生む・生まれる・生ませる(改題):輪廻のトンネル:生死と世代に関する哲学的妄想?;妻不在 オレにじゃれ来る 猫の知恵。180414。
2018年4月14日(土)
昨日は晴れ。ざっそう句;妻不在 オレにじゃれ来る 猫の知恵。午前、故障した水道ポンプに呼び水をして動作確認。接着剤を注入した外壁の亀裂からの水漏れは無くなった。だが、いくら水を注入しても満タンにならない。配管に水漏れがあるのか。仕方なく、蛇口を開いてみると、細々と水が出てきたが、灌水に使える量では無い。やや強い北風が吹き、ポンプの復旧の見込みも無いので中断した。午後、宅内閑居。後半に予約の用事外出。一時間程で用事は終了。スーパーで買い物。ニュージーランド産のカボチャ三個目を購入。大根も安くなっていたので購入。ネギ苗も並んでいたのでつい購入。この季節になるとダイコン・カボチャも需要が減るのも安くなった一因か。我が家の住人となった子猫も今では立派な青年になり、食欲も旺盛である。かみさんが不在で、腹が空くとオレに付きまとう。雄猫にストーカーされても、自慢にもならないが、餌を一つまみ与える。それを食べ終わると、もうバイバイだ。変な忖度をせず、天真爛漫に生きる猫が羨ましい。
「追記(2018/04/15):画像を追加。問題は配管に亀裂が生じて水漏れか?考えられる原因が幾つもある。本体ポンプ側壁のひび割れは接着剤で応急対策出来たが....。
原ファイル名=「IOB_2018_IDO_PONPU_NG_井戸ポンプ微量の水が出た20180413.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
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2008/10/6
生む・生まれる・生ませる(改題):輪廻のトンネル:生死と世代に関する哲学的妄想?
「追記(2018//):この過去記事は、ほぼ10年前に書いたが、読みにくさがあるので、読み易く整形、再読して、印象・コメント等を追記して再利用。かつて、バイブルを拾い読みした事がある。もう完全に忘れた。最初に出て来たのが、誰が誰を産み云々という系図のような部分であった。それを、フリーのバイブルから引用したのが以下の部分だ。
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マタイ傳福音書(http://bible.salterrae.net/taisho/html/matthew.html)(このサイトへのリンク)
第1章
1:1アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系圖。
1:2アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み、ヤコブ、ユダとその兄弟らとを生み、 1:3ユダ、タマルによりてパレスとザラとを生み、パレス、エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、 1:4アラム、アミナダブを生み、アミナダブ、ナアソンを生み、ナアソン、サルモンを生み、 1:5サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エツサイを生み、 1:6エツサイ、ダビデ王を生めり。
ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み、 1:7ソロモン、レハベアムを生み、レハベアム、アビヤを生み、アビヤ、アサを生み、 1:8アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み、 1:9ウジヤ、ヨタムを生み、ヨタム、アハズを生み、アハズ、ヒゼキヤを生み、 1:10ヒゼキヤ、マナセを生み、マナセ、アモンを生み、アモン、ヨシヤを生み、 1:11バビロンに移さるる頃、ヨシヤ、エコニヤとその兄弟らとを生めり。
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聖書と同じような系図で、権威付けをする歴史的資料は山ほどあるのだろう。その真偽はどこまで正しいのか。所が、生死や遺伝や親子関係という神の領域の問題は、ほとんど現代科学で解明されてしまった。極言すれば、生命という次元では既に神は死んでいるのだ。従って、今更、「生む・生まれる・生ませる」という様な事を論じても、さほど生産的な結論が出るか分からない。と言う事で、以下の旧記事は、配列を変えるだけで済ませる。
誕生・生誕とは人間にしろ動物にしろ不思議で厳粛な現象である。生む・生まれる・生ませるという言葉に生命が伝えられる様式が見える。
というより、その言葉を使う人の意識や意志が言葉に反映されているようだ。
生むとは正に母親の行為である。どうも「生む」だけの自動詞的用法は漠然としてしまう。生み出す目的語である対象を想定している言葉のようだ。○○を生むという表現から目的語を伴う他動詞が原義であるようだ。
それでは、「生まれる」とは自動詞なのだろうか「生む」の受動態なのだろうか。
私は平成○年○月○日に生まれました。この表現は親子関係を想定しているので受動態に近いだろう。行為としての意志の強さは断然「生まれる」より「生む」に軍配があがるだろう。
然からば、「生ませる」はどうか。父親の行為でもあるようだ。「生む」よりさらに強い意志の支配を感じないでもない。
○は△に□をして×を生ませた。しかし、自分は×に生ませられたとなると自虐的になりすぎる。誕生・生誕という不思議で厳粛な現象もその意識や意志の点でなんとなくあいまいな部分がある。
なぜだろう。
やはり、成人の意志や意識でもってしても、誕生・生誕という現象には、人間が完全に制御しがたい自然の摂理が働いているからであろうか。
話は植物の世界に飛ぶ。植物体が成熟すると花を咲かせ、受精して、実が熟す。それが、ぽとりと地面に落ちる。
