が扱わ34体のうち5人は衰弱で死亡したものとみなす。

“Their bodies were unnaturally thin, suggesting that they likely had nothing to eat or drink for a long time,” Dr. Shineha said. “We concluded that they survived for some time after the tsunami, but became debilitated.

"彼らの遺体は、彼らがそう食べるか、または長い時間何も飲まなかったことを示唆し、不自然に薄いた"と博士はShinehaは言った。 "我々は、彼らが津波後しばらくの間生き延びたことが、衰弱した。

“Radiation doesn’t kill you straight away, but these people were literally dying. The authorities should have gone in to rescue them.”

"放射線はすぐにあなたを殺しませんが、これらの人々は文字通り死んでいった。当局は彼らを救うために行っているべきです。 "

In all, 1,605 people have been confirmed dead in Fukushima, and 214 remain missing and are presumed dead.

すべてでは、1605人が福島県で死亡が確認され、214は行方不明のままで死んだと推定されてきた。

Even as the area’s evacuees awaited news of their relatives, towns and cities there splintered. The 20,000 former residents of Namie are now scattered across 620 towns and cities in Japan, according to town officials. Five other jurisdictions around the Fukusima Daiichi plant remain evacuated.

地域の避難者がが分裂し、親戚、町や都市のニュースを待っていたとしても。安室奈美恵の20,000元の住民は、現在の町の当局者によれば、620の町や日本の都市に散らばっています。福島第一発電所周辺の5つの他の管轄区域では避難のままです。

The government has acknowledged that some areas near the plant may be uninhabitable for decades.

政府が工場の近くにいくつかの地域は何十年も住めないかもしれないことを認識しています。

More recently, some residents have been allowed on several visits to their tsunami-ravaged homes. When Kazuhiro Shiba, 48, returned to his home in Namie in June, he found a ship blocking his front door.

最近では、一部の住民は、その津波で荒廃した家庭には、いくつかの訪問で許可されています。和弘芝、48年6月に安室の自宅に戻ったとき、彼はフロントドアをブロックして船を発見しました。

Mr. Shiba has no illusions about ever moving back. “We’re just lucky to be alive,” he said.

氏芝はこれまで戻っての移動に関する幻想を持っていません。 "我々は生きているだけでも幸運"と彼は言った。

At the Namie memorial service in Nihonmatsu, bereaved families lined up to lay white chrysanthemums at an elaborate altar. Two Buddhist priests chanted funeral rites.

二本松市の安室奈美恵の追悼式で、遺族は、精巧な祭壇に白い菊を築くために並んでいた。二つの仏教の僧侶は、葬儀を唱えた。

“Our search for survivors was delayed by a full month,” said Eiko Yoshida, a Namie native and a member of Fukushima’s prefectural assembly. “When I think of the suffering endured by the victims and their families, I am overcome by a heartbreaking grief.

"生存のために我々の検索は、完全な月の遅れで表示されました"と英子吉田奈美恵ネイティブと福島の県議会のメンバーは述べています。 "私は被害者やその家族が耐え苦しみを考えるとき、私は悲痛な悲しみによって克服しています。

“We experienced three disasters all at once. Never has this happened in the world.”

"我々は、一度に3災害を経験しました。これは世界で起こったことがない。"

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追記(2014/3/13):
『東北の海よ:ニューヨークタイムズが伝えた3.11東北三大災害』が当サイトのランキングに入ったのでメモしておく。この記事が読まれたのは、先日、「東北三大災害」災害発生以来3年目を迎えて、検索エンジン経由でこの記事を探したものと推測する。その日は、外出して他市の見知らぬ通りを歩いていた。東北地方太平洋沖地震が発生した時刻が近づくにつれ、黙祷のサイレンが聞こえてくるかもしれないと思った。その前に、屋外スピーカーから、「一分間の黙祷」をお願いしますという声が聞こえた来てきた。丁度、川の辺で、風も強く、スピーカの音は雑音に埋もれながら、山びこのように聞響きわたった。それをICレコーダーで録音。更に駅に向かって歩くと、何やら消防署らしい建物があった。消防車もあり、屋上には無線アンテナが立っていた。そこでICレコーダーを突き出して黙祷の時刻をまった。偶然にも、消防署の前に来ていたのだった。道路を挟んで対岸にいたので時々自動車が通っていた。フリーの音声処理ソフトで二本のファイルを加工して、最後的に一本に連結した。ICレコーダーで録音しながら黙祷した。

音の風景:
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0a1_SOUNDS_FUUKEI.html

(3)東日本大震災、東北三大災害犠牲者追悼の黙祷2014年
SOB_GISEISYA_MOKUTOU_2014311_SIBUKAWA_2M41S.mp3をダウンロード
ファイルサイズ:1.84 MB (1,933,312 バイト)
時間:約2分41秒。
採録:2014年3月11日(東北地方太平洋沖地震発生時刻)。
場所:群馬県渋川市消防署前(前半:黙祷を呼びかける放送+後半:消防職員の黙祷)

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    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
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