« 2010年1月 | メイン | 2010年3月 »

2010年2月

2010年2月18日 (木)

野外映画会:いとしきもの

2010/2/18

野外映画会

終戦直後は娯楽が乏しかった。遊びも遊んでくれる大人は少なく子供達が自分で遊んだ。従

って、能動的な要素が多い。娯楽を運んできてくれたのが紙芝居屋のおじさん。もう一つ、夏

の夜の野外映画会。白黒のチカチカする画像を地面に腰をおろして見た。何の映画かは完

全に忘れている。何かの機会にその映画は俺がやったのだよと聞いたことがある。当時は

4Hクラブ等で農村の文化向上をやろうとする機運が高まっていたようだ。県の関係部署に掛

け合って、バイクでフィルムを借りに行ったとの事である。振動でフィルムが傷まないようにそ

れを風呂敷に包んで背負ってきたらしい。当時の埃が立つ、じゃり道をバイクに乗ってフィル

ムを運ぶ姿を想像するとそれが映画の一幕のように思える。チカチカするのはそのフィルム

があちこちで何回も映写されたフィルムの小さな傷が原因だろう。映画館で映画を見たのは

小学校に入ってからであった。近所の広場で行われた野外映画会はそれとは別のなつかし

い記憶である。会社でも体育館であったか、映画会があったように思う。こちらも娯楽や福祉

の一環であったようだ。しかし、映画の衰退は進んだ。市内の映画館は全て閉館になり、ショ

ッピングモールにシネコンができてようやく、また映画が見られるようになった。たった一回、

懸賞で当たった券で映画を見た。入館者は数名。借り切りの状態であった。

2010年2月17日 (水)

成果主義

2010/2/17

成果主義

仕事の報酬の基準は何だろうかと考えることがある。肉体労働の場合はアウトプットがはっ

きり確認できる。従って、出来高払いの時は、報酬はアウトプット量X労働単価に比例するだ

ろう。時間給の場合は当然報酬は労働時間X労働時間単価ということになるだろう。給料をと

ろうとする労働者はどちらの支払い方式を選びたいと思うだろうか。能力があり意欲を持って

より多くの報酬を得たければ前者を選ぶだろう。しかし、多数の労働者を雇用していると、出

来高払いの労務管理は困難になるだろう。仕事によっては、雑に扱って報酬は多く払わざる

を得ないが、成果の質が劣ってしまう場合があろう。結局、長期的な雇用の場合、時間給を

基本として、アウトプットの質の面では賞与や手当で報いてきたと言うのが日本の労働慣習

であったようだ。ところが、景気の後退、需要の低迷等で企業の財務体質が弱くなり、人件費

コストを削減するために打ち出されたのが成果主義という労務政策であったのではないか。

肉体労働の場合は成果主義を掲げても異論は無いであろう。給料というインプットに比例し

たアウトプットがあるのは明らかだ。しかし、現在は間接労働、知的労働の時代になってしま

っている。労働のアウトプットがどこに、どのように出るのかさえ確定するのが困難な時代に

なっている。成果主義のお題目は目標を立てて、その目標の達成度により、人事評価をする

ことにあるようだ。結果として、長期的課題とか、困難な課題は目標から外されて、上司が評

価するであろう課題で、部下が達成できそうな課題だけが目標になりやすい傾向が生じてし

まった事例が多いようだ。ともかく、専門化して、部下の仕事を上司が適正に判断する事も難

しいのが実状である。上司が厳しく成果主義を徹底すれば部下は離反する。結局、なあな

あ、まあまあという煮え切らない状況となる。高度成長の時代は仕事は山ほどあった。残業、

休日出勤は当たり前であった。その中には無休の仕事もあった。手当を翌月に繰り越して

も、到底消化できる量ではなかったと思う人も多いのではなかったか。そのようにがむしゃら

に働いたのはどういう動機であったろうかと思う。その基本には仕事に対する愛着感と責任

感があったのではないか。やはり、仕事には大きな波がある、そのような時に出勤すれば、

いつか報いられることがあるかもしれないという期待感もあったかもしれない。仕事が無く、

自宅待機という苦しい時期もあった。成果主義も適正に運用されれば適正な成果が得られる

であろう。そのためには、労使が時間を掛けてその制度を企業文化になるまで磨き上げる必

要があるのだろう。

2010年2月16日 (火)

