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2012年8月6日

2012年8月 6日 (月)

老人の寝言:大正用水の草刈りもしんどくなった:120806。

2012年8月6日月曜日
昨日は晴れ。連日の熱帯夜・猛暑日。最高気温(℃) 36.5 15:24。雑木の歌:たそがれて 持て余し気味 大正用水 産めよ増やせの 突貫工事。大正用水の草刈り。昨年は8時現地集合。今年は6時現地集となり、熱さ対策として効果があった。帰路、近所のおばさんとその実家訪問。周辺地帯を軽くドライブ。実家周辺なので地理が明るい。昔は、実家まで2里の距離を歩いたとの事だ。おみやげにカボチャを持たされて途中で投げ捨てたいと思った事もあったとか。インターネットの距離測定でその直線距離を測ってみた。距離:7.9km ( 7856 m )、9820 歩 ( 歩幅 80 cm )、2 時間 27 分 ( 3.2 km/時 )と出た。意外だが、話と合った結果が出てきた。昔は、自転車すら貴重品であった。必要ならかなりの時間をかけて徒歩で行き来した。実家に帰る事にも苦労した。楽しみがあるから苦労も我慢できた。それが思い出として残っているのだろう。夕方、百姓先生夫婦と生徒夫婦で先生が作った大きな黒スイカを食べる。四人でも食べきれない。それから苗に灌水。

2012年8月5日の天気

TAVE= 29.9  
TMAX= 36 最高気温(℃) 36.5 15:24 
TMIN= 25.6 最低気温(℃) 25.5 04:49 
DIFF= 10.4  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(東南東) 17:00 
SUNS= 7.6  
RAIN= 0  

Q
Q
追記(2018/02/23):タイトル文字を太く、日付を追加

老人の寝言:大正用水の草刈りもしんどくなった

大正用水の草刈りは、用水の水を切って一斉に行われる。地域ごとに担当の場所が決まっている。稲作農家はその仕事にかり出される。用水管理は稲作の基本中の基本。この大正用水工事は戦時中の食糧難を突破口にして突貫工事で行われたようだ。現在80才前後の当時の学徒もかりだされ、シャベルとモッコで作業をしたという話を、数人の経験者から聞いた事があった。以前の関係記事。
「食料不足http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/09/post-0090.html(2009年9月 2日 (水))」

大正用水工事の発案は「伏島近蔵」にまで遡ると「大正用水史」にあったと思う。「伏島近蔵」でGoogle検索すると約 1,690 件ヒット。

以下にWIKIPEDIA記事を全文引用する。富岡製糸場等が世界遺産登録に動き出したが、群馬県特産の蚕種や絹糸の外国輸出に関してはまだ知ることが少ない。

以下WIKIPEDIAの引用
**********************************
「伏島近蔵。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E5%B3%B6%E8%BF%91%E8%94%B5。(最終更新 2011年1月21日 (金) 07:29 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事全文。

伏島近蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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伏島 近蔵(ふせじま ちかぞう、1837年(天保8年) - 1901年(明治34年))は、江戸幕末から明治にかけて活躍した横浜の実業家であり、横浜商人の代表的人物の一人である。

目次
1 生涯
2 頌徳碑と銅像
3 田辺屋の屋号
4 板垣退助に心酔
5 参考文献

[編集] 生涯
伏島近蔵は上野国新田郡藪塚村(現群馬県太田市)の地主の家に生まれた。1865年(慶応元年)に、妻こうを伴い横浜にきて、当初は横浜-神奈川間の行商や、妻の蝋燭小売により生計を立てる。その後商館「アメリカ一番館」に勤務し才能を示し、商人として頭角をあらわした。1868年(慶応4年)に同館を持し独立し、唐物、蚕卵紙(さんらんし、蚕の卵をつけた紙)等を扱う商売をし財産を成したが、その後一旦帰郷し家業に従事するようになる。

帰郷後は家業に従事する一方で、渡良瀬川大間々町(現群馬県みどり市)から鳥の郷(現群馬県太田市)に至る用水路を開削し、その功績により1876年(明治9年)の明治天皇東北御巡幸の際には特に拝謁を仰せ付けられ、奈良晒二匹を下賜された。その後アメリカ一番館の日本人惣番頭の死により再び横浜に戻るが、小学校への寄付や鉱泉事業等への協力等、故郷の発展のために生涯多大な貢献を果たした。

