06B_昭和萬葉集

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2010年4月 4日 (日)

辞世:いとしきもの

2010/4/4

辞世

誠心(まごころ)は天知る地知る人も知る我死して後我も知るらん

昭和萬葉集3巻。二・二六事件 辞世の区分にあった短歌である。二・二六事件は日本人に

どのような影響を与えてきたのか。確かに、学校教育で教えた歴史が先ず脳裏に残っている

のであろう。自分は高校の時、日本史を選択から外した。母が神武天皇から歴代の天皇名

を暗記して、時にはその冒頭部分を復唱したのを聞くと複雑な感情を抱いた。日本史なら

ば、その気になればいつでも勉強できるだろうと楽観していた。年号を暗記するが苦手なの

は父譲りであったのかも知れない。ともかく、二・二六事件の歴史も義務教育で教えられた程

度で、余り鮮明な記憶がない。昭和萬葉集3巻の欄外に二・二六事件の解説があり、改めて

その概要を知った。教育とは教えられないものを学ぶ能力を身につけることが究極的な目的

であろう。日本の中で軍隊とはという問いかけに未だ統一的な国民合意が形成されていない

ように感じざるを得ない現実が今も続いている。この歌の作者は明治末の生まれ。二・二六

事件に係わったのはまだ二十才代であった。末尾の人名記事を検索すると結婚の直後に事

件が起きている。父も軍人という事である。そのような身の上の作者が残した辞世の歌で相

当の歳月を経てから発表されたようだ。獄中で作った歌のようである。我死して後我も知るら

んという後段に作者の心情が込められているように感じる。作者は二十代の軍のリートとして

先頭に立ったようだ。自分が本当の誠心(まごころ)を知るのは自分が死んでからなのだろう

と語る所から青年将校の複雑な心境が読みとれるようにも感じる。そのような可能性はすで

に絶たれているのは承知の上だろう。自分の行動を理解して欲しいという悲痛な叫びのよう

にもとれる。辞世はその作者の最後のメッセージであろう。それを感じ取るのは残された者

の役割だ。吉田松陰が処刑されたのが30才の時。その辞世の歌を調べてみた。

その辞世は: 身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

2010年4月 3日 (土)

