06A_方丈記

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2010年3月11日 (木)

方丈記切読10:いとしきもの

2010/3/11

方丈記切読10

「しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。すみかは則ち淨名居士のあとをけがせりといへども、たもつ所はわづかに周梨槃特が行にだも及ばず。もしこれ貧賤の報のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりてくるはせるか、その時こゝろ更に答ふることなし。たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。
「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。」

「月かげは   入る山の端も   つらかりき    たえぬひかりを   みるよしもがな」。月の姿も、山の

端にかかって、姿を消してしまうのもつらかった事よ。いつまでも、絶えることのない月影を見

られればよいのだが。それが、かなわぬというのが人生か。我が人生を振り返ったのか。方

丈記のあとがき。道を行うとは仏の道、仏道の修業の意味か。どうも、世間の事を気にして

いるようでもある。ともかく、方丈記を書き上げて、その達成感は十分あったように思われ

る。ところで長明さんこの後はどうしたのだろうか。鴨長明が亡くなる四年前に方丈記が成っ

た。以下のWIKIPEDIAの記事は参考になる。桑門蓮胤とは仏門に入った長明さん自身の事

だと分かった。

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以下WIKIPEDIAから引用(最終更新 2010年2月9日 (火) 14:39 ):鴨 長明(かもの ちょうめい、1155年(久寿2年) - 1216年7月26日(建保4年閏6月10日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人、随筆家である。俗名はかものながあきら。京都の生まれ。

賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。

出家の後、1212年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。
**************************************

2010年3月10日 (水)

方丈記切読9:いとしきもの

2010/3/10

方丈記切読9

「それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。』そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。』」

バラモン教には人生の四住期という考えがあるようだ。その第三が臨終期ではなく林住期。

馬鹿なATOK?ともかく隠棲の動機や効用も時代、国等により様々なようだ。今日、日本で

隠棲すれば死んだも同然になってしまうのではないか。実力を持ちながら惜しまれて引退に

は拍手を送りたい。働き盛りに数年間充電の為の隠棲。理想だ。ワークシェアにもなるので

は。仏陀の出家の動機は深い。覚りも深い。結局、仏陀はその悟りを広めるためにまた人界

に戻ってきた。四住期の最後が遊行期。WIKIPEDIAによると一定の住所をもたず乞食遊行

する時期とある。興味ある生き方だ。そういえば、終戦直後は乞食が家を回って来たのを覚

えている。腹一杯食っている訳ではないが祖母等は一握りの米を恵んでやった。確かに執着

心を絶てば怖い物も無くなるのだろう。今日はまわりは、怖い物ばかり。「乞食となれることを

はづといへども、」という一言に長明さんの自尊心がのぞく。しかし、無言で頭を垂れて、差し

出されたわずかな物を頂く姿には崇高ささえ感じるのが今日の実状だ。

2010年3月 9日 (火)

方丈記切読8:いとしきもの

2010/3/9

方丈記切読8

「もし貧しくして富める家の隣にをるものは、朝夕すぼき姿を耻ぢてへつらひつゝ出で入る妻子、僮僕のうらやめるさまを見るにも、富める家のひとのないがしろなるけしきを聞くにも、心念々にうごきて時としてやすからず。もしせばき地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝことなし。もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれがたし。いきほひあるものは貪欲ふかく、ひとり身なるものは人にかろしめらる。寶あればおそれ多く、貧しければなげき切なり。人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき。』」

長明さんの言うとおりである。これが長明さんの隠棲の動機かも知れない。しかし、これでも

長明さんの方丈記執筆の動機には迫れないように感じる。やはり、物を書くには誰かに向け

たメッセージがあるのだろう。

2010年3月 8日 (月)

