読みかじりの記:「経営者の条件」 大沢武志 著 (2004年 株式会社 岩波書店)
2012/3/29(木)
昨日は晴れ時々曇り。風が強かった。用事外出。日時を間違えて用事は空振りに終わった。それならばと、目的をサイクリングに変えてしばらくフラフラ乗り回す。店頭にとめた自転車が二度転倒していた。最初はいたずらかと思ったが、二度目は突風かと考え直した。最近、チベット旅行者矢島保治郎が話題になり、墓もあるよと聞いていたので、どこにあるのだろうと気になっていた。写真を見て、頂部が球状になっているのを覚えていた。もしやと自転車を止めて近づいてみると、それが矢島保治郎の墓であった。想定外の収穫ではあった。
2012/3/28(水)の天気
TAVE= | 8.1 | |
TMAX= | 16 | 最高気温(℃) 16.6 13:26 |
TMIN= | 2 | 最低気温(℃) 1.7 05:41 |
DIFF= | 14 | |
WMAX= | 8.3 | 最大瞬間風速(m/s) 16.0(北北西) 15:08 |
SUNS= | 5.6 | |
RAIN= | 0 |
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読みかじりの記:「経営者の条件」 大沢武志 著 (2004年 株式会社 岩波書店)
経営者を一般のサラリーマンから見れば殿上人のようで、余り強い興味は持っていない。本書を手にしたのは、日本の経営が何か元気を失っているように感じてきたことに一因がある。会社の従業員の姿はなかなか、見えないが、会社や経営者はそれなりに、社会的な存在でもあり、何となく見られたり比較されたりしている存在だろう。本書のカバーに雪印や三菱とう名門企業が、不祥事という言葉と一緒に出てくる。本書が書かれた背景に、会社がかかわる不祥事があったのも事実だろう。著者自身もリクルートの役員を経験しているようで、その体験も本書を書かせる動機でもあったことが、後書きに述べられている。
現在、かつての名門企業が不調に陥り、その再起が可能なのか、企業には寿命があり、社会的な役割の果たせない企業は、自滅か解体を辿るべきか、それとも公金を注ぎ込んででも、再生させるべきなのか、企業存立の問題さえ浮かび上がってきているのが最近の様相だ。ともかく、多彩な企業活動の司令塔が経営者であり、経営者の社会的な責任も重要になってきた。経営も政治と同じように結果責任という部分もあるが、経営には基本的なルールがあるので、そのルールを外さないで如何に目的を達成するかとうのが、経営論、経営者論の醍醐味ではないかと思われる。
しかし、その経営者が、最近では世間から余り注目を集めていない。WIKIPEDIAの「日本の高額納税者公示制度」によると、「日本では1947年から2005年まで導入された。当初の制度の目的は「高額所得者の所得金額を公示することにより、第三者のチェックによる脱税牽制効果を狙う」ことであった。初期の頃はこの目的の効果を高める為に、情報提供者に対して報償金を脱税発見額に応じて支払う「第三者通報制度」も導入されていた。しかし、第三者通報制度は、通報の動機が怨恨や報復によるものが多いなどの指摘があって1954年に廃止された。公示制度では収入額を公示していたが、1983年度からは納税額を公示するようになった。」とある。日本の高額所得者は、世間に気兼ねなくその高額所得の恩恵を謳歌できるようになったようだ。経営者の所得とその企業で働く労働者の所得は逆転する事はまずないだろう。「高額納税者公示制度」の廃止により、経営者と労働者の意識にどのような変化が生じているのか興味がある問題だろう。経営者にとっても、労働者にとても、所得と労働は共通した関心事項だろう。それを相互に確認をする手だてが無くなった。倫理観という、高度な自己規定も経営者には必要だろうが、所得と労働という労使共通の評価尺度の存在は経営そのものの位置を同定する上でも重要だろう。
経営者の姿が社会から見えなくなっている事が気になっている。見えなければ興味も湧かない、うわさもできない、人物評価などさらに不可能だ。本書にも「ノブレス・オブリージュ」等の記事があるが、これも経営者だけでなく、社会の上層に立つ人物が社会に向かう心構えともとれる。つまるところ個人の規範意識になるだろう。社会現象的には経営者個人の規範意識すら崩壊しているようにみえる時世だ。ともかく、不祥事が起きた会社やその会社の経営者を語るのはうんざりだ。語るにも”ヨイショ”だけでは面白みもない。その点、司馬遷の史記のような「経営者列伝」のような書き方の方が読ませるのではないか。良いとこ取りだけしていたら何事も薄っぺらになってしまう。
実は、本書を手にした、別の理由として、日本の電力企業の経営者の身の振り方が気になっているいるのだ。電力業界もこれから激動の時代を迎えるだろう。どのような経営者が現れるのか。どのような経営者が望ましいのか。現在の経営者は忍者の如く、その姿も外からは見えにくい。経営者として、経営を傾けさせて、それを立ち直らせることができないのは最大の不覚と言えるだろう。
JCASTニュースは、「JAL植木新社長は「片岡千恵蔵」の息子 「飛行機を飛ばすという仕事が唯一の自慢だった」;url=http://www.j-cast.com/2012/01/17119092.html?p=all(2012/1/17 17:06 )」というタイトルで、「日本航空(jal20+ 件)は2012年1月17日、臨時取締役会を開き、植木義晴専務執行役員(59)を社長20+ 件に昇格させる人事を発表した。大西賢社長(56)は会長に、稲盛和夫会長(79)は名誉会長に就任する。新人事は、12年2月に開かれる臨時株主総会後の取締役会で正式決定する。 植木氏は1975年に航空大学校を卒業し、JALに入社。35年間にわたってパイロット畑を歩み、経営破たん直後の10年2月に執行役員運航本部長に就任。会長の稲盛氏が提唱した部門別採算制度を推進した。jal20+ 件社長にパイロット出身者が就任するのは初めて。~稲盛氏は13年1月で名誉会長と取締役を退任: 稲盛会長は、会長就任から丸3年が経つ13年1月で名誉会長と取締役を退任することを明言。この時期の社長20+ 件交代になった理由について、 「航空事業は、私のような外部の者では難しい。生え抜きの人で経営してもらうことが大事。早いかもしれないが、新しいjal20+ 件の執行体制をスムーズに運営できるように、1年間の助走期間を設けられるようにした」と説明した。」と報じた。
