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2010年2月

2010年2月 8日 (月)

取り扱い説明書

2010/2/8

取り扱い説明書

製品を買うと大抵取り扱い説明書が付いている。その最初に警告や注意事項が細かに記さ

れている場合が多い。その割には、製品自体の取り扱い方の記述がそっけない場合も多い

い。警告や注意事項は製品を安全に使い、所定の性能や信頼性を確保する為には必要不

可欠である。従って大きな文字を使ったり、絵記号の表示があり、最初に読ませようとする工

夫が見られる。昨年百円ショップで買った腕時計にも本体に非耐水という表示があり、取り扱

い説明書にもその旨注意が記載されていたので、それを承知で使っていたが、汗か水滴が

内部に進入したのか動かなくなった。残念ながら表示の通りの結果になったが、取り扱い説

明書は壊れたから補償せよと過大な要求を事前にくい止める役目を果たしているのは確か

であろう。自分も集積回路の仕様書を作成する時に、仕様上の注意点等を出来るだけ記載

するよう心がけた。製品には構造上強度と性能を両立させる事が困難な場合がある。例え

ば高S/Nが要求される初段アンプでは保護抵抗を挿入するとノイズ発生の原因となるので、

強度より性能を優先して保護抵抗を入れず、アンプの保護はアプリケーションに委ねる事に

する場合がある。こういう場合、弱点を積極的にセット設計をする顧客に知らせてセット設計

に対策を盛り込む必要がある。製品本体の機能が多くなると、取り扱い説明書の機能・操作

等の確認が必要になるが、警告や注意事項ほど丁寧に書かれていない場合もあるように思

われる。大抵、取り扱い説明書を作成するのは製品本体を設計した部署以外の部署が作成

すると思われる。従って、警告や注意という共通事項は最大限盛り込める内容を盛り込んで

置くので、製品の種類に拘わらず同じ様な重厚な文言になってしまうのかも知れない。○○

するなという警告や注意もその理由や、その警告や注意を怠った場合、どういう事態になる

かを分かりやすく明示していると有り難い。取り扱い説明書は物造りの最後の工程という位

置づけで作成して頂きたいと思う場合も少なくない。

2010年2月 7日 (日)

肥満の亡霊

2010/2/7

肥満の亡霊

丸裸ふるえて計るダイエット。人間が飢餓から解放されて、肥満が諸悪の根元と見なされる

ようになったのはつい最近の事のようだ。ルネッサンス頃の絵画には豊満な女性像が目立

つが、それが現実であったのか理想であったのか。最近の人間ドックでは復囲の測定が加

わり、そういう時代になったのかとあらためて感じた。昔も、ベルトの穴が一つ広がると寿命

が一年縮む等言われていたことがあったと思う。十数年前に革のベルトを新調してもらった。

幸いそのベルトは今も健在で、当時の囲を記憶している。それを見ると囲は縮減してい

る。当然身長も縮減している。しかし、現在の身長は何となく容認しがたいのである。BMIを

計算する時も縮む前の値を使っているので、結果としては良い値が出ていたと思う。ここ数

年、規則的に体重計に乗ってデータをとった。0.1kgまで測定できるデジタル式の体重計で

ある。ともかく、食事と体重の傾向をつかめたので、最近は気が向いたときに測定する程度

である。肥満と寿命の関係では、明らかにやせている人より、少し太り気味の人の方が寿命

が長いという傾向があるようだ。ちょい太が良いという言葉も時々耳にする。数値が一人歩き

すると、個々の個人の特殊性が無視されてしまう。疫学的な調査・研究も進められているの

で肥満と寿命の関係も、今後は更に解明されるかもしれない。しかし、統計データに一喜一

憂するよりも、自分の地道な健康管理が何よりも有効なのだろう。それが、肥満という亡霊に

悩まされない唯一の処方なのかもしれない。

2010年2月 6日 (土)

アメンボ

2010/2/6

アメンボ

水の上を歩く方法。右足が沈まないうちに左足を前に出す。他愛のない小話なのかもしれな

い。幼少時にアメンボが水面をすいすいと動くのを不思議に思った。それで、興味深く観察し

たのかもしれない。ふとその時の記憶がよみがえった。最近旅行でそのアメンボに出くわして

しばし見とれた。そう言えば、スウトメ(ミズスマシ)という水面を泳ぐ虫もいたと連想する。こち

らは足が見えないので余計不思議なような気もする。いずれも、沈まない理由は水の表面張

力と動物の構造がうまく適合しているからなのだろうとおもう。こんな、どうでもよいような事

を、忙しい時に思い出して時間を空費している。でも、前向きに考えれば、一瞬でも心のユト

リを持てと諭してくれているのかも知れない。自分の近辺にはまだこういう水棲生物がいるの

か。

2010年2月 5日 (金)

