読みかじりの記:「オサマ・ビンラディン」 エレーン・ランドー 著 松本利秋監訳 大野悟 訳(2001年 株式会社 竹書房)
2011/10/28
昨日は穏やかな晴天。青空と言うよりやや霞がかった空だった。葬儀。買い物。ウドの茎葉の手入れ。ウドの大木といわれるが、春先のウドは全部収穫できない。翌年収穫するためには夏場に茎葉が十分働いて、養分を根に蓄えさせる必要があるので、その分を残さねばならない。茎葉を切り倒して、これから色付くミカン樹に光を当てようとしたが、まだ葉が青いので残して欲しいと言われた。とりあえず倒れた茎葉をミカン樹から離した。除草した後からはもう春の雑草が芽を出し始めている。一昨日から今朝まで3日連続で最低気温が10℃を下回った。柿_大養([タイヨウ])を試食してみたが渋かった。種子の数が少ないのが原因のようだ。02E2_柿(カキ)色々=http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02e2_kaki_TREES.html。
2011/10/27の天気
TAVE= | 12.1 |
TMAX= | 17.8 |
TMIN= | 7.2 |
DIFF= | 10.6 |
WMAX= | 3.5 |
SUNS= | 10.2 |
RAIN= | 0 |
最低気温(℃) 6.4 05:42
最高気温(℃) 18.4 14:30
読みかじりの記:「オサマ・ビンラディン」 エレーン・ランドー 著 松本利秋監訳 大野悟 訳(2001年 株式会社 竹書房)
「アメリカ同時多発テロ事件;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6;(最終更新 2011年10月25日 (火) 14:29 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん)は、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件の総称[1]。航空機を使った前代未聞の規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えた。その後、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになる。また、飛行機のマンハッタン高層ビルへの大規模衝突事件としては、1945年のエンパイア・ステート・ビルディングへのB25激突事故以来のこととなった。」とある。
本書の初版発行が2001年11月1日である。緊急に出版されたようなタイミングである。あの「アメリカ同時多発テロ事件」から今年で10年。注目の「オサマ・ビンラディン」がアメリカにより殺害された。リビアのカダフィ大佐の殺害はつい最近の事だ。
「アラブの春;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5;(最終更新 2011年10月25日 (火) 20:09)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「アラブの春(アラブのはる、英語: Arab spring)とは、2010年から2011年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せている。」とある。
2011年はアラブ世界が大きく動いた年になったのは確実である。本書を読みかじってオサマ・ビン・ラディンを単なるテロリストと切り捨てるのは難しいと思った。オサマ・ビン・ラディンは人・物・金という組織を動かす力量で卓越している事を知った。オサマ・ビン・ラディンの人物の背景にイスラム教があることも。アラブ世界がイスラム教という共通的な価値を共有している事、これは疑いのない事実だろう。
ヨーロッパ、中東、アジアは陸続きで、その宗教、文化はそれぞれ異なるが、本書を読むとマクロ的な世界の構造を考えさせる。日本では、オサマ・ビン・ラディンやカダフィ大佐の死亡も余り注目されなかった。イスラム世界の激動も、インドやアジアの中国という近隣地域という緩衝地帯があるためか、単なる一過性の情報として捕らえられているのに過ぎないと感じてしまう。
しかし、アメリカやヨーロッパが中東に向ける視点は異なる。アフリカも中東もアジアもかつては西欧諸国の植民地や属国で真の独立国は少なかった。ところが、第二次世界大戦というパンドラの箱のふたが開いてみると、やっかいな悪魔が多数飛び出してきた。イスラム教もキリスト教もその構造で親近性があるようだが、その宗教レベルでも協調ができない雰囲気があるように感じる。日本ではキリスト教は比較的馴染みがあるが、イスラム教となると分からないことが多い。ヨーロッパ、中東、アジアが陸続きで、宗教も文化も流動してきたのが世界史だ。
アラブの春をツィッター等が助けたと伝えれるが、それも一面の真理かもしれない。しかし、第二次世界大戦の終了から半世紀以上にわたるアラブの冬があったと考えると、今日のアラブの春は来るべくして来たのではないかとも思われる。オサマ・ビン・ラディンがたどってきた遍歴を、アラブ諸国の人々は、数十年遅れでたどってゆくのではないか。今後はアラブ世界に、世界に対して自己を解放して行くという意識が鮮明になり第二のパンドラの箱が開かれてくるのではないか。西欧諸国は、このアラブの春を自国の春とする事ができるのか。日本はアラブの春をどのようにとらえるのか。日本は、世界における自己の位置を明確に把握して行動しない限り、アラブ世界、西欧のみでなく、世界中からはじかれてしまうのではないか。アメリカも西欧もアラブ世界にお節介をするユトリを失うと益々世界の動きは複雑になるだろう。