くろいもの:いとしきもの

2010/4/3

くろいもの

悲痛な 革命の日の 想念よ。赤い燐寸(マッチ)の軸が 折れてゐる。
およそ くろいものほど ひかる。いましめられる 非常時の なにとない をののき

昭和萬葉集3巻。戦争の足音 憂鬱な時代の区分にあった短歌である。短歌の形式を破っ

ている。前の一首には句読点が二つある。後の一首の後段には句読点が無い。ここに作者

の心情が現れているのか。物事に守破離という段階があると学んだことがある。歌を詠むの

に指折り音数を数える。形式は守っても空疎な内容になってしまうのが凡人。形式は破って

も内容を盛り込む。そこに破の真髄があるのか。よく見ると語間に空白が埋め込まれてい

る。そこに単語一つ一つを必死に探して掘り上げようとしている作者の息づかいを感じる。作

者は理論物理学者の石原純であった。科学者、研究者として学界から去ったが、尚在野で

著作活動等を続けた。そうして、歌人としても活躍した。この二首を読むと時代の雰囲気だけ

ではなく、作者の人生の足取りまで、何重にも感じさせれてしまう。赤は革命を連想させる。

学者が恋に投じることはまさに精神の革命に思えてしまう。それは、その結末は世間では挫

折であるかに思われようが、成功する革命こそ極まれな事ではないか。折れてゐるという一

語にも万感の情が漂う。一方、実社会では二・二六事件が昭和11年に起きた。丁度、自分

の父が成人になる頃であった。この歌はその後に作られているようだ。作者はそれを一種の

革命と重ねているのであろうか。クーデターは鎮圧された。自分の人生とも重ねる。「およそ 

くろいものほど ひかる。」何気なく逆説的表現かなと感じたが、物理学を学んで黒体放射

(black body radiation)というの習った事を思い出した。物体はその温度に応じて光(電磁

波)を放出する。黒体が最も理想的な発光体であるという事実を歌人としてさりげなく述べて

いるようだが、その意味する所は深長であるように思える。逆説のようではあるがこれが真

理なのだ。しかし、黒と言ってもその仮想の物体は灼熱の温度に達した時に光って見えるの

だ。後の一首の前段。自然の法則としては真理だが、その法則は社会を照らさない。いや、

今がその時かも知れない。自然の法則を詠いながら、社会の不条理をさらりと述べる。後の

一首の後段は社会のなかで、おろおろとしているがとらえどころない人々の恐怖の心情を詠

うかのようだ。そこに句読点が無い。ここに作者の心情は離に達しているように見える。希望

なのか諦めなのか。自分の心情を通して何かを諫めようとしているのか。当然、作者がいま

しめられる訳でもないと思う。人間の避けることのできない本性を突き放して詠っているようで

もある。エートスとパトス、理と情の調和が理想だ。しかし、そこには常に葛藤が生じている。

たったの二首であるが、この歌は石原純というプリズムを通すことによりより深い味わいがで

るようだ。

2010年4月 2日 (金)

桑園:いとしきもの:昭和万葉集:身辺雑記:田舎老人徒然草:老人の寝言:嘘ニュース作って苦笑四月馬鹿。100402。

2010/4/2

昭和万葉集:身辺雑記:田舎老人徒然草:老人の寝言:嘘ニュース作って苦笑四月馬鹿

昨日は四月馬鹿であったが、余り話題がない。お茶友がいた。それならばと、その場で重大ニュースを作って皆で発表し合った。あの人が本当の事を語りました。この嘘ニュースは受けなかった。古狸に女がいました。この嘘ニュースはやや受け。ある人が化かしたのは女かいと突っ込みをいれて笑いを取った。お茶は終わっても、気持ちは最近の天気のように冷たくさえない。いとしきものというタイトルでブログを書いているが、古語辞典をたどると「厭う」という動詞にたどり着いた。いやだ、うとましいという心情を行動等に現わすことであろう。一面憂き世では子供・老人は厭うべき存在であった。しかし、その弱さに気付くと可哀相だという心情も生まれる。「いとほし」という、かわいそうだ、気の毒だ、ふびんだという関連語がある。言葉も時と共に移ろうようだ。きらきらと、明るく輝く言葉。「いとし」に「愛」を当てるのは最近のことなのか。「いとし」にも古い尻尾が付いていたようだ。ともかく、この世から姿をけしてゆくものには憐憫の情が湧いてくる。桑園もその一つであろう。

桑園

桑園に資本の威力おもはせてレイヨン大工場またたくまに建つ

昭和萬葉集3巻。華麗な都市文明 発展と変貌の区分にあった短歌である。

養蚕は農家の主要な収入源であった。しかし、絹が発展途上国から安価に輸入されるように

なり、採算は合わなくなった。絹がブラジルから入ってくるようになったほどだから、もう蚕もだ

めだなと父がつぶやいたのを忘れない。移民でブラジルに住んでいる友人が日本で自動車

関係の仕事についており、我が家を訪問した頃の記憶である。この自動車産業も栄枯盛衰

の流れにあるようにさえ思われてしまう。戦後、一時的に養蚕が好況の時があったがその後

は衰退の一途をたどった。既に産業遺産という段階になってしまった。今でも蚕屋があちこち

残っているが物置程度にしか使われていない場合が多いと思われる。しかし、既に昭和10年

代には化学繊維が大量生産され始めた事をこの歌は教えてくれる。荒れ野にレイヨン大工

場がたつのならまだしも、同じ繊維の絹を生産する原料を供給する桑園が取り崩されてゆく

光景に資本の威力以上の感慨も受けるのである。父は桑の木を掘り上げて、その後に花水

木を植えた。一時は公園や街路樹として、花水木の需要はあったが、今それを持て余してい

る。春になると遠くからもその花がみえる。せめてものなぐさめか。レイヨンは辞書に無かっ

た。レーヨンで引くと人造絹糸と出てきた。rayon。WIKIPEDIAによると「レーヨン (rayon) は

に似せて作った再生繊維であり、昔は人絹(じんけん、人造絹糸)、ステープル・ファイバーか

らスフとも呼ばれていた。レーヨンは光沢(仏:luster)と綿 (cotton) を組み合わせた言葉であ

る。(英語版:Rayon is a manufactured regenerated cellulose fiber. Because it is

produced from naturally occurring polymers, it is neither a truly synthetic fiber nor a natural

fiber; it is a semi-synthetic fiber.[1] Rayon is known by the names viscose rayon and art

silk in the textile industry. It usually has a high lustre quality giving it a bright sheen.)」