クレペリンテスト

2010/2/16

クレペリンテスト

人間色々なテストを受ける。評価を受けるのもそのテストを通してなされる場合が多い。従っ

て、評価されたければそのテストを受容しなければならない。そんな事を、幼少時代から延々

と老後まで続けるとテスト絶対感が完全に身に付いてしまう。ともかく、テストはテストの結果

がテストにかけたコスト・時間以下で収まるというテスト実施者側の都合が支配する。幼少の

頃、ひよこの雄と雌を選別する仕事がいい金になると聞いた事がある。養鶏用に生まれたひ

よこは雄であっても雌であってもどちらが幸せか分からない。雄雌の選別は幼鶏業者の都合

なのである。従って、現代社会でテストを受けようとする者も先刻実施者の低意を見抜く必要

があるのかもしれない。テストなど手段に過ぎないと。テストが必要悪になってしまう。かつ

て、小中学校の頃の市販の試験用紙の裏などに試験の目的などが印刷されていた事があっ

た。時間が残っている時はこれを読んでチェックした記憶がある。実際に試験問題を作り、実

施する人間は合格者を使う側でもなく、お雇いの人間がそれなりの意気込みでつくるのかも

しれないが、ときにはうんざりする場合もあるのではないかと思う。クレペリンテストという名前

を思い出した。多分人生の一時期に受けさせられたのではないか。はっきりした記憶は無

い。知能検査といってIQ値がもてはやされた時期もあったと思う。テスト偏重と市販テスト業

者との癒着等の反省から市販テストは禁止されたと記憶しているが、現在はどうなっている

のだろうか。ともかく、テストというとペーパーテストを思い浮かべてしまうが、実技、論文、創

作等ある人間の能力を評価する方法は無限にある。ペーパーテストの序列だけで人生の大

半が決まってしまうような社会には未来が無いのではないか。教育が資格という階段の登り

口である事に異論はないであろう。一度の人生において、誰にでも、希望するどのような職種

にも就ける機会を保証するような多様な資格制度が必要であろう。それも、鵜飼いの鵜が吐

き出した獲物を一回で評価するようでは当たりはずれが大きい。弁護士、医師等のあらゆる

資格は進級制にする。看護師から医師への職業経路も作る。そうすれば意欲がある人材は

看護師という資格から医師を目指すことが出来る。要は資格は絶対的ではない。資格者団

体は互いに棲み分けしているが、もはやそれだけでは社会は硬直化してしまうのではない

か。当然、資格審査は定期的・公的・公正に行う。各級の滞在上限期間も定める。医師不足

も弁護士過剰も制度設計が現状に合っていないのが一因であろう。人口が減少に向かう長

寿社会において、生涯学習・人材の流動性の確保とマルチタレント化は不可欠であろう。例

えば、医療過誤事件においては一級弁護士より、四級弁護士兼四級医師の方が良い仕事

ができるのではないか。自分の人生に意義のあるテストならば前向きに立ち向かうだろう。

専門家万能の時代になってしまったが、専門家がカバーできない部分に死角が出来てしま

う。裁判員制度はそういう制度的なほころびのつぎあての意味があるだろう。本来ならば、民

事事件を優先して実施すべきであったのではないか。裁判の究極的目的は事件の発生防止

ではなかろうか。民事事件は社会人の常識力が最も発揮できるだろう。当然、民事事件が減

れば刑事事件も減るだろう。ちなみに平成19年の新受訴訟件数は民事2256千件、刑事

1342千件とある。http://www.stat.go.jp/data/nenkan/zuhyou/y2512000.xls

2010年2月15日 (月)

