炭坑:いとしきもの
2010/4/11
炭坑
亀裂走り炭壁が一瞬わが額にのしかかるごと地圧はきたる
まだ炭坑にしがみつく気かと言ひし顔思い口惜しみ吾は石掘る
難儀して掘りたる石炭の炭車に満ちつらなり動くに涙出でたり
昭和萬葉集16巻。仕事の歌 炭坑の区分にあった短歌である戦後の経済発展を支えてきた
のは何であったのか。当時の冬の学校の暖房はだるまストーブと石炭を使っていた。通学の
列車は蒸気機関車が引っ張った。機関車の後ろに石炭を積んでいた炭車が連結してあっ
た。石炭はエネルギー、熱源だけではなく、工業原料としても用途が多かった。発電機も水力
から火力に移ってきたのではないかと思う。水主火従が火主水従に代わったと送配電工学
の講義で聞いたような記憶もある。エネルギーの主従が逆転したのも経済の高度成長期で
あった。そんな昔の事を思い出すと石炭が戦後の一時期日本の経済発展を支えていたのだ
ろうと気付く。しかし、石炭には色々な欠点もある。燃えがらが残ったり、排煙を出す。固体な
ので運搬、販売が不自由。その他、いろいろな理由があるだろう。国のエネルギー政策も石
炭から石油に切り替わった。エネルギー源は使ってなんぼという経済原則が最重視される。
そうして、目先だけの低コストを追求して、そんの廃棄物のツケは後の世代や弱者に回して
きた。石油や原子力ではその燃えがらが目に見えないだけ始末が悪い。石油や原子力にそ
の一面があることは否定できないであろう。当時の民間の火力は薪や桑の枝等の雑木が多
かったと思う。その燃えがらの灰は畑にまいた。この家庭部門のリサイクルシステムも全て
崩壊した。こういう時代の流れと引き替えに戦後経済の発展があったのかもしれない。上記
の三首は同じ作者のものである。経歴を見ると閉山のためだろうか炭坑を去って職業を変え
ている。一首目には、命を懸けた炭鉱内の仕事の様子が描かれている。炭坑では落盤だけ
でなく、出水や火災も起こる危険が常にある。危険きわまりない仕事であろう。二首目は更に
他人の目から自分の仕事を見ている。まだ炭坑にしがみつく気かと言われる事は更に自分
の心には厳しく感じるだろう。第三首はそのような、物理的、心理的に難儀をしつつ掘り出し
た石炭を一杯積んだ炭車が連なって貯炭場から出るのを見送ると自然に涙が出てきたと詠
んでいる。かつては炭坑の事故のニュースを見たり聞いたりした記憶はかすかに残っている
が、そこで働いていた人の心情をつぶさに知ることもなかった。仕事が厳しければ厳しいほど
仕事に対する愛着と誇りが強まる。この石炭も自分の仕事もいつか不要になると考えると感
慨もさらに深まったのかもしれない。この最後の一首には作者の万感の情を感じ自分も涙を
禁じ得なくなった。