横浜に戻って後はアメリカ一番館の大番頭となり、1877年(明治10年)の西南戦争における羅紗(ラシャ)の取引等で巨利を得るが、1878年(明治11年)には再び同館を辞し、他の有力横浜商人と共に第七十四国立銀行の設立に参加し自ら初代頭取となる。一方彼は貿易商人としての活動も続けていた。

横浜開港以来蚕卵紙の輸出の多くは外国商人により壟断(ろうだん)され、彼らはそれにより巨利を得ており、日本への利益の還元は少なかった。1880年(明治13年)に彼は蚕卵紙直輸を決意し、現地商人と交渉すべくイタリアへと渡るが、すでに横浜の外国商人と結託したイタリア商人の妨害により交渉は難航。駐伊大使鍋島直大も仲裁したが、その間蚕卵が孵化し商品とならなくなり大損害を蒙り帰国した。その間253日間に及ぶ旅行記は当時の第一級資料である。大胆豪放の一面、思慮極めて周到周密な彼の人間があらわれている。

帰国後彼は悪影響を考え、第七十四国立銀行頭取の職を同郷高崎出身の茂木惣兵衛に譲り商業活動に専念したが、折に触れ局外協力は行った。その後横浜市民への良質な飲料水の不足を見た彼は、大田初音町山に横穴を掘削し清水を得て、清水販売(飲料水販売)を実行し再び巨利を得た。彼は事業を株式会社組織とし揺光社(ようこうしゃ)をおこした。

彼は外国における港湾都市の土地値上がりを知り、不動産事業への進出を決意、揺光社の株式を売却し野毛山一体の地所を買占め、1884年(明治18年)の市による野毛山貯水池設置にあたり売却し利益を得て、その後も積極的に不動産事業を行った。

また外国における港湾都市の実見により、港都横浜の発展には陸上施設の完備が肝要であることを痛感した彼は、その後積極的にその方面での活動を行う。特に現在の大通り公園にあった新吉田川や、新富士見川の運河の開削や、隧道や橋等の整備に力を入れ、私財を擲(なげう)つことも厭わなかった。

彼の事業は順調であったが、1901年(明治34年)北海道開拓を決意し、同年官林の払い下げを受け、その実地検分のため北海道に渡ったが、札幌にて病となり、その後稚内まで達するも現地で病死した。享年64。墓地は横浜にある。

[編集] 頌徳碑と銅像
横浜お三の宮日枝神社境内と太田市に彼の功績を称える頌徳碑があり、故郷藪塚には銅像があり郷土の偉人として功績を称えている。

[編集] 田辺屋の屋号
伏島近蔵の店は田辺屋として知られていたが、屋号の由来は定かではなく彼も由来を語ることはなかった、一説には恩人の苗字と言われている。

[編集] 板垣退助に心酔
横浜は自由民権運動の盛んであった土地であり、当時の市民は商人派(立憲改進党支持)と地主派(自由党支持)に別れ鎬(しのぎ)を削っており、商人派の巨頭は原善三郎、地主派の巨頭は伏島近蔵であった。彼の北海道開拓は自由党の党勢拡大の目的もあり、実地検分では当時の自由党幹部も同行している。彼は上州気質、任侠精神が強く、板垣退助の高潔な人格に深く心酔していた。

[編集] 参考文献
横浜開港資料館報 「開港のひろば」(Number95) 2007年(平成19年)1月31日(水)発行
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=伏島近蔵&oldid=35977226」から取得
カテゴリ:日本の実業家横浜市の歴史群馬県出身の人物1837年生1901年没
**********************************
以上引用終わり。

最近、伊勢崎市の文化財になっている旧時報鐘楼建立の資金を寄付した小林佳助の事を調べた。小林佳助も横浜に出て成功した商人だが、その取り扱う商品が薬種、当世風に言えば、薬剤だった。生糸を扱ったかは定かではない。

明治前期に於ける生糸直輸出の位置(http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/45_1/tomizawa.pdf)、高崎経済大学富沢氏の記事に「明治14年1月:伏島近蔵、イタリアに赴いて蚕種を直売、50万円余の負債を被る。」という記事がある。

群馬県出身の、伏島近蔵、小林佳助、横浜、国際貿易云々というキーワードで蚕種、生糸、日本特産品(薄荷)等の流通面の歴史が見えてきそうな気がした。小林佳助も横浜の商人。伏島近蔵と小林佳助の接点もあったように思う。大正用水は群馬県の農業を支える基礎的な基盤であるが、それを維持することが今後益々困難になるように感じる。先人たちの偉業とインフラを見直すことも日々の活動の動機付けになるのではないか。

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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
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    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)