紙のピアノ
2009/2/14
紙のピアノ
小中学校の音楽で本当の楽器で演奏したという記憶がほとんどない。楽器といえば音楽室
にあるピアノとオルガンを先生が弾き、生徒はそれに合わせて歌をうたったという程度であっ
た。自分にとっては楽譜は単に記号にすぎなかったようだ。音楽の試験では歌をうたったりす
る実技はまったく駄目、楽譜の方はまあまあの成績がとれた。一人の人間のなかで記号と音
と感性が統合されていなかった。音楽の教科書の末尾に印刷されたピアノの鍵盤が付いて
いた。実はピアノの練習にはこの紙のピアノが使われていたのであった。歌と言えば両親は
音痴を自認して子供にも音楽に対してほとんど配慮してくれなかった。母は一時詩吟を歌
い、大正琴の練習をした。しかし、父が歌を歌ったり、楽器を弾くのを見たことはなかった。
大学に入学して音楽コンプレックスを解消すべく、簡易楽器クラブに入りハーモニカを練習し
た。ギターも買った。しかし、長続きしない。社会人になり、宴会でマイクの番が回ってくると
どこかに隠れたくなる気持ちになる。百姓には音楽などの遊びは無縁だという父の考えもあ
ったかもしれない。父にそういうゆとりもなかった。子供達はピアノ教室に通い少しは楽器に
親しんだ。エレクトーンと中古のピアノを買った。最近、叔父さんに、お前のじいさんは屋台の
笛の名手だったという話を聞いた。じいさんの笛の音は遠くまで良く届いたそうだ。音痴にも
環境遺伝的要素があり、これを克服すれば音痴を改善できる可能性はありそうだと思えるよ
うになった。何よりも音楽は自分が楽しめればそれでよいのかもしれない。