知力の時代

2010/2/5

知力の時代

昔の農民は俵一俵ぐらいはかつげる必要があったようだ。今、自分にその体力があるだろう

か。父が入院中、痛みを紛らわせるため手をさすってやっていた時、改めて手のごつさを感

じた。長い間の農業という仕事は体格までその仕事に合うように改造するものなのかもしれ

ない。近代工業は人間の機能の体力・筋力等の辛い労働を置き換える機械装置を生み出し

て、普及させた。順序から言えばその初期の頃はまだ労力を使う事もあったろうが、その範

囲も狭くなった。労働者も自分の体力ではなく、機械装置を操縦するという仕事に労力を提

供する事になる。体力は労働以外のスポーツ等の分野で使う意外に無くなった。体力の時代

から知力の時代に様変わりした。労働の形態としては体力+知力がバランスしていて、総合

的に人間の能力を発揮できるのが理想であろう。かつての会社では最初の頃の派遣社員は

女性で秘書や受付というような業務を担当していたと思う。時には、英文契約書の翻訳等を

頼んだ事があった。この職種は明らかに専門能力型になるだろう。労働者派遣は、1985年

の労働者派遣法制定時は、原則禁止で限定された職種のみで可能であったので、従業員の

ほとんどが派遣ではなかったと思う。その後、1999年改正、2003年改正と制度の規制緩和

が行われて、設計業務にも派遣労働者が進出してきた。自分の職場では派遣社員が回路設

計の一部を行っていた。そうして、派遣労働者の比率も上昇した。労働の成果を分け合うと

いう経済の基本原則から見ると、派遣業者もその成果の分け前を取るのだから、派遣労働

者のパイの配分は少なくなる。職制という経営管理の側面からも複雑性が持ち込まれたのも

事実であろう。しかし、余り表面化しないが深刻な問題は人間関係にあったのではないかと

思う。日本人は組織帰属型のメンタリティを持つ。同じ様な仕事を同じ場所でしていて、別の

組織に所属し、規律や賃金に相違がある。瞬間的にはうまく行っているかもしれないが、そ

のような状況が長期化するとどうなるのか。経済のグローバル化が進み、製造業も製造拠点

を海外に求めた。中には単なる製造ではなく知的作業が中心となる設計業務も海外で行うよ

うになった。所が、現地社員を採用して教育しても、技術を習得してしまうと更に条件の良い

企業に移動してしまうという話を聞いたことがある。知的能力は個人の資質や努力に負うとこ

ろも多いのである。派遣労働者は正規社員よりも労務を提供する会社への帰属意識は低い

だろう。まして、所属する派遣会社への帰属意識は低いのではないか。派遣社員が相対的

に増えれば、派遣社員を使う会社の正規社員は相対的に減少する。会社は少数精鋭の技

術者を育成すれば済むかも知れないが、それが継続的に可能なのか。技術者の資質・能力

も相当なスペクトル幅を持つ。技術への対応が遅れる毎に企業の活力が低減し衰退に向か

う懸念も無しとは言えないだろう。それが、日本全体の流れであるならば薄ら寒さを覚える。

一方、派遣社員は一般企業の正規社員以上に幅広い仕事をするチャンスに事欠かないであ

ろう。見方によれば、派遣先が金を払って専門教育をしてくれるような場合もあるかもしれな

い。そうして、派遣社員の能力が並の正規社員の能力を数段上回れば、新しい局面が開か

れるのでは無いか。知力の時代は技術者が会社を選ぶ時代の先駆けかもしれない。今、こ

こまで書いた内容をレビューすると用語の曖昧さに気付く。社員を英訳するとemployeeであ

り、被雇用者である。派遣社員も正規社員も被雇用者で労働者という身分なのである。あい

まいさは日本の伝統的な知恵なのかもしれないが、もたれあいを許し、不満を内向化させて

しまう。本当の知力とは何だろうか。

2010年2月 4日 (木)

