雑草句録:雪かき
2011/1/1
雑草句録:雪かき
■我が娘雪かき始む病み上がり
父親が病み上がりで力が出ない。雪かきは父親の仕事であったが、その年は自分から雪かきを始めた。これも、ある年の元旦の一風景であった。
○めでたさも中ぐらいなりおらが春
この句は小林一茶が1819 年 (文政 2) の元旦に詠んだとの事だ。小林一茶の不遇な人生とその句を重ねると句の味わいが深まるようだ。中くらいなら上々ではないか。前向きに自分を励ましているようでもある。
○暮れ暮れて餅を木魂(こだま)の侘寝哉
天和元年年末、芭蕉38歳の時の作との事だ。ブレーカーが落ちて以下の入力が消えた。WZエディターを使っていて自動セーブしており少し助かった。いよいよ2010年も押し迫ってきた。暮れ暮れてとは繰り返し表現で年が最後の最後まで暮れてきたと強調しているのか。こだまとは木霊であり、音の響き・エコーを意味する。ペッタンペッタンと近所のあちこちから餅をつく音がエコーのように聞こえてくるが、独居の芭蕉はそんな事とは無縁で、一人侘びしく寝ころんでいる姿が目に浮かぶ。この句は芭蕉の秀句との事だ。俳句の道、貧乏暮らしも覚悟して居直っているようでもある。本当は年が暮れて新年になろうとする時まで俳句を練っているようでもある。ふてくされているよりやせ我慢をしているような所がよいのかもしれない。満腹では良い作品は難しいのかもしれない。
■蕎麦と餅食ってつなげる昨日今日
現代はほどほどに食うことも難しい。今年は自然体でよりスロー、よりマイペースでゆきたい。