生命の起源
2009/9/28
生命の起源
これは永遠の謎かもしれない。しかし、人間の頭脳がそういう回答が得られないかもしれない
問題を発見してしまったのだ。自分の親、祖父母、曾祖父母と一つ一つ歴史を遡ると家系が
見えてくる。その先に氏族、民族、人類、原人云々。種の起源も生命の起源の一里塚であっ
た。その先に、動物や植物の起源。細胞やウイルスの起源。最終段階になると生命と物質
の境界が曖昧になる。さらにつきつめると、物質自体にも歴史がある。単純な構造から複雑
な構造に時間的に不可逆的な変化が起こった。結局、生命とは不可逆な物質の変化の集積
としてとらえられることになる。生命の起源で思い出すのがオパーリン。オパーリンが生命の
起源に関して著作を始めたのが1920年代。1957年に『地球上の生命の起源』、1966年に
『生命の起源-生命の生成と初期の発展』を出版。コアセルベートという細胞に似た物質に
興味を覚えた。オパーリンは弁証法的唯物論の信奉者であったとのことであるが、オパーリ
ンの生命の起源も壮大な仮説であったようだ。論理学も究極的には頭脳の正しい使い方を
研究する学問に過ぎない。日本人は生命を論じると理より情に傾きやすいようだ。能動、受
動と二分したとき理は能動、情は受動の要素が多いだろう。残念だが、思考の武器を研かな
かったのが日本人の欠点であり、教育の欠点でもあったのかもしれない。ミラーが原始大気
の中で放電を行い生命の構成要素となる有機物の合成実験を初めて行ったのが1953年の
ことであったとか。人工的に生命を作ろうとする努力の始まりでもあった。生命現象は地球上
だけにあるのではないらしい。逆に宇宙には色々な生命現象の可能性が有りそうだ。仮説を
世に問うのは勇気が要るかもしれない。しかし、仮説は実験の足場を与える。足場が崩れた
らやりなおせば良い。ともかく、自分が生きた時代に生命の理解が大きく進んだ。細かいこと
が分かると更に謎も深まる。その謎解きが人間の興味を引きつける原点だ。