特許の回避
2010/1/21
特許の回避
ある事を実現するためには一般的にいくつかの方法があるようだ。その方法はただ一つしか
ないと証明することも困難であり、現実的でもない。ある山の頂上に登るコースに例えられる
と思う。登山ならば新しいコースで目的を達成するのは一つのチャレンジであろう。逆に特許
の場合は、利便性、経済性が大きな目的になる。新製品を開発する場合、第三者の知的財
産権を侵害せずに目的を達成できれば、それがベストと言える。しかし、開発した結果が生
きるためは、タイミングが合わなければならない。第三者の知的財産権を使わざるを得ない
事もある。大抵、大企業はお互いに自社の持つ特許を融通し会う契約を結んでいるようだ。
お互いに使い合った特許使用料の差額が特許収支となる。知的財産権に関して友好的な関
係にあれば合理的経済性の範囲で問題解決が可能なようであった。一方では、その逆の特
許ビジネスを専門にする事業者もいるようで、知財関係者から警戒されている場合もあった
ようだ。いずれにせよ、新製品を開発する場合、第三者の知的財産権を侵害しないこと、第
三者の特許を回避する別の手段を採用すること等が必要になる。既に市場に類似の製品が
存在する場合はそれを調査する。集積回路の場合はチップのレイアウトや回路が知的財産
権の対象になるので、その調査は大変である。そのような調査はリバースエンジニアリングと
呼ばれているが、適当な日本語を知らない。リバースエンジニアリングは単に産業上の技術
概念なのであろうか。権利という概念は完全に相対的概念であり、社会の中で生み出されて
きたのであろう。従って、権利の独占もあくまでも社会が許容できる範囲に限定されるのは明
かだろう。発明も発見も社会が積み上げてきた知識やインフラがあって初めて可能になる。
社会という巨人の肩に乗った小人が巨人の如く振る舞うのに違和感を覚えたのも事実であっ
た。リバースエンジニアリングも人間の創作物に到るまでの技術の適用を復元する復元技術
と定義すれば、それは技術における巨人の部分に相当するのではないか。新しい発明・発見
を矮小視する積もりはないはが、リバースエンジニアリングは公開されない優れた先人の思
考、発想、適用した技術等を探る正当かつ有意義な技術行為なのではないか。古代の遺跡
から出土する翡翠の首飾りはどのように加工したのか不思議に思った事がある。固い原石
に糸がようやく通る程度の小さな穴を開けるのは現在でも素人には難しい。その解決法を読
んで納得した。その技術は現代でも通用する。嶋正利の「我が青春の4004」を読んで、チッ
プパターンに家紋を残していると知った。これも、技術者として何かメッセージを残したいとい
う気持ちがあったのではないか。顕微鏡写真を何枚も張り合わせたチップ写真を眺め、そこ
から回路を抽出する時に何かその作品を完成させた技術者と向き合い対話しているような
気持ちになった事もあった。中には何のためにあるのか理解できない部分もあった。配線さ
れずに埋もれている捨て石のような部品もあった。これは万一の場合の保険でもある。捨て
石や部品の組み直しで助かった事もある。回路にもパターンにも芸術的な美しさを感じるも
のがある。技術者のセンスを感じる。一般の人に見せたいと思うこともあった。画生が偉大な
画家の作品の模写をするのも同じ様なことかも知れない。技術者現役時代は特許を避ける
という事を単なるコストの面でしかみていなかったようだ。第三者の特許を避けるという事に
は、結果的には先人の真似をしない、先人を乗り越えるというプライドややり甲斐という自己
主張という側面もあったようだ。