技術 回顧と展望:科学ニュースに独り言:STAP細胞騒動劇の終幕はあるのか?
2014年11月26日(水)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 11.9 11:00。最低気温(℃) 7.8 02:29。ざっそう句:鳴くならば 何でも使え ヤブの鳥。宅内閑居。黒電話を受ける。以前お買い求め頂いたお布団はその後云々~といかにも馴れ馴れしく話し始めた。心当たりは全くないが、惚けたら騙されそうだ。ヤミ市場で名簿が出回っているとか。氏名、電話番号に個人情報という付加価値が付くとその名簿が高くなるようだ。用心々々。インターネットが普及し始めてからほぼ20年、今では社会のインフラになった。選挙にもインターネットが使えるようになった。だが、情報の発信サイトを探すのが大変だ。現在では検索エンジンが普及しているが、それも万能ではなさそうだ。現役時代は検索エンジンも余り使われず、お気に入りにURLを保存していたが、パソコンのHDDが壊れて困った事を思い出す。NET上で色々な無料サービスが行われているが、よくよく考えると個人情報と引き替えになっている場合が多い。タダより高いモノはないというのも的はずれではないようだ。渡り鳥か留鳥か、庭の片隅に飛来して鳴いているが、その姿が見えない。冬が近づいてきた。毎年聞く、お馴染みの野鳥なのだが、その名前が分からない。
2014年11月25日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 9.7 | NO DATA |
TMAX= | 11.8 | 最高気温(℃) 11.9 11:00 |
TMIN= | 8 | 最低気温(℃) 7.8 02:29 |
DIFF= | 3.8 | |
WMAX= | 2.7 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.4(南東) 18:04 |
SUNS= | 0 | NO DATA |
RAIN= | 9 |
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技術 回顧と展望:科学ニュースに独り言:STAP細胞騒動劇の終幕はあるのか?
STAP細胞に関する論文二本がイギリスの科学雑誌ネイチャーに、2014/1/30の日付で掲載された。理化学研究所はその前日に報道発表して、新聞各社がその内容を報道している。この時の一般国民の関心はノーベル賞級の発見があり、その実用化への夢が広がった事ではないか。
理化学研究所ホームページによると、その一年前に安倍首相が、理化学研究所神戸研究所(CDB)を訪問している。 「安倍総理が計算科学研究機構と神戸研究所を視察(http://www.riken.jp/pr/topics/2013/20130111_1/)」
以下がその時の写真データあるが、多くの人は、この写真を見て、未だにいかに多くの不明事項が残っていると感じているだろう。要するに、何となく全体構造がぼやけているが、その氷山の下には膨大な隠された事実が潜んでいるのではないかと思われるのだ。 http://www.cdb.riken.jp/jp/04_news/articles/img/13/130118.jpg
かつて脚光を浴びたリケジョの星と言われた、STAP細胞論文の筆頭著者は、現在一研究員に降格されたとの事だ。STAP細胞の再現実験に関しても、その実験の意義に関して、色々な見解がある。同じ研究所内で、STAP細胞の有無を検証する実験が二系統行われている。極論だが、再現実験で、現象が確認出来ないような事実を論文にした時点で、どこかおかしな判断があったと推定しざるを得ない。従って、現在理化学研究所が行っている検証は、恥の上塗りという部類の、大きな隠蔽を隠すための小さな隠蔽に見えてしまうのだ。
生命科学が、巨大な利益を生む産業に直結するようになり、科学者が商売人と限りなく近くなってきた事に、今回のSTAP細胞事件の背景があるのではないかと思う。これも、極論だが、体細胞を万能細胞までリセットさせる事が可能になることは、クローン人間の製造にも通じるのではないのか。
理化学研究所の研究者の中にSTAP細胞問題の扱いで、科学の信頼性の為に立ち上がる人は皆無かと思っていたが、STAP細胞問題への対応が適切ではないと考える研究者もいるようで、内心ほっとしている。成果主義で、成果を上げるため、研究者が論文製造器になって、その手段と目的を誤るのは、優秀な人材活用という点からも勿体ないのではないか。
NAVERまとめ「 わずか16人!女性のノーベル賞受賞者!!(http://matome.naver.jp/odai/2139074216987482801)」。この記事によると、「自然科学分野での女性のノーベル賞受賞者はのべ16人で、化学賞が4人、物理学賞が2人、生理学・医学賞が10人である。」との事だ。上記、理化学研究所ホームページの写真に、女性は一人もいないようだ。
2014年日本、否世界を湧かせたSTAP細胞問題が、どんな形で終幕を迎えるか興味は尽きない。人々の関心が薄れるまで、対応を小出しにして、いつの間にか幕引きになっていたというようでは、日本の科学は世界から見放されるのではないか。