宮仕え

2010/2/15

宮仕え

立派な所に伺候すれば、それを誇りに感じるのは人情かも知れない。威光の効用もあろう。

学歴なども同様な効果があるようだ。ともかく、人が見る目と自分が感じる事にはギャップが

あるのは不可避なのだろう。サラリーマンも役人も宮仕えの一種と言えるだろう。異動や業務

命令にはなかなか逆らいがたい。組織という物が一種の機械の如く動くのは、組織独特の

DNAが支配しているからなのだろう。自分も組織の異動命令を受けて、話を聞くと自分にとっ

ては新しい分野の仕事で、興味もあったので、それに同意した。しばらくは、当初通りの仕事

に従事した。しかし、その仕事もやがて終息に向かった。そうして、ある日、こういう仕事があ

るからやってくれないかと言われた。どうも、色々課題があり、棚上げされていた仕事が復活

して、そのおはちが自分にまわって来たようなのだった。この時はすまじきものは宮仕えとい

う言葉がこたえた。YESと言っても自分にできる仕事か、NOと言ったらどうなるのか。しばら

く、考える時間を頂きいやいやながらやりますと返事した。清水の舞台から飛び降りるような

悲壮感があった。正月頃の話で、ご馳走も喉を通らないような気分で相当に悩んだ末の結論

であった。当然、その後から、その仕事の経緯や詳細を知る事になるのだが、すでにその仕

事はやらざるを得ない状況になっていたようであった。結果から言うと、そのプロジェクトは成

功して、海外の顧客の若いエンジニアから望外の感謝のレターを頂いた。お互い若いエンジ

ニアとして大きな課題にチャレンジさせて頂き、その成功を分かち合えたのであった。時々、

あの時の異動の本命はこの店晒しされた仕事の処理にあったのだろうかと思うことがある。

2010年2月14日 (日)

Uターン退職

2010/2/14

Uターン退職

今日では勤務先を変えるのには余り抵抗がなくなったように思われる。無料の求人雑誌も多

数ある。公務員は原則公務以外の勤務は制限されている。民間会社も規定で他の仕事に従

事する事を制限している場合が多かったと思う。最近では、給料・労働時間等の都合で、本

業以外の仕事にも従事できるような制度を採用している会社もあるようだ。勤務形態が多様

化する事自体は好ましいことかもしれない。自分も部下を持つようになり、部下の退職に直

面した事がある。当時の退職の理由は、ほとんどが将来を考えると郷里にUターンをしたいと

いう事であった。技術の仕事はその担当者の能力等に依存する部分が多く、その人が居なく

なると色々な面に支障が生じる。従って、じっくり時間をかけて面談を繰り返しつつ慰留した。

業種、給料、処遇、適性、人生計画等色々相談した。結局会社としては引き留める事が

出来ないくらい本人の決意は固かった。部下も自分も退職についてしっかりした認識をもった

段階で退職書類を作成して人事に提出した。Uターン退職した本人も、強く慰留されながらそ

れを振り切って退職したので動機付けは強固になったと思う。退職後十数年経て二世が生ま

れたという年賀状をもらって、これで良かったと安心した。

2010年2月13日 (土)