方丈記切読7 :いとしきもの

2010/3/8

方丈記切読7 

「衣食のたぐひまたおなじ。藤のころも、麻のふすま、得るに隨ひてはだへをかくし。野邊のつばな、嶺の木の實、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじらはざれば、姿を耻づる悔もなし。かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。すべてかやうのこと、樂しく富める人に對していふにはあらず、たゞわが身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。
大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮雲になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。』」

衣食の事を自分の昔と今を比較している。それなのに、「樂しく富める人に對していふにはあ

らず、」と書いている。何か未練がありそうではある。捨てた物、去った事には確かに未練が

ある。でも、そういう有形・無形の財産があることも大切なのではないかと思う。ところで、「生

涯の望は、をりをりの美景にのこれり。」とはどういう事か。素晴らしい風景を見ると自分の生

涯を一望するかのようだと感じたということか。野望の望か展望の望か。やはり、自然界では

なく人界のようでもある。これを、重ねて観ているようでもある。

追記(2019/03/08):南方熊楠の英訳が下記リンク先にあった。

A Japanese Thoreau of the Twelfth Century (15):http://www.minakatella.net/letters/hojoki15.html

 
その英訳部分を以下に引用する

CHAPTER 15

About my clothing and food I have something to say. Wisteria cloth and hempen fabrics are enough to hide my nakedness, sprouts of Imperata grass and nuts picked up on the hills sumce to sustain my body. As I don't live in the world I need not care about my appearance; in the absence of luxuries even coarse fare is sweet. I do not address these observations to wealthy folk, I merely compare my former way of life with my present one. Since I got quit of society and forsook the world I know nothing of envy or fear. I commit my life to the care of Heaven, without regret and without anxiety. I liken my body to a cloud in the sky ; I neither put my trust in it nor despise it. All the joy of my existence is concentrated around the pillow which giveth me nightly rest, all the hope of my days I find in the beauties of nature that ever please my eyes .

2010年3月 7日 (日)

方丈記切読6:いとしきもの

2010/3/7

方丈記切読6

「假の庵もやゝふる屋となりて、軒にはくちばふかく、土居に苔むせり。おのづから事のたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、やごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり。我またかくのごとし。身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず。或は妻子眷屬のために作り、或は親昵朋友のために作る。或は主君、師匠および財寳、馬牛のためにさへこれをつくる。我今、身のためにむすべり、人のために作らず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。たとひ廣く作れりとも、誰をかやどし、誰をかすゑむ。』」

新築した仮の庵も古屋になった。ようやく、仮住まいにも慣れて、それが自分の生活になっ

た。都は人が多いだけ、変化も激しい。長明さんの生活は今日のスローライフそのものに見

える。少しは、やせ我慢、負け惜しみの感情も無くはないであろが。これもネットの古典通解

辞典を参照:がうなゴウナ (名)やどかり。寄居蟹。寄居虫。枕草子、十二「日ごろはがうなの

やうに人の家に尻をさし入れてなむさぶらふ」方丈記「がうなはちひさき貝を好む」 (Google

検索: がうな 古語 がうなはちひさき貝をこのむ に一致する日本語のページ 約 1,050 件中

1 - 20 件目 (0.34 秒) )。家を造る理由について、自分の身の丈に合った、ヤドカリの背中の

貝殻と同じで良いだろうと割り切った。「身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづ

かなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。」と達観したのだろう。確かに人の目を意識

してしまうとそこに、様々な見栄や葛藤が生じてしまう。逆に、長明さんは、どうだい都の衆

よ、おれの生活はうらやましくないかねと見栄をはっているようにも感じないでもない。

2010年3月 6日 (土)

