読みかじりの記:リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 著(日本経済新聞社 2009年)
2011/5/11
昨日午後に天気予報通り降雨があった。雨量は少なかったが苗には良いお湿りとなった。首相が記者会見をして原発を進めた国にも責任があるから原発事故対策に目処が立つまで首相歳費を返上すると発表したようだ。首相が個人として責任をとるというものも何か違和感を感じる。政府は東京電力の損害賠償責任は一義的には東京電力にあると言っているのと矛盾するのではないか。原発事故の初動対応の不手際にすり替えてしまったように見えて後味が良くない感じがする。
昨日の天気
TAVE= | 20.4 |
TMAX= | 28.4 |
TMIN= | 16.2 |
DIFF= | 12.2 |
WMAX= | 5.3 |
SUNS= | 1.4 |
RAIN= | 1.5 |
読みかじりの記:リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 著(日本経済新聞社 2009年)
「軌跡のリンゴ(2008/07) 」は幻冬舎より出版され 、当時かなり話題になっていたと思う。本書はその続編に類するものかもしれない。自分は全くの果樹の素人で、花の美しさ、果実のうまさだけで果樹を育てようとしてきた。我が家の畑にもリンゴの苗を植えているがまだ満足な果実を収穫できていない。著者が何十年か続けてきたリンゴの無肥料無農薬と同じ事をする時間的な余裕は全くない。苗が2~3年育つ頃にはカミキリムシの被害でリンゴ樹を枯らしているのが実状だ。果樹にしろ野菜にしろ適地適作があると知ったのは会社退職後であった。農業をするのにも、後何年というタイムリミットが常に付きまとっている。そんな訳で著者の本は読みたいが読みたくもない本であった。ともかく、失敗をおそれず挑戦を続け成功したので本書が世に出たという事であろう。挑戦したが失敗しましただけの内容では面白みがない。その点本書は著者の色々な体験が詰まっている本である。読者は一般の人を対象としているようで、本書から具体的な技術内容やノウハウは得る事は困難だが、著者が実践した事や観察した事は興味深く参考になった。「りんご大学の『日本のりんごの歴史 』(url=http://www.ringodaigaku.com/study/history/history.html)」を見ると、青森県のリンゴ栽培は明治の初期に始まった事が分かる。『日本のりんごの歴史 』の年表と著者の足取りを重ねると著者の業績の位置付けが見えてくるのではないか。リンゴ産地がリンゴの病害虫や市場対応に苦労している点が見える。「りんご大学」は「青森りんごTS導入協議会」が運営している。「TS」はトレーサビリティの意味のようだ。青森りんごTS導入協議会は生産者団体、青果物卸売市場等がメンバーになっている。トレーサビリティとは生産物の履歴管理システムの意味であろう。生産物の履歴管理には食の安心安全のための防除(農薬使用)履歴も当然含まれているだろう。自然農法、無肥料無農薬栽培は究極的なで理想の農業のように受け取ってしまうが、それを実現できる農家は極少なく、無肥料無農薬栽培生産物が全体に占める比率はそれほど高くなく市場の要求を満たせないのが現実のようだ。言い換えれば、自然農法、無肥料無農薬栽培による農産物はブランド化して、高値で取り引きされる可能性も大きいだろう。ともかく、ある作物をある水準の品質でつくる方法は無数にあるように見える。自然農法、無肥料無農薬栽培が唯一絶対の技術でもないのではないかとも思うが、まだ第二、第三の有力な技術が見つけれた訳でもないようだ。ともかく、リンゴ栽培にも膨大な技術の積み重ねがある。そのような技術体系の中で、自然農法、無肥料無農薬栽培がどのような位置を占め、今後それが主流技術になるのかは興味のある所だ。ともかく、マクロ的に見ると果樹栽培農業は多大な労力を必要としている。一方市場の要求は限りなく厳しくなりつつある。人口の減少と農業離れが進む中で、生産物の品質の向上と省力化とコストダウンは相反する。このジレンマを解決する方法はあるのか。尚、農文協サイトの記事「自然栽培「奇跡のリンゴ」に学んだ畑はどうなった(url=http://www.ruralnet.or.jp/gn/201008/kant.htm)」も参考になった。一般のリンゴ栽培農家が無肥料無農薬栽培を行う場合、相当の収量低減が避けられないのが現実のようだ。
以下本題。
かみつけ女流歌人 雅: 窓
歌題=窓:
■増える白髪を いとほしみつつ 櫻(はな)冷えに 爪きる音の はぎれよき朝 1 相川 公美子
幾つかの情感が重畳的に表現されて、作者の人生と生活の確からしさを偲ばせる。