永年勤続

2010/2/13

永年勤続

終身雇用制は崩壊してしまったのか。雇用も労働の切り売りに過ぎないとドライに考えること

も可能であろう。マルクスが労働に目をつけたのはやはり、イギリスや西欧の社会が解明・

解決すべき問題を孕んでいたからであろう。その問題は、余りにも本質的であったため全世

界を席巻した。進化という興味ある現象では、「サルが人間になるにあたっての労働の役割」

というエンゲルス著作も目を引いた。ともかく、青年時代は色々な事に関心があった。人はパ

ンのみに生きるにあらず。しかし、パンがなければ生きることはできない。パンがなければお

菓子を食べればよいというのが今日の状況なのかも知れない。高校の社会科目では世界史

を選択し、マリー・アントワネットの処刑等も学んだ。先生の脱線話だったかもしれない。とも

かく、自分の青年時代は労使の対立が激化していた。パイの奪い合いだったのか。いまでは

社会主義も資本主義も双子の兄弟のように見える。食料生産能力は人口を養うには十分以

上になった。終戦直後の空腹感からは解放された。それでももやもやした不満や不安が漂

う。当時は兄弟でも飯の奪い合いがあり、並んで飯を盛ってもらった。飯を公平に盛ってもら

った人が親に感謝する文章を読んだ記憶もある。何とか飯の心配が無くなり、借金で家を作

り、ようやくほっと一息ついた頃には既に勤続30年になっていた。そうして、その記念に夫婦

での旅行券が支給された。出不精で、夫婦だけで旅行に出かけた事もほとんど無かったの

で記憶に残る旅となった。贅沢な気分になったのは、観光地回りは相乗りの観光タクシーだ

ったが、相組が参加しなかったので借り切りになった事である。これも、会社に福利厚生に支

出するユトリがあったおかげかも知れない。その前年頃、上司の定年退職祝いを盛大に行っ

た。これも、会社や社会に活力があったからできた事であろう。しかし、勤続30年を祝って息

子が文房具セットを贈ってくれたのが何よりもうれしかった。それは、まだ使わずに引き出し

の中にしまってある。

2010年2月12日 (金)

雪なだれ

2010/2/12

雪なだれ

春先は雪なだれの警報がでる場合がある。アバランシェダイオードというデバイスの名前を

ふと思い出した。電圧を増加すると絶縁状態の半導体に急激に電流が流れる現象を利用し

ている。じっとしている雪が何かの原因で滑落する現象との類似もあるようだ。集積回路を設

計する場合、その動作が保証される電圧範囲がある。動作はするが、動作する性能を保証

されない灰色の領域も存在する。更に、これ以上電圧を印可すると破壊するという電圧もあ

る。これは最低値で規定される。即ち、この最大印可許容電圧以下ならば破壊しないことが

保証される。これは電圧をパラメータにしてデバイスを規定する方法である。かつては、この

ような規格を検討する会議に出席させられた記憶があるが、どのような会合かすっかり忘れ

ている。ともかく、業界に共通の規格の制定は、技術の進歩を促したと思う。例えば

2SA○○○○(○は算数字)という表記により、そのデバイスが特定できた。それは、デバイ

スの登録や命名規約というルールがあったから可能であったのだろう。集積回路の時代にな

ると、そのルールはメーカー独自の運用に委ねられているようだ。社会現象を見ていると、な

だれ現象のようにある方向に突き進んでしまう現象があるようだ。止まっている雪が滑落す

るのは、まさに止めている摩擦力が、重力に負けてしまうからであろう。報道でも雪なだれの

ような現象が起こってしまう。なぜなのだろうか。真実が分からないが、重要な事態が起こっ

ている事は分かる。知りたい人が多いだろうと数の尻押しに安易に乗ってしまうのか。要する

に、こういう状況の下に何らかの思惑で動いてしまうのではないか。まさに、報道のボルテー

ジが上がってしまうのである。しかし、報道機関の使命はわきまえて頂きたい。一瞬にして世

界を駆けめぐるのである。にわかにまき起こった自動車のリコール報道が気になり概要を調

査してみた。以下は国土交通省の自動車リコール等の検索で車メーカーのみで検索した結

果である。「1993年4月15日以降に届けられたリコール情報を検索できます。」とある。

http://www.mlit.go.jp/jidosha/carinf/rcl/recall.html

いすゞ自動車      該当する自動車リコール等情報は 495件です。
スズキ         該当する自動車リコール等情報は 165件です。
ダイハツ工業      該当する自動車リコール等情報は 115件です。
トヨタ自動車      該当する自動車リコール等情報は 502件です。
日産自動車       該当する自動車リコール等情報は 377件です。
日野自動車       該当する自動車リコール等情報は 283件です。
富士重工業       該当する自動車リコール等情報は 81件です。
本田技研工業      該当する自動車リコール等情報は 369件です。
マツダ         該当する自動車リコール等情報は 307件です。
三菱自動車工業     該当する自動車リコール等情報は 940件です。