母体からのTAKE OFF離別である。この瞬間種子(子供)は母体の庇護もなくなり、厳しい環境に耐えてゆく運命にさらされる。
母体に比べれば圧倒的に劣悪な環境から出発する。植物の意志や意識はどこにあるのだろうか。
もう一度人間の世界にもどる。
人間、挫折し、難局に遭遇したりすると、こんな事なら「生まれなければよかった。」と思うことがよくある。親子の口論もこの類が多い。お母さんが自分を生んだのが悪い等々際限が無い。
○(?)は△(母)に□(父)をして×(自分)を生ませた。こういう、発想の転換はできないだろうか。即ち、出生の主体に自己を置くのである。
「○(?)=自分」とすればよい。自分は自分の意志でこの世に出生したのだと再認識するのだ。父も母も自分の出生に身体を貸してくれただけだ。生命誕生のドラマもこれが誤りではないと感じる。
子供にとって精神と生活の独立宣言でもある。自己の出生を動物の世界、植物の世界、自然の摂理等から客観的に位置づけることにより自己の存在が確実なものになるのではなかろうか。
それでは、本当の「○(?)は」とは何か。
生まれていない自分がなぜそんな事ができるの?自分が生まれる前に自分が生まれる準備は進んでいる。植物で言えば授粉の瞬間に次の生命のバトンタッチが始まっているのだ。生命の誕生と進化のドラマが普段見えないところで展開しており、凡人に容易に見られないがのが勿体ない感じがしないでもない。
以上、ほぼ十年後に旧記事を一読したが、このような即物的?な解釈にはまだ出合っていない。物事を主体的に考え、主体的に行動するには、自我という精神作用が働き始める必要がある。
オレは△の子、△は■の子、■は〇の子云々と自分を系図という位置座標で規定するのも、あながち無意味では無かろう。一人の人間には、二人の親がおり、その両親にも二人の親がいる、そのような系図を辿ると、10代で1024名のご先祖様がいる事になる。そのご先祖様の詳細は、知る由も無いのが現実だ。むしろ、今生きている人間全てが、ご先祖様のDNAを少しずつ引き継いでいるのではないか。
歴史の節々で、権勢を誇ってきた一族も、その他の一族があって浮き上がって見えるだけではないか。
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2008/10/6
生む・生まれる・生ませる
誕生・生誕とは人間にしろ動物にしろ不思議で厳粛な現象である。
生む・生まれる・生ませるという言葉に生命が伝えられる様式が見える。
というより、その言葉を使う人の意識や意志が言葉に反映されているようだ。
生むとは正に母親の行為である。
どうも「生む」だけの自動詞的用法は漠然としてしまう。
生み出す目的語である対象を想定している言葉のようだ。
○○を生むという表現から目的語を伴う他動詞が原義であるようだ。
それでは、「生まれる」とは自動詞なのだろうか「生む」の受動態なのだろうか。
私は平成○年○月○日に生まれました。
この表現は親子関係を想定しているので受動態に近いだろう。
行為としての意志の強さは断然「生まれる」より「生む」に軍配があがるだろう。
然からば、「生ませる」はどうか。
父親の行為でもあるようだ。
「生む」よりさらに強い意志の支配を感じないでもない。
○は△に□をして×を生ませた。
しかし、自分は×に生ませられたとなると自虐的になりすぎる。
誕生・生誕という不思議で厳粛な現象もその意識や意志の点でなんとなく
あいまいな部分がある。
なぜだろう。
やはり、成人の意志や意識でもってしても、誕生・生誕という現象には、
人間が完全に制御しがたい自然の摂理が働いているからであろうか。
話は植物の世界に飛ぶ。
植物体が成熟すると花を咲かせ、受精して、実が熟す。
それが、ぽとりと地面に落ちる。
母体からのTAKE OFF離別である。
この瞬間種子(子供)は母体の庇護もなくなり、厳しい環境に耐えてゆく運命にさらされる。
母体に比べれば圧倒的に劣悪な環境から出発する。
植物の意志や意識はどこにあるのだろうか。
もう一度人間の世界にもどる。
人間、挫折し、難局に遭遇したりすると、こんな事なら「生まれなければよかった。」と
思うことがよくある。
親子の口論もこの類が多い。
お母さんが自分を生んだのが悪い等々際限が無い。
○(?)は△(母)に□(父)をして×(自分)を生ませた。
こういう、発想の転換はできないだろうか。
即ち、出生の主体に自己を置くのである。
「○(?)=自分」とすればよい。
自分は自分の意志でこの世に出生したのだと再認識するのだ。
父も母も自分の出生に身体を貸してくれただけだ。
生命誕生のドラマもこれが誤りではないと感じる。
子供にとって精神と生活の独立宣言でもある。
自己の出生を動物の世界、植物の世界、自然の摂理等から客観的に位置づけることに
より自己の存在が確実なものになるのではなかろうか。
それでは、本当の「○(?)は」とは何か。
生まれていない自分がなぜそんな事ができるの?
自分が生まれる前に自分が生まれる準備は進んでいる。
植物で言えば授粉の瞬間に次の生命のバトンタッチが始まっているのだ。
生命の誕生と進化のドラマが普段見えないところで展開しており、
凡人に容易に見られないがのが勿体ない感じがしないでもない。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN | 瞬低T | 瞬高T | 瞬風 |
DATA | 315.6 | 261 | 104 | 18183.0 | 13.2 | 16.8 | 8.4 | 8.4 | 8.3 | 11.8 | 0 | 8.4 | 17.5 | 15.7(北) |
時刻等℃ | 日 | D | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | m/s | H | mm | 24:00 | 13:13 | 14:32 | |
2018年04月13日 伊勢崎(イセサキ) | AMEDASへのリンク |
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