パンドラの箱
2009/11/18
パンドラの箱
小学校頃の国語の教科書の教材であったと思う。これを劇にして、箱から色々な悪役が飛び
出したような記憶がある。WIKIPEDIAによると、ギリシャ神話の一つであるようだ。パンドーラ
は人類に災いをもたらす為に、神が作らせた女性。女性が災いの本であるとは皮肉な神話
ではある。パンドラの箱とはその災いの象徴のように思われる。神々は開いてはいけないと
と因縁を含めて、中身の分からない箱をパンドーラに与えたのである。これは人間の心理の
裏をつき興味をそそる設定ではある。鶴の恩返しの昔話を思い出す。見てはいけないと言わ
れるとつい見たくなる。開けてはならぬと言われれば開けたくなるのが人情だ。禁止はするが
箱の中身は教えない。結局、誘惑に負けて箱を開けてしまう。リンゴを食べてしまう。障子を
開けてしまう。ブスを舐めてしまう。同じようなパターンかもしれない。その箱からでてきたの
が色々な災い。劇から考えると箱の大きさは人間が入れるこおり程の大きさと思っていた
が、女性の持つ手箱程度の大きさのように描かれていた。災いは抽象的なもので箱も正体
を隠すシンボルに過ぎないのだから大きさにこだわる事もないだろう。箱を開けたら災いが
外に逃げ出してしまった。その事に気づいて蓋を閉めたら既に手遅れで、箱の中に残ったの
は希望であった。希望が災いであるならば開けるなという趣旨と矛盾するように思う。箱の中
に希望を幽閉したというのも納得できない。最後に箱の中に残った一片は何かという議論に
は興味がある。しかし、それが何かを詮索するよりも、災いのもとになる多くの要因が人間世
界に氾濫して、それが人間を誘惑しているという事であろうか。ギリシャ神話は本来現世肯定
的であり、教条的な解釈が加わったのは後世になってからであるという見方があったように
思う。希望が手箱の中に残っているから安心しなさいという説話ととるか開けてはならないと
言うからには中には何か好ましいことがあるぞという想像話ととるか。結果は箱を開けてしま
った。神話から現実の人間世界の話に戻ったのである。希望という妄想に捕らわれるな。現
実を直視し、災いはいたる所にあるがそれを避けて現実を享受せよという見方も成り立つ。
一方、災いの為に遣わされたパンドーラ、そのパンドーラに与えられた災いの予感の詰まっ
た箱の中の一片を残して飛び去ったという事はパンドーラに残された災いは最後の一片だけ
という見方もできる。即ち、パンドーラは箱を開いた事により、娑婆世界には多くの災いがあ
るが、心(箱)の中から見れば大方の災いから解放されたととれないか。この最後の一片と
は希望なのか絶望なのか興味が湧く。ともかく、箱は開けるためにある。謎は箱を完全に開
ければ解ける。しかし、一度開かれた箱は既に閉じられている。最後の一片は人間に残され
た謎かもしれない。