読みかじりの記:迷いと決断 ソニーと格闘した10年の記録 出井伸之 著 (2006年 株式会社新潮社)
2013年12月25日(水)
昨日は晴れ。最低気温(℃) 0.9 06:58。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.6(北北西) 16:24。帽子が飛ばされた。ざっそう句:クリスマス イブは不在で アダムだけ。昼頃まで日向で読書。雑用は際限無くある。読書も気分転換だ。午後用事外出。年内に処理すべき案件を幾つか片付けた。ついでに買い物。予定重複の調整をしたが出直しが必要。出かけるとついでの買い物に時間をかけてしまう。保険証無しで受診して全額実費を支払い、差額の払い戻しをした。改めて、保険制度の有難さと共に医療費の高さを痛感する。
WIKIPEDIA「巡回セールスマン問題。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E5%9B%9E%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C)」。日常の仕事でも巡回ルートを事前に考えておくと時間やコストの節約になる。持ち物のチェックだけでも無駄な仕事を減らせる。それでも、いざ車に乗ろうとしてキーを忘れている事もある。老人力も向上中だ。
WIKIPEDIA「指差喚呼(「指さし確認」)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E5%B7%AE%E5%96%9A%E5%91%BC)」。最近は、財布持った、携帯持った云々と声を出して確認するようにする事がある。「飛び上がって頭を強打(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/03/post-1b5d.html)。(2009/3/17)」。
今年は徳田虎雄ファミリーの選挙違反も注目を集めた。選挙違反の総参謀の徳田虎雄氏が起訴されないのはおかしいと思う国民は多いだろう。報道によれば参謀として指揮をした事は事実のようで、訴訟能力はあるだろうと誰もが思うのではないか。WIKIPEDIA「徳田虎雄。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E7%94%B0%E8%99%8E%E9%9B%84)」。WIKIPEDIAに「『生命だけは平等だ わが徳洲会の戦い』1979年7月 光文社カッパ・ブックス ISBN 433400363X 絶版。」と記事がある。かつては「生命だけは平等だ」というキーワードに新鮮さと期待感を持ったことがある。今となって、「生命だけは平等だ」という言葉が徳州会の理念であるとすれば、前書を絶版にする必要もないのだろと思った。「裁判だって平等だ」ではないか。
2013年12月24日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 4.8 | NO DATA |
TMAX= | 10.2 | 最高気温(℃) 10.5 11:27 |
TMIN= | 1.4 | 最低気温(℃) 0.9 06:58 |
DIFF= | 8.8 | |
WMAX= | 7.1 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.6(北北西) 16:24 |
SUNS= | 8.7 | NO DATA |
RAIN= | 0 | NO DATA |
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読みかじりの記:迷いと決断 ソニーと格闘した10年の記録 出井伸之 著 (2006年 株式会社新潮社)
昨年頃から、家電業界や半導体業界の不振が気になっていた。家電業界ではソニーとパナソニックという両雄のブランドが輝かしい時代があった。今後はどんな業界になるのだろうか。自分の家電品の購買スタイルを振り返るとそこそこ安ければブランドは必須選択枝ではなかった。半導体業界に身を置いて、ソニーとパナソニックすら他社半導体を使わざるえを得ない時代が来ていた。小物家電製品は製造が海外に移転され国内生産は各メーカーのこだわり商品が中心になっているのが実情だろう。不振の理由は色々あるだろうが、業界の構造と社会の動き、経営者の判断等々が考えられるだろう。本書は、ハードからソフトへ製造業からサービス産業へと付加価値の付け方も変化しつつある時代を読み解く参考書になりそうだ。
本書はソニーの最高経営者まで登り詰めて、2005年6月の会長兼CEOを退任直後に出版されている。そういう背景を考えると何らかのメッセージがこめられているのではないか。管理職になる時の研修で、しつこく教えられたのが「管理の限界」という言葉。この言葉は、百姓をやっていても痛切に感じる事がある。百姓の場合、大抵本人と家族の能力だけで管理の限界が来る。要するに、人は個人の限界を超えるために組織をつくるのだが、その組織の目標を達成して初めて組織の管理者という責任が果たせるのだ。ソニーの業績不振の背後に組織の壁、管理の限界があったのか。
著者が、産業構造の変化とグローバル化が進む時代にソニーという大企業をどのように管理・運営したか。本書はその辺を解き明かす役目があったように感じる。しかし、「管理の限界」に関してどのように対処したかよく理解できなかった。
WIKIPEDIA「出井伸之。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E4%BA%95%E4%BC%B8%E4%B9%8B)」
