身辺雑記:田舎老人徒然草:昔の農家の思い出;秋の畑 雑草だけは 豊作だ。1509。
2015年9月5日(土)
昨日は晴れ一時曇り。最高気温(℃) 1.8 13:57。最低気温(℃) 21.6 06:00。ざっそう句;秋の畑 雑草だけは 豊作だ。草に埋もれた苗木を救出。台芽除去。その後、雑草の撤去。メヒシバ、ヒユ、アカザ、アメリカセンダングサ等。手強い雑草が元気良く伸びている。ピーマン、タカノツメは最後の収穫。どちらも雑草の中で赤くなっている。ミニトマトは茎葉の香りを楽しむだけ。ようやく、少しだけ秋野菜を作るスペースができた。コンーンとレタスを収穫して終了。昼過ぎ用事外出。
TAVE= | 26.2 | NO DATA |
TMAX= | 31.5 | 最高気温(℃) 31.8 13:57 |
TMIN= | 21.7 | 最低気温(℃) 21.6 06:00 |
DIFF= | 9.8 | NO DATA |
WMAX= | 3.7 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.0(北西) 10:14 |
SUNS= | 8.1 | NO DATA |
RAIN= | 0 | NO DATA |
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身辺雑記:田舎老人徒然草:昔の農家の思い出
昔の農家は、米麦、養蚕が中心だった。畑に植えていたのはほとんどが桑であった。野菜、雑穀等も作ったが、自給自足程度だった。経済成長が続いて、農家の経営も、小規模な多角経営から、大規模の専業化に向かった。
農業収入より勤め人になり給与をもらう方が有利で、生活も安定するので、農業が従になった農家が多いようだ。現在では兼業農家がほとんどで、専業農家は激減している。
外国から安い絹製品が入るようになり、養蚕が打撃を受けた。米麦も、色々規制があり、価格の低下や需要の低迷で、やがて採算が取れなくなった。米麦、養蚕の代わりに、いろいろな野菜を作って、市場で売っていた。トマトはハウス栽培ではなく、露地栽培だった。消毒にはボルドー液等を多用したのか、葉が白く見える事もあった。脇芽を摘むと臭ってくるトマト特有の臭いも懐かしい。
従って、父やその仲間は、野菜や花木の生産を検討したようだが、試行錯誤で終わったようだ。野菜では、ゴボウ、タマネギ、ネギ、ニラ、ホウレンソウ等を生産していた。ホウレンソウは、枯れ葉等を除去し、大きさを揃えて、重さを量り、稲わらで結束していた。当時は、ポリ袋は無かったようだ。
父の話が出ると、スモモの栽培の話も出てくる。自分はほとんど記憶がない。学生やサラリーマンの頃で、余り農業に関心がなかったようだ。父から、市場では「ミョウガ」を「バカ」と呼んでいたと聞いた事がある。値の乱高下が激しかったので、馬鹿値が付くことあったようだが、その逆で売るだけ損の時もあったようだ。「バカ」とは、市場関係者の隠語のようなものだったのかも知れない。「ミョウガ」の出荷にはギャンブル的な面白さがあったようだ。
最近では、「ミョウガ」の産地化・ブランド化で有利栽培をしている例もあるようだ。ミョウガ畑に、ケヤキの枯れ葉を敷くのを手伝った記憶もある。そのミョウガもほとんど手入れをしなかったので、絶滅寸前だ。畑の隅に僅かだけ残っている「ミョウガ」を掘り出して食べると昔の事を思い出してくる。