リコール報道が増幅する背景には不満の蓄積もあるのかもしれない。企業の姿勢が問われ

ているという側面もあるだろう。リスク管理の難しさは確かにあるだろう。リスクを克服して更

に体質の強化につながる場合もあろう。自分として知りたいのはそういう赤裸々な現場の姿

であるのだが。尚、リコールの絶対数や単位生産台数当たりのリコール件数を求めてもメー

カー別の客観的な比較は困難かも知れない。本気に欠陥対策をすればリコール件数は増え

る。企業イメージを重視し、表見上のリコール件数を減らして消極的な対応をとる場合もある

だろう。真剣に品質向上に心がけた結果リコールが少ない場合もあろう。車載用の半導体を

検討したときは、走る・止まるという走行系については色々な議論をした事を思い出す。車載

ラジオが寒冷地で聞こえなくなっても大変だ。そう思いつつ、確たる基準がなかった。

2010年2月11日 (木)

切り捨ての時代

2010/2/11

切り捨ての時代

最近頻繁に携帯の2Gサービス終焉の通知が届く。3Gへの移行がその発端のようである。

数ヶ月前は本体は有償で何かの特典を付けて誘った。最近は本体は無料だという売りであ

る。納得できないのは顧客が規定外の解約をした場合、解約料をとるのに、通信サービス会

社が自己都合で2Gを勝手に止めて3Gへ移れという事である。自分の立場では2Gで十分で

あり、2Gの携帯の本体ががまだ使えるのにそれ以外の要因でゴミ同然になるという不条理

である。当然方式が変われば使えなくなるのは理解できるが、問題はその方式変更に要す

るコストの扱いである。ある時、電気量販店に行ったついでにその会社のブースで事情を聞

いた。若い女性が対応したが、応対はそれ相当の教育を受けているらしく、並の顧客では言

い負かされそうであった。別の店では、今なら乗り換えサービスでポイントを付けますという事

であった。当然別の通信サービス会社への乗り換えである。ところが、携帯電話サービスは

NTTが果たしているユニバーサルサービスとは別物で、業者のサービスに対する規制は弱

いようだ。従って、全ての顧客が必要とするサービスを提供する義務はなさそうだ。しかし、

公共の電波を私利の追求に使っているのである。最近は、有線電話を止めて、携帯一本の

生活をしている人も多くなっているのではないか。従って、携帯通信サービス会社も社会イ

ンフラを提供している事実には変わりがない。ともかく、苦情は言わせてもらった。しかし、3

月31日以後に通話出来なくなるとどうなるのか対応に迷っている。会社時代に携帯を持たな

い主義の部長さんがいたが、遂に持たざるを得なくなった。お互いに頼りすぎの時代になっ

た。携帯に追われる安心と不安。携帯を捨てれば何かが見えるというキャッチフレーズも面

白そうだ。一層のこと、頼りになる有線電話一本にして、携帯を切るか。ともかく有線電話が

あるという安心感は確かにある。携帯も過去から蓄積されてきたインフラを頼りにしているの

である。しかし、現在公衆電話を街角で探すのが困難になりつつある。地デジTVへの移行で

アナログTVが使えなくなるのもあと1年余りとなった。こちらも、情報インフラである。

http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20090508_168184.htmlによると、

「地デジ受信機普及率は60.7%。総務省調査 -沖縄は37.1%と地域差も。視聴可能世帯は

51.8%に」とあった。地デジTVを積極的に買う理由のない者にとって、強制的な追い立ては

納得がゆかないのではないか。強制的に情報インフラを奪われてしまうのである。ともかく、

官民とも弱い者への配慮や情報インフラ確保に対する危機感が希薄になっているように感じ

る。自分は地デジTV買わない宣言をしているので、アナログTVにチューナーを付けた耐貧

生活を楽しみにしているのであるが。 ともかく、アナログTVの終焉も、携帯の2G方式の終焉

も技術の進歩がもたらした画期的な出来事であるには違いない。しかし、従来技術で十分だ

と思っている人も少なからずいるであろう。その機器の使い回しを出来ない人も多いであろ

う。結果としては、切り捨てられた人には余分なコストの負担が、社会的には膨大な不要品

が生じてしまう。技術の進歩とは、白黒TVからNTSC方式のカラーTVへの移行のように既存

の機器や設備というインフラを継続使用できるような配慮まで含むべきではないかと思う。不

要な携帯からレアメタルをリサイクルするため、その携帯の供出を呼びかけるのも、全く無意

味ではなかろうが、一度この世に生まれた製品の寿命を全うしてもらうのが真の意味で最も

経済的ではないか。切り捨てられるのはご免こうむりたいのだが。

2010年2月10日 (水)