レーヨンの原材料の繊維自体は自然物であるようだ。それを化学工業的に繊維する。科学

の進歩と資本主義の利潤の追求という論理から当然の方向であったようだ。桑園を潰すのも

早いが、大工場もまたたくまに建つ。資本の威力にひれ伏す以外にない。それと共に、天然

繊維の絹は滅び、その代用となる人造絹糸が栄える。同じ様なパターンが幾つもある。

*************************

追記(2018/08/09):タイトル変更。嘘ニュースの記事に引用する為。

2010年4月 1日 (木)

愛馬:いとしきもの

2010/4/1

愛馬

馬を売りてつくりしといふ金を貰ひ心寂しく受取書くも

昭和萬葉集3巻。仕事の歌 弁護士の区分にあった短歌である。馬は農家にとって重要な財

産でもあったし、利口な動物であり、家族の一員として扱ってきた。築百数十年経た我が家

の南東の隅が馬小屋であった事を思い出す。ここは、家の配置から言えば一等地である。そ

こが馬の住居であった。我が家にも、戦後の一時期そこに馬がいた。この歌の作者は田中

長三郎という弁護士でもあった。弁護士としては弱い者の代言者という意識が強かったのだ

ろか。心寂しくという一語に複雑な心境を感じざるを得ない。作者に弁護を依頼した農民は、

馬以前に何か民事上のトラブルがあった筈だ。それは知る由もない。借金や田畑の問題で

あった可能性もある。農民ならば田畑を手放すより、大切で愛しくても先ず馬を手放して問題

を解決したのであろう。ともかく、最悪の事態は避けられたのだろうか。ひょっとするとそれも

かなわなかった可能性もある。裁判となると敗訴もありうる。しかし、弁護士費用は払わねば

ならない。もし、敗訴ならば心寂しくが一層深刻な印象になる。この歌の作者が弁護士である

と分かって、初めてその歌の内容が深長である事を理解できる。柑橘類の研究で大きな仕

事をした同姓同名の田中長三郎という農学者がいた。この方の名前を知ったのがNHK出版

の柑橘類という本であった。そんな縁で歌人田中長三郎の歌に目がとまった。明治の末頃渡

米したという田中長四郎という人物にも関心があるのだが、その手がかりは無い。ともかく、

農民として弁護士を頼めたのは少ない例かもしれない。そんな知恵も金もないのが普通の農

民でなかったか。当然、馬もいなかったかもしれない。自分が牛馬の如く働いたのだ。

2010年3月31日 (水)

