方丈記切読15:いとしきもの
2010/3/16
方丈記切読15
「又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、544-14]ことごとくみのらず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。これによりて、國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。念じわびつゝ、さまざまの寳もの、かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。乞食道の邊におほく、うれへ悲しむ聲耳にみてり。さきの年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえやみうちそひて、まさるやうにあとかたなし。世の人みな飢ゑ死にければ、日を經つゝきはまり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものどもありくかと見れば則ち斃れふしぬ。ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬるたぐひは數もしらず。取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。しづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝこれを賣るに、一人がもち出でたるあたひ、猶一日が命をさゝふるにだに及ばずとぞ。あやしき事は、かゝる薪の中に、につき、しろがねこがねのはくなど所々につきて見ゆる木のわれあひまじれり。これを尋ぬればすべき方なきものゝ、古寺に至りて佛をぬすみ、堂の物の具をやぶりとりて、わりくだけるなりけり。濁惡の世にしも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ見侍りし。』」
天候不順による飢饉の悲惨さを描いている。当然、それに対処する社会制度の未発達も飢
饉の一因だろう。「久しくなりてたしかにも覺えず」と述べているが、本当は鮮明に覚えている
かのようだ。以下に続く記述を読めば分かる。「秋かり 冬收むる ぞ め きは なし」⇒「秋
刈り 冬收むる ぞ 目 際 無し」の事か?秋に収穫して、冬にお上に納入する、目処が立
たない。お上の取り立てから逃れるために逃散してしまう様を描いているようだ。いかさまの
おまじない等も流行る。「京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、
絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。」京都の生活は何事も、田舎
の生産物に頼っているのだが、飢饉で京まで上ってくるものがないので、???。「さのみ
や は みさをも 作りあへむ。」「みさを作る」=平気な様子をする。要するに、飢饉で食料
の流れが途絶してしまい平気な顔などあえてできないだろう。飢饉の時は財宝など目にくれ
るゆとりもない。食料は高騰してしまう。乞食が多くなる。体力も衰えよろよろになる。それか
ら餓死者が出てくる。その餓死者もどんどん増える。埋葬されずにのたれ死にであり、腐乱も
すすみ、死臭が漂う。中には、住む家を壊して市場で売って飯の足しにするが、食料一日分
の金にもならない。さらに、寺を壊して持ち出した木材等も混じっている。なぜかと聞けば古
寺の仏や仏具も壊して、その一部が市に出ている。これほど事態は深刻だった。そういう様
子を私(長明さん)は見てきたのです。仏門に入った長明さんも成す術がなっかたようだ。とも
かく、こういう部分は義務教育の社会の授業で教えて欲しい。勿論、原文で。辞書を引いてで
も、子供達は読むであろう。そうして、食料の重要性を肌で知るであろう。教育はきれい事で
はない。日本人の大多数が満腹感を味わったのは、この四半世紀に過ぎないのではない
か。