ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症。091126。
2009/11/26
ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症
直径1㎝位のガラス玉である。例外的に標準より大きいのも小さいのもあった。色つきの物や色柄入りの物もあった。従って、色々なビー玉を集める楽しさもあった。この、ビー玉のやりとりがゲームとなっていた。
ビー玉とはやや気取った外行きの言葉で、当時はハン玉と呼んでいたように思う。ビー玉のビーはガラスのビードロに由来するのだろうか。ハン玉のハンは何に由来するのか。ふっと半丁が浮かんだが...。
一番単純な遊びは、交互にビー玉を転がして相手のビー玉に当ててならばそれを自分の物にできるというルールである。これは一種のハンティングゲームのような感じがする。しかし、取り引きできる数量は余り多くはない。
変な名前であるが、丸出しというビー玉遊びがあった。これは、対戦者が地面に描いた円の中に何個かのビー玉を出し合い、自分のビー玉を当てて、円から外にはじき出した物を自分の物にできるゲームである。自分のビー玉が円内に残ってしまったら総負けけで、全部相手の物になったように記憶している。
要するにギャンブル性は大きくなり、それに連れて行き来するビー玉の数も増える。これは一種の共同事業のモデルであるようにも思われる。ようするに出資者は努力をすれば報酬がおおきくなる可能性がある。
更に進んで、売った買ったというゲームもあった。売り手は、自分のビー玉を何個か並べる。もうけるには当たりそうで当たらないように並べるコツが要る。買い手はある決められた距離からビー玉を投げて目的のビー玉に当てると並んだビー玉を総取り出来る。買い手は何人でも可能になる。外れ玉は売り手の物になる。何かパチンコゲームの様に射幸心をそそるようになる。
あるとき、自分が売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲームは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだが。
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2009/11/26
ビー玉
直径1㎝位のガラス玉である。例外的に標準より大きいのも小さいのもあった。色つきの物
や色柄入りの物もあった。従って、色々なビー玉を集める楽しさもあった。この、ビー玉のや
りとりがゲームとなっていた。ビー玉とはやや気取った外行きの言葉で、当時はハン玉と呼ん
でいたように思う。ビー玉のビーはガラスのビードロに由来するのだろうか。ハン玉のハンは
何に由来するのか。ふっと半丁が浮かんだが...。一番単純な遊びは、交互にビー玉を転
がして相手のビー玉に当ててならばそれを自分の物にできるというルールである。これは一
種のハンティングゲームのような感じがする。しかし、取り引きできる数量は余り多くはない。
変な名前であるが、丸出しというビー玉遊びがあった。これは、対戦者が地面に描いた円の
中に何個かのビー玉を出し合い、自分のビー玉を当てて、円から外にはじき出した物を自分
の物にできるゲームである。自分のビー玉が円内に残ってしまったら総負けけで、全部相手
の物になったように記憶している。要するにギャンブル性は大きくなり、それに連れて行き来
するビー玉の数も増える。これは一種の共同事業のモデルであるようにも思われる。ようす
るに出資者は努力をすれば報酬がおおきくなる可能性がある。更に進んで、売った買ったと
いうゲームもあった。売り手は、自分のビー玉を何個か並べる。もうけるには当たりそうで当
たらないように並べるコツが要る。買い手はある決められた距離からビー玉を投げて目的の
ビー玉に当てると並んだビー玉を総取り出来る。買い手は何人でも可能になる。外れ玉は
売り手の物になる。何かパチンコゲームの様に射幸心をそそるようになる。あるとき、自分が
売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから
玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲー
ムは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだ
が。
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追記(2017/11/21):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
文字サイズ・色・タイトル名を変更。
この記事を再読して、メンコやビー玉で遊んだのは何歳頃だったか気になった。多分小学生中学年前後だったような記憶がある。教えられてした遊びでは無い。物をやりとりする遊びは経済活動のシミュレーションという効果があったのだろうか。メンコやビー玉を大量に買って小遣いが不足したという記憶も無い。昔の遊びは、ゲーム器のように高価では無く、DIYが原点だった。
現代のトレカの遊び方や景品も気になるが、昔の遊びとの関係はあるのか。Pokemon GOというゲームは2016年頃社会的な話題になったが既に山を越えて下火になったのか。消費者がゲームメーカーの餌食になって終わりか。