捨てる技術

2010/2/4

捨てる技術

物余りの時代に入って、有限のスペースが一杯になれば、それ以上の物を入れるためには

何かを押し出さなければならない。これは、自明のように感じる。しかし、地球的規模で見れ

ば、あるところの物が他の場所に移っただけで増減はない。終戦後の物不足の時代に育っ

た自分にとっては、形があるものは何らかの価値があるように見えてそれを捨てるにはとま

どいがあるのは事実である。マニアの中には捨てられて残りにくい物を収集している人もいる

ようだ。ともかく、人間が作った物でも人間に見放されてしまうと消滅の運命に直面する。そ

のなかで、一番哀れなのは自分の寿命の一部を裂いて作った物(情報も含まれる)であろ

う。これは大抵同じ物が二つとない。そんな訳で子供の作った工作や絵はできるだけ残して

おこうとしている。その作った本人がそんな物は残さないでくれと言われるとジレンマに陥る。

作られた作品は単なる物ではなく、貴重な時間を費やしている証拠物件でもある。物を大切

にする事はそれに要したエネルギーX時間の価値を認識する事に結びつくと思うのである。

大量に作られる工業製品も農産物も芸術作品もすべてエネルギーX時間という価値を背負っ

ているのである。人間の寿命の上限が120才位とすると、約100万時間に相当する。有効に

使える時間はその1/3程度で約30万時間が上限ではないか。自分が作った資料を入れた

USBメモリーを紛失してそれが時間の缶詰のような感じがして残念に思った。しかし、片づけ

物をしている時に、散らばっているがらくたの中から出てきた。これにはホッとした。がらくた

と一緒にくず箱に直行していた可能性もあった。幸い、そのスペースは自分の聖域で捨てる

技術も貧弱であった。捨てる技術より、探す技術、使い回す技術の方が自分の性分に合って

いるような気がする。それにも限度があるのだが。ともかく捨てる技術云々という本が脚光を

あびるのは、一種の文明の病理現象のようにも思える。そもそも一部の物を除いて、使用済

みのものの行き先が決められないまま先に作った者勝ちの世界が現在も続いているのであ

る。残念だが、不要になり排出された物の処分にもエネルギーX時間というコストがかかる事

である。

2010年2月 3日 (水)

けんかのやり方

2010/2/3

けんかのやり方

平和の時代にはけんかという行為は何かと疎んじられている。父は勝てば官軍負ければ賊

軍という言葉を漏らすことが良くあった。自分はその言葉に反発を覚えた。しかし、物事の実

態を見るとそれは否定しがたい真理性をおびていたのも事実である。一番単純なけんかは

物の奪い合いだろう。もののやり取りということになるとそこにルールが現れる。結局ルール

のない争いをけんかと言うのかもしれない。昭和という時代にはデモ、ストライキ、学園闘争と

いう社会的な闘争も頻発した。これも一種のけんかかもしれない。そう言えば、けんかのやり

かたについての本もあったような気もする。調べて見ると、太田薫元総評議長の著書にけん

かのやり方と言うのがあった。自分にもけんかの思い出がいくつかある。一つは少年時代の

けんかである。原因はすっかり忘れている。大抵はおとなしくふるまっていたが、なにかのき

っかけで取っ組み合いのけんかになり、殴り合ったり、ひっかき合ったりして鼻血も出した。

子供心にも危機感を感じたけんかで、ようやく五分五分の引き分けで終わった。相手が自分

より強いと思っていたので意外な結果でもあった。本気でやれば強いのかもしれないと思っ

たことであろう。もう一つは社会人になってからの仕事上のけんかである。これもその原因が

よく思い出せない。要するに技術者の信念が衝突した結果がけんかの原因だったかもしれな

い。結構激しく対立したが、大人の分別が働き、けんかが何の役にも立たないことをお互い

身にしみたのか、その後はつき合いが親密になったような気もした。そうして、連名で特許を

出願した事もあったように記憶している。この特許の実用化も量産の前にで没になったが、

けんかとは別の判断の結果であった。太田薫氏と言えば太田ラッパという言葉も思い出し

た。ともかく、衆人の見守る中で正々堂々とけんかをやるのもけんかの基本ルールのように

思える。ところが、最近はだれが、どこで、本気でけんかしているのか見えにくくなっているよ

うな気もする。人間も社会も大人になりすぎたのか。確かに、けんかには若気の至りという側

面もあるのだが。時と場合によってはアドレナリンが分泌する程度のけんかはお互いの脳を

活性化して、けんかの後はその始末をするような努力も生じる。けんかにもプラスの側面が

ある。こういう、人間が長い生存闘争という中で獲得したけんかの効用を封印するのもなに

か勿体ないような気もする。

2010年2月 2日 (火)