ぼけの花:いとしきもの

2010/3/31

ぼけの花

乙女子(おとめご)の唇に似たるぼけの花春の岡べに二つ三つ咲く

昭和萬葉集3巻。四季の移ろい 春の花々区分にあった短歌である。パラパラとページをめく

っていると西田幾多郎という人名が目に飛び込んできた。そうして、先ず思い出したのが善

の研究という書名。高校の時であったか、口角泡を飛ばしこの書物を語った先生がいた。

『善の研究』が出版されたのが1911年であり、既に当時でも半世紀も前の事であった。とも

かく、難解というより、何となく寄りつきたくない雰囲気を感じた学者であり、書物であった。少

し読みかじった記憶はあるが、その効用はあったのだろうかと思う。しかし、若いときは色々

難解な事物にチャレンジするのもトレーニングとしては良いのかも知れない。哲学という言葉

も人それぞれで、それこそ、そのスペクトル幅が広い。自分としては哲学とはあらゆる学問の

基礎と捉えていたのであろう。従って、実際の学問を合理的に理解できない哲学には余り興

味を覚えなかった。学問というより寧ろ科学と言った方が良いかもしれない。科学も結局、言

葉というシンボルに頼っている部分がある。しかし、そのシンボルを使わない限り理解できな

い対象がある。そういうシンボルは異なる個人が共有することにより、より確実な知識の獲得

に到る。一方、現象の表現はその対極を行くのではないか。表現は自分一人だけの感性が

物を言うのであろう。そう思うと、冒頭の短歌は何か哲学者西田幾多郎ではなく、西田幾多

郎とい一個人の心情を詠ったもので、何か新しい発見をしたようなときめきを覚えた。おそら

く、難渋する学問からちょっと退いて春の情景に身を任せた時に詠んだように思われる一首

である。歌集から掲載されたのはたった一首で、選者の目に留まった一首でもあったのだろ

う。ところで、春の岡べとはどんなところであろうか。幼少の頃、小川のほとりのしげみにぼけ

の花が咲いていたのをみたような記憶がある。別名をシドミと言うらしい。子供達はシドメと呼

んでいた。最近は、小さな雑木の生えているしげみを見る機会も少ない。西田幾多郎が見た

岡べも人家からそれほど離れた所ではなっかたように感じる。そんな所に、ふと足をとめると

ぼけの花が二三咲いている。ほーと、乙女子(おとめご)の唇を連想する。読む方は、哲学者

西田幾多郎からイメージを連想する。半ば、哲学者西田幾多郎を否定しつつ観賞するとなん

となく、人間西田幾多郎を身近に感じる。

2010年3月30日 (火)

挽歌:いとしきもの

2010/3/30

挽歌

今あらば君が片頬(かたほ)も染めぬべく山荘の炉の火の燃ゆる時

昭和萬葉集3巻。遺詠と挽歌、与謝野寛の死という区分にあった短歌である。歌人与謝野晶

子の歌である。君死に給うことなかれ等有名な歌は高校で学んだ記憶がある。第三巻には

昭和十年前後の歌が載っている。個々の歌には歌を詠んだ人の心情が明瞭に残り、作者名

を付記する気持ちになれない歌が多い。冒頭の歌はなぜか締め付けられるような心情から

解き放たれたような安心感を感じた。昭和十年代は丁度、父母の青年期と重なる。昭和萬葉

集を手にしたのは父母と自分の青年期を重ねてみようとしていたのかも知れない。ざっと、歌

を拾い読みすると迫り来る戦争という暗い気分が支配しているのを最初に感じてしまう。戦争

が一種の社会病理現象のように思えてしまう。東北地方の冷害、貧困、失業等々今日も同じ

事を続けているようでもある。しかし、最近は戦前の昭和にも明るい物、評価できる物、評価

すべき事があるのではないかと思う。そんな中で、冒頭の与謝野晶子の歌は亡き夫の事を

詠んだ歌なのだろが、不思議と暗さを感じずに、むしろほんのりとした明るさと暖かさを感じ

る。こういう挽歌は学校では教えないのであろうが、読む人の心に響くであろう。山荘の炉の

火の燃ゆる時は現在の事なのか。もはやかなわぬ未来の事か。暖炉の火の明かりは君の

片頬(かたほ)をゆらゆらと赤くそめてくれるだろう。今あなたがそこにいてくれれば。実は山

荘の炉の火の燃ゆる時はもう無いと知りつつ、今あなたがそこにいてくれれば、暖炉の火の

明かりは君の片頬(かたほ)をゆらゆらと赤くそめてくれるだろう、そうあって欲しいという心情

を歌ったのであろう。染めるとは動詞であるが、何が主語なのか漠然としている。むしろ、論

理や文法を乗り越えなければ不可能な表現もあるのかも知れない。君が片頬(かたほ)も染

めぬべくとは意味が深いように感じる。今あなたがいれば、山荘の炉で火を燃やして、あなた

の片頬(かたほ)をゆらゆらと赤くそめてやりたいともとれる。やはり、詮索より観賞が先なの

であろう。大学生の時、与謝野晶子の旧姓は鳳というんだと講義の合間の雑談で先生から

聞いた事を思い出した。鳳・テブナンの法則の説明の時であったと思う。実社会に出て、トラ

ンジスターの等価回路の計算をする時にお世話になった法則でもあった。調べてみると、日

本で鳳・テブナンの法則を証明したのが鳳秀太郎(東京大学工学部教授で与謝野晶子の実

兄)であるとの事である。

2010年3月29日 (月)