過剰包装

2010/2/10

過剰包装

昔は商品の包装は必要最小限の場合が多かったと思う。包装の機能は、商品を保護する

事、個別の物を一つにして扱いを容易にする事、商品の内容等を表示する事等が考えられ

る。印刷技術が進歩し、印刷コストが低下したためか、包装に印刷された商品が中身より数

段見事に見えてしまう場合もある。包装で消費者の購買欲を誘うとなると、それなりのコスト

をかけても見栄えのする包装を採用する場合もあるのだろう。引き物に使う商品は中身に到

達するまで数段の包装がある。段にそれなりの役割があると思われるが、一番奥に隠れ

ている本体以外は最終的には不要品として処分される運命になる。何かに使おうと取り置い

ても使い切れない。このような包装に要するコストに対するメリットの配分はどうなっているの

であろうか。中身と包装のコスト比率が気になる。集積回路の場合、チップを固定し収納する

構造をパッケージと呼んでいる。このパッケージにも大まかにセラミックと樹脂という二つの

種類があった。これは素材による分類であるが、民生品は樹脂パッケージが主流であった。

パッケージの性能よりもコストや生産性を優先している。現在は超優良企業となっている京セ

ラも、もともとは碍子等の電気用陶磁器のメーカーであったとの事である。セラミックパッケー

ジは主に集積回路の試作品に使用していた。パッケージと言えども侮り難い商品かもしれな

い。無数ともいえる包装の世界で、今後、省資源、低コスト、高性能を実現する包装後術が

現れる可能性があるのか。ちなみに、特許電子図書館での検索結果:

「「包装」に関する技術が 55331件 見つかりました。 ● 特許  ・・・  48968件 ● 実用新案

 ・・・  6363件」。これほど多くの出願があったとは驚きであった。

2010年2月 9日 (火)

製品の回路図

2010/2/9

製品の回路図

初期の電子機器(家電製品)にはその回路図が付いていた場合が多かったように記憶して

いる。テレビの回路図も真空管テレビ、トランジスタテレビは何とか回路図にたどり着けた。メ

ーカー別のテレビ回路図も市販されていた。電子機器がIC化されるにつれて、回路図だけで

なくブロック図さえも、もはや入手するのは困難になった。高度に集積化された結果、電子機

器はブラックボックス化してしまい、最早部品を交換して修理する時代が終わったかのようで

ある。思うに回路図を製品に添付していた時代は、その回路図を手がかりに、製品の修理が

行われ、修理で収入を得る修理業者も健在であったのだろう。故障で修理屋に持ち込まれ

た製品に回路図があれば、何とか修理が出来たのだろう。そのために必要な電気屋の三種

の神器であるオシロ、テスター、半田こても、何とかアマチュアにも手が届いた。今日の電子

機器では不良のICを特定してもそのICを購入し、差し替えるのも大変である。今日の電子機

器は使い捨ての構造と技術背景を背負っているようである。しかし、修理可能な製品も設計

次第では可能であろう。その典型は自動車であろう。車検という制度にも修理可能性という

前提があるだろう。IBM規格のデスクトップPCは取り替え可能なユニットにより構成される。

機械的・電気的仕様を規格しさえすれば、今日の技術で出来ないことはない。買い換えを

促すのは環境・景気対策という面が強調されるが、目先の対策に過ぎないだろう。家電製品

のブロックがパソコンのパーツのように互換性があれば、不良パーツの交換だけでも数十年

の使い回しが可能になるだろう。パーツの交換は切れた電球の交換と同じにように誰にでも

できるように設計する事も可能な筈だ。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2023  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)