千本桜:いとしきもの
2010/4/26
雑草句録:千本桜
■車イス押して見上げる千本桜
花見に繰り出す老若男女。思い出も人様々である。車イスへの気配りがありがたかった。
2010/4/26
雑草句録:千本桜
■車イス押して見上げる千本桜
花見に繰り出す老若男女。思い出も人様々である。車イスへの気配りがありがたかった。
2010/4/25
雑草句録:結婚式
■久しぶり結婚式で床屋行く
最近では慶事より弔事が多くなってしまった。馴染みの床屋も遠くなっていたが、浮き浮き。
それから又時が過ぎてしまった。
2010/4/23
雑草句録:花大根
■花大根やっと二本咲き始め
防草、雑草対策に色々なグランドカバーを試したがうまく行かなかった。畑に生えていた花大
根を植えてみた。それがようやく花をつけて、数年間で相当増えた。雑草退治に頑張ってくれ
そうだ。
2010/4/22
雑草句録:菜の花
■菜の花の匂いの中で深呼吸
昔は菜種油をとるために田んぼで菜の花を作った。今は景観・防草用に作っている。風の少
ない晴天にはほのかに花の香りが漂う。
2010/4/21
雑草句録:古城
■一人行く古城の森のすみれ花
最近は余りすみれも見かけない。自己主張の強い、色鮮やかな花に気を取られているのも
一因か。ほっ、咲いているなという程度で通り過ぎてしまう花だが...
2010/4/20
雑草句録:モズ
■モズの狩り畑仕事についてくる
野鳥も利口である。耕耘機をかけたり、土を耕すときにその後を追ってくる。ムクドリ、キジ鳩
が多い。モズは警戒心が強く、人間に近づく時間も少ない。狩の時は鳴かないようだ。
2010/4/19
男はつらいよ
■寅さんの一作を見る春の宵
2010年の干支は寅で、寅さんも少し話題になった。残念だが寅さんの新作は一度も見た事
がない。数年前、NHK BSで全作が放映された。それならばと、ビデオにとり始めたが途中で
挫折した。ビデオには留守録機能が付いているはずだがほとんど使った事がない。そのビデ
オも過去の物になりつつある。
2010/4/16
■つたなしやウグイスの声朝寝坊 照緑
春の朝には色々な鳥が鳴く。相手のウグイスは鳴き留まってはくれない。鳴く鳥には人間は
邪魔者なのかもしれない。
2010/3/27
雑草句録:シノ
■シノ堀りの余禄に一つふきのとう
篠は種類や条件によるが、地下10~30㎝位に地下茎が這う。畑に篠が畑に進入を始める
時は篠の基地から、畑に向かって地下茎が伸びる。考えてみれば当たり前である。その地
下茎の節目の10~20毎に篠の芽が付いている。時には地上に芽や茎がが出て、一直線に
並んでいるのに気付く。しかし、その下に地下茎が伸びている事にはつい気が回らない。篠
を駆除しようとしたらその基地を叩くのが基本なのであろうが、手遅れになると地下茎は四方
八方に張り巡らされてしまう。結局、地面に出た篠を掘り上げるというモグラ叩きとと同じ戦法
になってしまう。少なくとも基地からの補給路を断てば少しは時間稼ぎが出来るのではない
か。我が畑にはあちこち篠の基地ができてしまった。回路技術者だったが、篠の根っとわーく
の凄さにはついつい気付かなかった。地下茎の先端が人に見えない間にどんどん伸びてい
る。篠はそこに養分(エネルギー)を注ぎ込む。そこが、篠が生き残るためのフロンティアなの
だ。そんなことを考えつつソニーのネットワークカンパニーという呼び名を思い出した。ソニー
もネットワークに何か思い入れがあったようだ。立って生きるより這ってでも生きる。篠もした
たかな戦略を見つけたようだ。ともかく篠の根っとわーくには養分と情報が流れている筈だ。
篠に勝つか負けるか。こちらも戦略を練るが抜本的な手がない。文字通り、「抜本」で根を掘
るのが最終解かもしれない。当分は、程々につき合いう以外にない。刈り取った篠や枯れた
雑草の茎の処分に困った。燃やそうと思ったが、それをマルチ材にしたら使えそうだというア
イデアがひらめいた。苗の下に敷いて、乾燥と雑草の繁茂を防止するのに使う。腐れば肥料
になる筈だ。「豆を煮るに豆殻をもってす」という故事もあるようだ。深い意味もあるようだが、
即物的に考えると、捨ててしまう豆殻も豆を煮るために使える。これこそ究極のエコかもしれ
ない。一方、豆を人間に例えると苛烈なる人事の世界を覗くような気もする。ともかく、いやな
篠にも、農作業上の用途があるならば、他人から受ける変なプレッシャーも軽減できるので
はないか。
2009/1/3
落ち穂拾い
昔は米麦の刈り取りは手作業で行った。田畑のあちこちに取り残した落ち穂が残っていた。
これを、戦力外の老人や子供が拾い集めた。戦力外といっても何か予備役という感じであ
る。集めた落ち穂はちょっとした自家用に使ったように思う。それなりの用途があった。作物
の大切さを世代を超えて伝える役割も落ち穂拾いにはあったようだ。現在はコンバインがき
れいに刈り取りを行い、老人や子供のでる幕もない。コンバインの運転手が高齢化したとき
の心配は誰もが知っているのだが、昔には戻れないもどかしさがある。
以下も昨年の落ち穂みたいなものである。
2008年5月
(1)厨房の使い回しに今日(凶:吉の対)があり
(2)借りパンダ返す時には子もつけて
2008年6月
(1)こやし場のカボチャの方が良く育ち
(2)キスミーと誘うザクロに心揺れ
(3)草むしり蚊をたたく手のやり場無し
2008年10月
(1)税金や次ぎも近いと係り言い
(2)腰痛の腰を伸ばして柿をとる
(3)検診を終えてほうびの素ラーメン
2008年11月
(1)病人のサツマを食いて皆安堵
(2)血圧のデータ並べて思案顔
(3)車イス連れて秋見る観覧車
たまたま拾い残されただけで落ち穂となる。その落ち穂が別の人により別な用途で役立つの
なら落ち穂も捨てたものではないだろう。