離農:いとしきもの

2010/3/29

離農

農捨てて街に出でむと妻に言ふすでに幾度も言ひたる言葉

昭和萬葉集14巻。きびしい農業、離農・過疎という区分にあった短歌である。最近になって

気まぐれに短歌を読むようになった。ある時代を生きた人がその時代をどのように生きたか

を知る手がかりになるからである。詠むとなるとまた別の心情が生まれるのであろう。そこに

はそれなりのエネルギーの集中が必要なのだ。詠んだ人の心情を読んだ人が感じるという

部分にも短歌の持つ性格があるのだろう。心情の表出から更に伝えたいという気持ちも生ま

れる。丁度、自分が社会に出ようとした頃作られた短歌であろう。一巻の中には二三千首程

の短歌が掲載されていると思うが、その一つ一つに切ない心情を感じてしまう。思うに農はい

つの時代にも厳しさがあった。自分も、農に生まれ育ったが、結果として自分も農を捨てた。

そうして、人生の大半を農以外で過ごして、また農に戻ってきた。ともかく何で飯を食うかが

目先の問題であった。振り返ると自分も、父招く青空大学断念し理文も捨てて工を学びし、と

いう状況であり、冒頭の歌が切なく感じるのである。一度、農を捨てて、齢60才頃に帰農して

も、後継者も無ければ前途も知れている。そう言えば、当時の美濃部都知事が都庁を去るに

際して、陶淵明の帰去来の辞を引用したのを思い出した。歸去來兮(かへりなんいざ),田園

將(まさ)に蕪(あ)れなんとす,胡(なん)ぞ歸らざる。当時は革新都政に何か輝かしいものを

感じた。しかし、何事も輝かしさは時と共に失われてしまう。終戦前後は食糧難の時代であっ

た。現在はどうか。食料が余っていても、食に窮する人がいる。いくら時代が変わっても、本

来の農・田園はどんな人間でも受け入れてくれるもののようにも思われる。また、そう願う。そ

こには生物(生命)の再生原理があるから。

2010年3月28日 (日)

文革:いとしきもの

2010/3/28

文革

革命者毛沢東も老い太りよたよたとして壇を降りゆく

昭和萬葉集14巻。世界の中の日本・激動の中国という区分にあった短歌である。確かに昭

和40年前後は中国も大きく揺れていた。今振り返ると、その振動のエネルギー源は終戦後

に生まれた当時の青少年であったろう。その世代が今日の中国を作り上げてきたと言っても

過言ではないだろ。近代中国を産み育ててきた毛沢東。詰め襟の人民服を着た大きな写真

を思い出す。この歌の作者はこの歴史上の巨大な人物を革命家と言わずに革命者と呼ん

だ。それにより、全ての神話から離脱した一人の毛沢東老人の姿を一枚の写真に収めたよ

うな作品になったようだ。文化大革命では紅衛兵が毛沢東語録という小冊子を掲げて気勢を

上げている姿も度々報道されていた。そういえば、ともかく中国をもっと知ろうという気持ちも

生じて、北京週報を購読した事を思い出した。インターネットで検索すると「『北京週報日本語

版』は、1958年、故・周恩来首相の提案により創刊された海外向け週刊誌で、中国の最新

情報を知るための窓口となってきた。」と北京週報ネット版が伝えていた。ネット版では発掘さ

れた曹操墓の真偽の論争等が伝えられており時代の変化を感じた。ともかく文化革命は文

化という帽子をかぶっているが革命は当然それ以外の目的もあったであろうが、これが中国

を成熟した国家・社会に鍛え直す機会でもあったと思われる。愚公移山という言葉を度々聞

いたのもこの頃ではなかったかと思う。調べてみると、愚公が通行に不便な山を箕で移し始

めたのが齢90才の時。これを見ていた天帝がこの山を移した寓話とある。誰にでも、実現不

可能に見える事でも、それは決して不可能なことではない。それを先ず始めようではないかと

いうメッセージとして意味があるだろう。中国革命の指導者はその革命の完全な成就には愚

公移山の精神が必要である事を見抜いていたのかもしれない。中国の歴史を見るとそのス

ケールの大きさを感じてしまう。文革の評価は非常に難しいだろう。WIKIPEDIAに詳細な記

述があった。ともかく、文革は否定するも肯定するも、それが現代の歴史の一局面であること

には変わりがない。日本もその文革の波が及んできていたのだ。

2010年3月26日 (金)