方丈記切読5:いとしきもの

2010/3/6

方丈記切読5

「また麓に、一つの柴の庵あり。すなはちこの山もりが居る所なり。かしこに小童あり、時々來りてあひとぶらふ。もしつれづれなる時は、これを友としてあそびありく。かれは十六歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むることはこれおなじ。あるはつばなをぬき、いはなしをとる(りイ)。またぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田井に至りて、おちほを拾ひてほぐみをつくる。もし日うらゝかなれば、嶺によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み。木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地はぬしなければ、心を慰むるにさはりなし。あゆみわづらひなく、志遠くいたる時は、これより峯つゞき炭山を越え、笠取を過ぎて、岩間にまうで、或は石山ををがむ。もしは粟津の原を分けて、蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。歸るさには、をりにつけつゝ櫻をかり、紅葉をもとめ、わらびを折り、木の實を拾ひて、かつは佛に奉りかつは家づとにす。もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の聲に袖をうるほす。くさむらの螢は、遠く眞木の島の篝火にまがひ、曉の雨は、おのづから木の葉吹くあらしに似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたがひ、みねのかせきの近くなれたるにつけても、世にとほざかる程を知る。或は埋火をかきおこして、老の寐覺の友とす。おそろしき山ならねど、ふくろふの聲をあはれむにつけても、山中の景氣、折につけてつくることなし。いはむや深く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしもかぎるべからず。大かた此所に住みそめし時は、あからさまとおもひしかど、今ま(すイ)でに五とせを經たり。」

長明さん60才、還暦の年だ。山里の野外生活を描いている。山守がいる木小屋もあり、少

年達もいるので一緒に遊んだようだ。世間と完全に交流を絶った訳でもない。遊びつつ、山

で食料も採ってくる。この場面は一種の回想のようでもある。一々解釈しても面白くない。長

明さんの目を通して当時の長明さんの生活を追体験できればそれで良いのでは。山の頂上

は地主がいないので見晴らしの良い景勝地だが勝手にふるまえる。景色の展望だけでなく

人生の展望もある。「或は埋火をかきおこして、老の寐覺の友とす。」には老境の一人住まい

のわびしさをつい感じてしまう。あからさまとはほんの一時。仮の庵で一時のつもりで、ここに

住み始めたがもう五年も経ってしまった。こういう生活を長明さんも大いに気に入ったようだ。

2010年3月 4日 (木)

方丈記随読4C:いとしきもの

2010/3/4

方丈記随読4C

「その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。林軒近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山といふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。春は藤なみを見る、紫雲のごとくして西のかたに匂ふ。夏は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。秋は日ぐらしの聲耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。冬は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。もしねんぶつものうく、どきやうまめならざる時は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また耻づべき友もなし。殊更に無言をせざれども、ひとり居ればくごふををさめつべし。必ず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ何につけてか破らむ。もしあとの白波に身をよするあしたには、岡のやに行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、もし桂の風、葉をならすゆふべには、潯陽の江をおもひやりて、源都督(經信)のながれをならふ。もしあまりの興あれば、しばしば松のひゞきに秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。藝はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。』」

「觀念のたよりなきにしもあらず。」頼りなく感じないと言えば嘘になるかもしれないが、気にす

るほどでもないだろう。「夏は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。」カッコウの鳴

き声にも人生のはかなさを感じる。念仏を唱えたり、読経するのも気の向くまま。楽器を弾く

のも人に聞かせるのではなく、自分の感興に従うだけだ。色々な固有名詞が出てくる。教養

も単身生活の友になるのだろう。滿沙彌が風情:沙弥満誓「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ

漕ぎ行く船の跡の白波」。こういう前提があって描写が成り立つのか。ともかく、追求すれば

際限がない。自分の視線が止まった所だけでもよかろう。風流な生活のようだが、食生活は

どんなようすだったのか。

2010年3月 3日 (水)

方丈記随読4B:いとしきもの

2010/3/3

方丈記随読4B

「いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす。かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。」

