老人の寝言:日々迷想:世界の指導者よ、もう一度史記を読んだらいかがか;建国日 道理で店は 人だかり。
2015年2月12日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.0 15:01。最低気温(℃) -2.2 06:55。ざっそう句;建国日 道理で店は 人だかり。用事外出。ついでに買い物。毎日が日曜日で、曜日も祝祭日も気にならなくなった。今日はバカに客が多いナと思ったら建国記念日だった。有史以来、多くの国家が生まれ、消滅した。国家とは何か。司馬遷は親友の李陵が辺境にある強敵の匈奴の捕虜になったのを弁護して宮刑を受けた。宮刑とは国家の役人にとって最も屈辱的な罰だ。
2015年2月11日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 4.3 | NO DATA |
TMAX= | 10.7 | 最高気温(℃) 11.0 15:01 |
TMIN= | -2 | 最低気温(℃) -2.2 06:55 |
DIFF= | 12.7 | |
WMAX= | 3.5 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.7(東南東) 14:13 |
SUNS= | 10.1 | NO DATA |
RAIN= | 0 |
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老人の寝言:日々迷想:世界の指導者よ、もう一度史記を読んだらいかがか
当時の中国にとって、匈奴は恐るべきテロ国家。すきを狙って中国を攻撃し略奪を繰り返した。李陵は将軍として誰よりも、その匈奴の敵陣奥深くまで攻撃するというめざましい戦果をあげたが、最後に武器も兵士も尽きて匈奴の捕虜になった。これは国家にとって不名誉な事だったのか。司馬遷にとって理想的な将軍像とは、単に勇猛果敢で、武将として有能だけでは無く、将兵の心を読み、将兵と同じ物を食い、有言実行・率先垂範、将兵と運命すら共にするというまさに今日でもどんな指導者にも通用する姿だたようだ。司馬遷はそのような李陵を見殺しにできなかった。まさに、自分の生命をかけて李陵を弁護をしたのだ。匈奴の君主である単于;WIKIPEDIA「単于。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BA%8E)」;はその李陵の人となりを認めその女(ムスメ)を李陵に嫁がせたとの事だ。李陵は敵に寝返ったのか。自ら望んで敵の人質になったのか。司馬遷は生き恥をさらす宮刑を受けてでも、その事実を後世に伝えるために史記を書いたのだろう。司馬遷が伝えようとしたのは李陵の事だけでは無い。人間とは何かを考えよと重い自問を投げかけているようにも感じる。史記130巻を膨大な竹簡で綴ったそうだ。司馬遷が今に生きていたらこの世界を見てどんな史記を書くだろうか。