兵器:いとしきもの

2010/3/26

兵器

ベトコンの使ふ兵器と知りてよりやや救はれて遅く夜業す

昭和萬葉集14巻。仕事の歌・工場にてという区分にあった短歌である。自分が学業に勤しん

でいた頃、工場で仕事に励んでいた人が作った短歌である。兵器は向けられる方角でその

性格が逆転してしまう。自分が作っている物が兵器であると知っても自分の仕事に家族の生

活がかかっているとなると矛盾を感じつつその仕事を去ることができない。そんな中で作られ

た短歌ではなかろうか。盾も矛も武器だ。守るにも攻めるにも矛盾が伴う。自分が社会に出

た頃は冷戦の時代、共産主義と自由主義の対立の時代でもあった。武器・兵器の輸入・輸

出も厳しい規制があった。完成した兵器だけでなく、その素材や部品も規制の対象となった。

企業では輸出管理が徹底された。特に汎用性のある集積回路は兵器への転用も容易であ

るので気を使った。ひょっとすると自分が関係した集積回路が兵器に転用されているかもし

れないと思うと心安らかではなかった。当時から既に半世紀が過ぎた。共産主義も自由主義

も絶対でもなく万全でもない事が明らかになった。しかし、各国のもつミサイル等の兵器の向

けられる方角は余り変わっていないのではないか。もはや、兵器を向ける方角が定まらない

テロとの戦いが大義名分になってもいる。最近、北朝鮮への贅沢品の輸出違反に関するニ

ュースを聞いたような記憶がある。小さなニュースで気にもかけなかった。輸出規制も何らか

の効果を狙っているだろうが、贅沢品の輸出規制が大局的にどの程度の効果を持つものか

不思議に思った。困れば内政でも贅沢品は制限されるのだから。何かしっくりしない手詰まり

感を覚えた。確かに、食料等の人道支援の対極にあるのは理解できるが。振り返ると、日本

でも輸入贅沢品を買うのを楽しみに仕事に励んだ人が多くいたのではないだろうか。

2010年3月25日 (木)

薬莢:いとしきもの

2010/3/25

薬莢

ベトナムを撃つ薬莢の一つと知れ何をなしえん薬莢をつくる

昭和萬葉集14巻。中継基地・日本という区分にあった短歌である。戦争に正義はあるのか。

敗戦から復興するきっかけに米軍の特需があった。自分が学生時代にベトナム戦争があっ

た。日本だけではなく、アメリカでも反戦運動は盛り上がり、一つの世界的な流れになった。

ベトナムではありとあらゆる兵器が使われたようだ。ABCのAを除いて。さすがに核兵器は

非人道的過ぎるし、それを再び使用したら、いかなる理由があろうと、いかなる国も正義や倫

理が崩壊した国として世界中から見放されるのではないか。しかし、核兵器を持っているとい

う既得権は今も健在である。従って核兵器保有国への仲間入りの動きも健在する。ジラード

事件では生活の足しにするため、米軍の演習基地で薬莢拾いをしていた主婦が米兵に射殺

された。今なお、米軍基地の問題が続いている。一方米国ではまだ兵役がある。ベトナム戦

争で兵役を拒否した若者は一般社会から厳しい視線を受けたようだ。兵士の無差別射殺事

件も聞く。米国でも兵役は若者に重くのしかかっている筈だ。商用で韓国から来た客と話した

時、兵役の話しが出たことがあった。韓国ではまだ兵役があるのですか~云々。庶民として

は、薬莢を拾い、薬莢を作る事からも逃れることは難しい。それが不条理だとは知りつつ。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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