方丈の付属設備、調度品、用具、日用品、趣味の用具などを記している。住居兼書斎兼寝

室等。ビジネスホテルの一室の様でもあり一通りの生活はこれで間に合ったのかもしれな

い。とこに敷いたつかなみとは何か。ネットの古典通解辞典を参照:つかなみ (名)「束並み」

の義。わらを畳ほどの広さに編んだ敷物。わらぐみ。方丈記「つかなみを敷きて夜の床とす」

ずばり。感謝。この一節は、高校の古文でならったかすかな記憶がある。世を捨てても神仏

は捨て切れぬ。ほどほどの孤独を思う。孤独も紛らわすものがあれば、捨てるほどでもない

のかも知れない。

2010年3月 2日 (火)

方丈記随読4A:いとしきもの

2010/3/2

方丈記随読4A

「こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。」

六十という余命わずかになって作った方丈(四畳半)の家。人生半ばの家の大きさの百分の

一以下であるという。盛年時には相当大きな家に住んでいたようだ。高さも七尺。地業も簡

便。インターネットにその復元図があり参考になった。瓦葺きの屋根では強度が足らないよう

に思われるが。「その家のありさまよのつねにも似ず」とあるので、相当コンパクトな家のよう

だ。さらに、それは気分により直ぐに余所に移動しやすいような組立式。「積むところわづか

に二輌なり。」とは何の意味かよくわからなかったが、車二台で引っ越しができる程度の部材

でできあがっている組立式住居のようだ。トレーラーハウスの前身だ。当時としては斬新なア

イデアであったようにも見える。要するに老境の住居は簡素で雨露がしのげれば十分だと割

り切ったかのようだ。「こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあ

り。」には長明さんの死生観・人生観が窺われる。

2010年2月28日 (日)

方丈記随読3:いとしきもの

2010/2/28

方丈記随読3

「それ 人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば愛せず、たゞ絲竹花月を友とせむにはしかじ。人の やつこ たるものは 賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。更には ごく み あはれぶといへども、やすく閑なるをば ねがはず、たゞ我が身を奴婢とするにはしかず。もし なすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、みづから歩む。くるしといへども、馬鞍牛車と心をなやますにはしか(二字似イ)ず。今ひと 身をわかちて。二つの用をなす。手のやつこ、足ののり物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふ とても たびたび過さず、ものうし とても 心をうごかすことなし。いかに いはむや、常にありき、常に働(動イ)くは、これ養生なるべし。なんぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますはまた罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。』」

人付き合い、友人論を述べているようだ。情があって、率直であるだけでは、わずらわしいだ

けで、愛せない。それより、友人は豊で丁寧だが気楽につき合えた方が良い。だが、気楽に

楽器や花鳥風月の自然を友とするに及ばない。あえて、乗り物等も気にしない。身体の調子

に合わせて歩き、手足をこまめにつかえば、養生にもなる。他人の力を借りずに、増して人

に迷惑もかけずに自力で生活するのが最高ではないか。自己流に読んでいるかも知れな

い。最近、自分も長明さんと同じ様な心境になってきたようにも思う。ちょっと出かけるとき

は、子供が通学に使った古自転車を使う。ちょっと、気分に応じて遠回りをする。面白い被写

体があるとデジカメでパチ。ここで、富めるとはどんな情景か。貧ならずという感じか。ともか

く、貧なる友には何かと気を使うだろう。高校時代に貧交行を学んだと思う。貧は富への上昇

のバネか。社会が階層化されてしまうと、人間のつき合いも何かと同一階層のつき合いが多

くなってしまうだろう。長明さんはどんな貧を見ていたのか。ところで、「人の やつこ たるも

のは 賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。」とはどういう意味か。長明さんの考え

か。しもべたちは信賞必罰に処し、恩賞の厚い者は重用すべきという事か。人とはしもべが

つかえる上位の人と解釈すれば、お上に使えるしもべたちは、賞罰も誰にでもわかるよう顕

著に行うことを歓迎し、恩賞も手厚く施したいものだと述べているのか。長明さんは自分を人

になぞらえているのかやつこになぞらえているのか。ともかく、賞罰・恩賞は人生の最後まで

つきまとうのは、昔も今も変わりがないようだ。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
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    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)