マスキー法。20100202。

2010/2/2

マスキー法

自動車はその便利さと引き替えに多くのマイナス面を持っている。そのマイナス面は車の数

が大きくなるほど顕著になる。多分、そのような背景から法律的な対応がとられたのが、米

国のマスキー法であったようだ。WIKIPEDIAによると「マスキー法(Muskie Act)とは、米国で

1970年12月に改定された大気汚染防止のための法律の通称。アメリカの上院議員、エドム

ンド・マスキーの提案によるためこの通称で呼ばれる。 正式には大気浄化法改正案第二章

と言う。 特に、自動車の排気ガス規制に関してこの用語は引き合いに出されることが多い。」

とある。そうして「そのため、自動車メーカー側からの反発も激しく、実施期限を待たずして74

年に廃案となってしまった。しかしながら、排気ガス規制自体は徐々に進み、1995年にはマ

スキー法で定められた基準に達した。」この時、アメリカは革新的な政策をとったと感心した

ように思う。日本でこのマスキー法に最も敏感に対応したのはアメリカに車を輸出している車

のメーカーであったと思う。必死にマスキー法の基準を達成するための技術開発が行われた

ようだ。ただ、国民の多くは大気汚染は遠いアメリカのことのように思っていたように感じる。

ともかく、アメリカは典型的な自動車国家でもある。その自動車を走らせる石油も国策の中

心にある。しかし、国家の支柱であった巨大な車メーカーも哀れな姿になっている。CO2とい

う目に見えないガスが国家にも車メーカーにも重くのしかかっている。石油に長期間執着す

ればするほどその跳ね返りが大きくなる。ここで国や車メーカーがどんなハンドルさばきをす

るか目を離せない。地球温暖化を示すデータを意図的に操作したという一種の地球温暖化

データ偽装というニュースが流れてうんざりした。ともかく、何か事態がが動けばそれを狙っ

たビジネスが始まる。情報操作でそのビジネスのうまみを先取りしようという輩もいるだろう。

環境ビジネスにも虚々実々の駆け引きが横行する。個人も企業も国家も環境という甲羅を背

負っている。それは知っていても本当に自分の背中を直視できるのか。

追記(2020/04/21):ランキング6位。古い記事だが読者がいたようだ。Google検索ではヒットせず。サイト内検索で探したのか。タイトルに日付を追加。

2010年2月 1日 (月)

法務

2010/2/1

法務

何か理工系の人間には縁が無く近寄りがたいイメージを法務という言葉に抱く。しかし、一時

は弱い者の側に立つ弁護士という職業にもあこがれた事もあった。会社では生涯現役で技

術の仕事が出来ればと望んでいた。外国では生涯技術者という人も多いようだ。日本の場合

は経験を積んで部下を持つ頃になると管理職となり日々の雑用に追われるようになるのが

一般的だ。そうしてついに役職定年の年齢になると肩書きだけは残してもらえるが、部下は

いなくなってしまう。自分が法務、知財の人たちと本格的におつき合いを始めたのが丁度そ

の頃であった。契約についても基本のきの字も分かっていなかった。ともかく、契約案を検討

し、法務にコメントを求める。いつも適切なコメントを頂いた。要は法務の面からはアドバイス

をするが、契約の具体的な内容までは深入りしない場合が多かった。実はその法務担当は

自分が入社した頃、技術者として製品開発に従事していた。何と自分がその先輩が作成した

試作品を回路技術者の卵として評価した事があった。その先輩は他の事業所へ異動となり、

それ以来交渉が無かったが奇しくも再びお世話になる事になった。おつき合いをするうちに、

法務という固いイメージの下に技術者精神を秘めていたのではないかと思った。その気持ち

は良く分かる。元技術者としては現役技術者にチャレンジに値する課題をテーマに挑戦して

貰いたいという気持ちはいつも持っているだろう。もはや技術の現場を直接動かすことはで

きない。しかし、より高度の面から技術の現場を指導する事は可能だ。更に言えば、やって

はならない事とやらなければならない事を指摘せねばならないという辛く・厳しい役割もある。

いつもニコニコしていられる立場ではない。ある時、その先輩から電話を受けた。烈火の如

きお叱りであった。いつもはメールで済んでいた事であるが、こんな重要な事をメールで済ま

せてはならない。直ぐに来いという内容であった。開発部門としては無理しても危なそうな仕

事に飛び付く事がある。実際は既に飛び付いていたのだ。万一の場合を想定するとリスクを

伴う仕事にはそのリスクへの対応をしなければならない事は当然なのだが、そのチェックを

通り抜けて事が進んでしまう場合がある。ともかく、あの激怒に押されて、事業部門も体制を

整える方向に向かった。今日、民生品といえども、生命や財産に大きな影響を与える製品が

多い。法務としては製造責任(PL法)というシグナルが閃いたのではないかと思った。若い技

術者はそこまで配慮できる経験がない。苦い失敗をした技術者はそれを積極的に次世代に

引き継ごうともしないし、それをさせる体制も整っていない。そういう、ややもすれば見逃され

る問題がすき間を通り抜けて市場で問題が起こるのも事実であろう。そのような問題の解決

は最早個人に任せる訳には行かない。そう言う点でISOとかQSは一定の効果があるのでは

ないかと思う。トヨタはQS以上に品質に厳しいからQSの認証は受けず自社スタンダードで行

っているという話を聞いたことがある。第三者機関の監査を受けるという事はそこにフィード

バックが入るという事でもあろう。ともかくISOとかQSもトップのが主導し、トップが判断・実行

するという西欧流スタンダードが建前である。トヨタ車のリコールのニュースを聞いて昔の事

を思い出した。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)