本書の「企業倫理に対峙する経営者」の項は参考になった。特に『「メンター」の存在』の部分。経営者の心の師は求めて得られる者でもないだろう。運命的な出会いかもしれない。その師と弟子は、お互いに心のアンテナを磨き、交流のチャンスが訪れるのを待っているのかも知れない。「メンター」についてはS.Jobsの伝記にも出てきた。創業者である経営者の間では「メンター」という同志愛的な絆が生まれるのかもしれない。企業内の潰し合いや出世競争という経営環境では「メンター」に出合う機会も少ないのではないか。その点上記の記事は再生中のJALに吹いた新しい風のように感じる。上記、JCASTニュースをもう一度読み直すと、稲盛和夫会長の出処進退の姿も浮かんでくる。経営再建には、ニッサン流もあればJAL流もある。ともかく沈没しつつある企業を浮上させるには、コスト的に身軽になるのも基本的な条件だが、それを可能にする条件を作り出す手腕が必要なのだろう。これは経営者のリーダーシップという便宜的な言葉では言い尽くせないようだ。経営者には全人格的な素質・能力・経験等の全ての要因が問われるのではないか。
本書をよみかじって、いつの間にか良い経営者、悪い経営者云々と考えていた。第5章は「経営者能力をどうはかる」。経営能力をズタズタに要素に分解して、それからあるべき経営者像を描き出してもヒューマノイドの空しさを感じるだけだ。経営者を選べない、作れない、評価できないという状況では名経営者は生まれてこないと諦めるべきか。経営者を広義にとれば、企業経営者だけではなく、各界の実権保有者、指導者とも重なる。これらの人物像にも経営者としての役割が求められている。経営者にはなろうとしてもなれるものでもない。今日は、経営者が余りにも内向きになりすぎ、萎縮し、事なかれ主義に徹してしまっているのではないか。実は、これは虚像かもしれない。大多数の中小企業のおちゃん的経営者は、生身を不況にさらしつつも、健全な精神を失っていないと思う。
経営の語源を調べたら以下のブログに出合った。長塚建築設計事務所ブログ((株)ナガツカ 代表取締役(1958年創業、2002年より世代交代し二代目社長))に、「経営とは?;http://jqa.cocolog-nifty.com/koga/2005/07/post_d8da.html#more(2005年7月 4日 (月))」というタイトルで、「語源「経」と「営」 「経之営之=これを経しこれを営す」 紀元前八世紀、周の国の詩人が、「祖先文王が霊台という祭壇を築いて、建国のシンボルとしたことを追想して霊台を経始し、これを経しこれを営す。庶民これをおさめ、日ならずして成る」と謳っているらしい。土木工事や建築を始める際、まず経と営という作業を行ったというのである。〔詩経・大雅・霊台〕~ 直線の区画を切るのを経といい、外がわをとり巻く区画をつけるのを営という。併せて、荒地を開拓して畑をくぎるのを「経営」といい、転じて、仕事を切り盛りするのを「経営」という。~」とある。
上記は抜粋だが、経営を語源に遡って理解する事も参考になる。WEB英英辞書(http://dictionary.reference.com/browse/manage?s=t)で「manage」を調べると「man?age
[man-ij] Show IPA verb, -aged, -ag?ing.
verb (used with object)
1.to bring about or succeed in accomplishing, sometimes despite difficulty or hardship: She managed to see the governor. How does she manage it on such a small income?
2.to take charge or care of: to manage my investments.
3.to dominate or influence (a person) by tact, flattery, or artifice: He manages the child with exemplary skill.
4.to handle, direct, govern, or control in action or use: She managed the boat efficiently.
5.to wield (a weapon, tool, etc.). 」とある。
難しい課題をなんとかやりくりして完成させたり、成功させるという基本的な意味が「manage」にある。「management」は「manage」の名詞だから、「manage」する事と明快である。どうも、日本人は、言葉も貰い物という事で、目先の目的に間に合えば良しとする風潮があるようだ。しかし、本当の経営者は、常にその初心を忘れずに、日々の問題、今後起こるかも知れない問題に立ち向かっているのではないか。3.11三大災害に際して、日本の国家経営者や超優良企業の経営者のふがいなさをなげいて昨年読みかじったのが以下の本。
「読みかじりの記:帝王学 「貞観政要」の読み方 山本七平 著 (1983年 日本経済新聞社)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/07/1983-5736.html」の記事を再読してみた。『帝王学 「貞観政要」の読み方』が書かれたのも、「経営者の条件」が書かれたのも、社会的な著しい不祥事が背景にある。古いが、『帝王学 「貞観政要」の読み方』の迫力を再認識。
追記(20141/13):
サイト内でキーワード「読みかじりの記」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%A8%98%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。