古書店:いとしきもの。20100919。
2010/9/19
雑草句録:古書店
■古書店のおやじ雑談客一人
古書店はちょっと入りにくい雰囲気がある。古書店のおやじと雑談する程のつき合いも無いが、ぶらりと入った古書店で思いがけない本に出合ったときの楽しさは曰く言い難いものではある。最近は老舗の煥乎堂も古書を扱う事になったらしい。煥乎堂は出版も手がけた地方文化の盟主であったと思う。創業者であり詩人でもある高橋元吉の詩集が数冊入った箱入りの全集が書肆いいだやさんの玄関先の書台に並んだのがつい半年くらい前。値段も扱いも投げ売り同様であった。この時だけは、いつか役に立つかもしれないと、本の重さだけではなく、気分の重さを感じつつ買っておいた。時代が変わってしまったのか。煥乎堂には機会があれば行ってみたい。もう、何年も行っていない。一方では、たまに足を運んでいた書肆いいだやさんが今年の8月末で店頭販売を終了すると上毛新聞が伝えていた。地域の歴史書探し等ではお世話になった。読書人口が減り、個人の書店経営も色々な面で曲がり角に来ているのだろう。
追記(2019/04/17):タイトルに投稿期日を追加。忘れぬ内に書いて置こう。とりせん西方の桐生県道の南側に小さな古書店があり、何回か行った記憶がある。駅周辺開発や区画整理でその辺の景色は一変している。その古書店がその後どうなったか分からない。
追記:古書店の訪問で記憶に残るのは神田にある理工系の明倫館書店と前橋にある文系の大成堂書店。本日の句の古書店の雰囲気はかつての大成堂書店に似ているが市内の小さな古書店の風景。最近は足を運んでいない。学生時代だったろうか、おそるおそる大成堂書店に入ると、やや暗い店の奥の帳場で黙々と働く店主らしい人がいた。奥の方までは余り接近できなかった。社会科学系の本が中心であったようだが、当時の自分は中程の文系一般書を買った程度であったが、その後も機会をみつけて行ったが、足が遠のいてから何年も経っている。店主は市議かなにかだと聞いたような気がして、そういう点でも近づき難かったようだ。高崎の古書店も店仕舞いするという新聞記事を先日見た。古本屋が減ってくるのも寂しい限りだ。本が第二の人生を歩むのも何かに縁があるのだろう。そう思うとたまたま手にした古本も運が良かったのだと思うことがある。最近では、勿体ないなと思うような本が惜しげもなくゴミとして出てくる。これは本だけではないが。
大成堂書店の隣りか近くに油屋旅館があった。既に数十年前の事だが、アルバイトで家庭教師をしていた生徒の家族が転勤をする時の仮住まいをしていた旅館で何回か訪問した記憶がある。この油屋旅館は今どうなっているのか気になって調べたら昨年廃業したようだ。そのニュース記事の詳細は末尾に引用しておく。記事だけでも残しておきたい。
300年以上の歴史を誇る老舗旅館という事で残念に思う。また、長く続いた事業を自分の代で廃業する無念さは言い尽くす事が出来ないだろう。自分がバイトで訪問したのは「ホテル油屋」になる前であった。確かに、和式瓦建物の外観だけでなく、内部の廊下も板張りでであり、やや古風な老舗旅館という雰囲気があったように思う。
建物だけでなく、そこに宿泊した人物等も歴史的な価値を学ぶ資料になるだろう。是非、取り壊しする事無く、新しい使い方で再生して欲しいと思う。前橋市は美術館を建てる構想を発表しているが、それとは別に、油屋旅館は幸田露伴ら文人が定宿として利用したという歴史もあるようなので、美術館より庶民にとってより敷居の低い文芸館等として活用する事はできないだろうか。
余り有名人ではないマイナーな人の色紙、書画、手紙等を展示するのが面白そうだ。古い生活雑貨の展示等も面白そうだ。ともかく、こういう物も今収集しておかないとごみになって消えてしまうだろう。地方の文化都市前橋が民活をすれば何とか出来そうでもある。
多分、美術館は入場料を取るであろうから、何回も足を運びにくいであろう。一極集中だとリピーターは来なくなる。少しずつ趣味の変わった施設が寄り集まった方が人は集まる。これが都市の原型であろう。人が集まらなければ都市は衰退する。場所的には元気21に近くなので、市民や訪問者が歩いて回遊するには最適であろう。入場料も安く設定すれば高齢者も気楽に入って時間つぶしができる。それよりも文化の裾野を広げるためにも役立つのではないか。
300年以上の歴史を掘り下げれば色々な資源が発見できるかもしれない。庶民の歴史館・文書館という使い方もあるだろう。後期高齢者が幼少時代を思い出せるような本・雑誌や生活資料をガラスケースの展示ではなく、実際に使わせてくれるような施設だと有り難い。
今年の夏逝去された国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年初代館長に就任した梅棹 忠夫氏が手で触れて見るという展示方式を推進したとどこかで読んだ記憶がある。ピカピカの新品は商品の値段だけの価値しかないが、手垢や傷がついたり、年を経て希少になった物は、古老と同じようにそれと対話して学ぶ無限の価値があるのではないか。
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以下にそのニュースを引用しておく。
『老舗淘汰…消える“前橋の顔” 「油屋旅館」廃業
配信元:産経新聞 2009/12/27 16:01更新
記事本文
天和元(1681)年に創業した前橋市本町の「ホテル油屋」が10月、経営不振などを理由に廃業した。前身の「油屋旅館」は、幸田露伴ら文人が定宿として利用し、小泉純一郎元首相など著名人にも愛された“前橋の顔”の一つだったが、最後の営業日となった9月30日も宿泊客はなく、300年以上の歴史の幕引きはあっけないものだった。
記事本文の続き
だが、副社長兼女将(おかみ)としてホテルを切り盛りしてきた東野恵子さんは「廃業して改めて、油屋の存在の大きさを認識した」と、しみじみと語る。10月以降、全国に散らばる常連客からの問い合わせが数十件を数えた。廃業を伝えると、顧客からは「これでまた一つ、古き良き時代のものがなくなった」などと、ため息が漏れたという。
すでに廃業した以上、宿泊は断るしかない。東野さんは「その度に、自分の代で廃業したことの悔しさと申し訳ない思いがこみ上げてくる」と自分を責める。そして、「学生時代からずっと、友人や先生、近所の人からも“油屋さん”と呼ばれてきた。アイデンティティーを喪失した気持ちになった」とも…。
だが、不況に加え、安くて最新鋭の設備が整うホテルを好む利用者が増える中、吹き荒れる淘(とう)汰(た)の波に飲み込まれた老舗、油屋だけではない。前橋市衛生検査課によると、同市内にある旅館・ホテル数は144件で、11年の195件から減少している。
宿泊料金の値下げなどで顧客確保に奔走しても、結局は設備更新費が確保できず、姿を消すケースが多いという。東野さんは「改善努力だけでは限界がある」と語るが、その言葉は老舗旅館経営者共通の思いだろう。時代の流れの中でやむを得ないこととはいえ、伝統ある施設や地方文化の発信拠点が生き残る難しさを改めて感じた。
ホテル油屋の建物について、東野さんは「これだけの施設をこのままにしておくのはもったいない。将来的にはケアハウスなどとしての施設利用も考えている」と明かす。
油屋が、新たな形で人々が触れ合う場として“復活”する日が来ることを、願うばかりだ。
(西村利也)』