読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(2)
2010/12/1
今年も鳥インフルエンザで鶏が死んだニュースが昨日流れた。宮崎県の口蹄疫の場合、感染ルートの特定が公表されていない。今回は至急で専門家を現地に派遣したようだ。初動調査と感染の拡大防止が最大の課題である。鳥インフルエンザウイルスは人に感染するように変異する可能性が多いようで流行すると大変なことになる。インフルエンザワクチンの接種も行われているが、今年はパスしている。意識的に防衛する以外に手はない。
以下本題:
読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(2)
○「御所の荒廃を詠む」の章
■東山のぼりて見ればあはれなり 手の平ほどの大宮どころ
著者須永義夫は冒頭に、この歌を引用して「東山に登って御所を見下し、その荒廃を『手の平ほどの大宮どころ』と詠んでいるが、後桜町天皇の坐します宮は手入れもされず放置されて一層小さくみえたのだろう。」と述べている。
著者は高山彦九郎の行動に「勤王のための思いつめたような一途さ」を認めているが、その思想を形成した原点を「十三歳の時に太平記を読み新田義貞の忠誠に感動し、足利尊氏を逆賊として憤慨した事」などと指摘している。また、女傑というべき祖母りんの薫陶、伊勢崎藩学の影響も指摘している。
尚、高山彦九郎の出自等に関しては「高山彦九郎の実像」の中の「高山彦九郎小伝」で萩原進が、高山家の先祖が「太平記」に現れ活躍をしていた事を記している。太平記の時代と高山彦九郎が生まれた時代には400年以上の隔たりがある。高山彦九郎の行動には400年以上前の先祖のDNAが乗り移っているのだろうか。
以下2010/12/12追記:著者が伊勢崎藩学の影響を指摘しているが、高山彦九郎 記念館 ホームページ資料によると、村士玉水(すぐりぎょくすい)は伊勢崎藩儒で、「村士玉水は彦九郎の師といわれる。伊勢崎藩校学習堂の命名者。門人に服部栗斎・岡田寒泉・小松原醇斎(剛治)等がいる。父村士淡水は三宅尚斎の門人で、福山藩儒。」とあり、高山彦九郎が伊勢崎で学んだ事がその後の高山彦九郎の思想や行動に大きく影響した事が推測される。