WIKIPEDIA「大賀典雄。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B3%80%E5%85%B8%E9%9B%84)」
サイト内でキーワード「(経営OR不振)AND(家電OR半導体) 」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=(%E7%B5%8C%E5%96%B6OR%E4%B8%8D%E6%8C%AF)AND(%E5%AE%B6%E9%9B%BBOR%E5%8D%8A%E5%B0%8E%E4%BD%93)%E3%80%80+site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。
「読みかじりの記:「日の丸 半導体は 死なず 黄金の80年代の復活か?」 泉谷 渉 著(2007年 株式会社 光文社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/08/802007-f8dd.html)。(2012年8月27日月曜日)」の記事の中で「PANY」の事を書いた。
家電業界の代表ブランドの凋落が心配だった。サイト内でキーワード「シャープ」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%80%80+site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。シャープの経営不振も気になった。
サイト内でキーワード「ソニーORパナソニックORシャープ」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BCOR%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AFOR%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%80%80+site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。
本書の副題が「ソニーと格闘した10年の記録」とあるが、「格闘した」のがソニーなのか著者なのか良く分からない。推測では「格闘した」のは著者本人ではなかろうか。それなら、「格闘」の相手は「ソニー」その物だったのか。企業は生き物である。その生き物が巨大化すると恐竜のような運命をたどる。著者が格闘したのは変身が迫られている古い体質のソニー本体そのものだったのか。本題が「迷いと決断」。これは著者自身の真情の告白に違いないだろう。ただ、「迷い」という言葉で著者が訴えたい事が十分伝えられているのか、本書を読みかじって迷った。著者がソニー従業員と一体になり格闘(真の問題に対する共闘が)できていれば、事態は好転していたのだろうか。
本書の中で、著者は生え抜きの社長であるが、「私自身、社長になってやろうという野心を抱いたことは、ただの一度もありません」と記している。やはり、一般従業員として入社して「社長になりたいとは思った事がない」とは例外に近いのではないか。社長になりたいとは思った事がない社長を仰ぐ従業員の心情を聞いてみたい気がする。経営者にアマもプロもないだろう。東京都知事の辞任の弁に「政治家としてアマチュアだった」という言葉がある。政治家や最高経営者は結果責任があるとするのが常識なのではないか。ともかく、著者は2005年の会長兼CEOを退任、2006年の本書出版と株式会社クオンタムリープ設立、代表取締役に就任と手際よくソニーから離れている。本書はソニー経営者の自著であり貴重な記録兼学習参考書になっているのではないか。その価値は今後も変わらないだろう。だが、去るに去れない従業員の「迷い」も大きいのではないか。
著者は「貞観政要」にも触れている。創業と継承という問題に関してだ。今日の株式会社は法人格を与えられ継承の手続きは昔と異なり、株式会社が社会的存在として必要とされる場合は、その経営も継承されるべきであると想定されているのではないか。従って、「貞観政要」に関しては、どちらが難しいかという読み方と異なる読み方があるのではないか。昔は、創業した事業が世襲された。今日でも、創業一族が経営に参加している例が見られる。創業者の偉業と持ち株の比率の多寡等々が創業者一族が経営に参画する度合いを決めているように見える。事業に対する求心力として作用すれば結構だが世襲という面が反作用になりかねない。
サイト内でキーワード「貞観政要」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%B2%9E%E8%A6%B3%E6%94%BF%E8%A6%81%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。
サラリーマン経営者は威光とカリスマ性と言う点で創業者を超える事が難しい。神話が無いのだ。しかし、最高経営者まで登り詰めた場合、果たして創業者を乗り超えたいという誘惑は生じないのであろうか。第二の創業と名打って、組織いじりや横文字の氾濫が目立つようになると、従業員は直感的に経営者の意識まで読み取ってしまうのではないか。まさに、「貞観政要」の世界に違いない。孫氏の兵法の世界かもしれない。孫氏の兵法の極意は戦わずに勝つ事。日々創業兼継承。これこそ真の戦争だ。兵隊さんである従業員は本気で戦っているか。神話作りの一発勝負は夢に過ぎない。自分と従業員が本気で戦えば自然に第二の創業者になれるのではないか。
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