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2010年3月

2010年3月31日 (水)

ぼけの花:いとしきもの

2010/3/31

ぼけの花

乙女子(おとめご)の唇に似たるぼけの花春の岡べに二つ三つ咲く

昭和萬葉集3巻。四季の移ろい 春の花々区分にあった短歌である。パラパラとページをめく

っていると西田幾多郎という人名が目に飛び込んできた。そうして、先ず思い出したのが善

の研究という書名。高校の時であったか、口角泡を飛ばしこの書物を語った先生がいた。

『善の研究』が出版されたのが1911年であり、既に当時でも半世紀も前の事であった。とも

かく、難解というより、何となく寄りつきたくない雰囲気を感じた学者であり、書物であった。少

し読みかじった記憶はあるが、その効用はあったのだろうかと思う。しかし、若いときは色々

難解な事物にチャレンジするのもトレーニングとしては良いのかも知れない。哲学という言葉

も人それぞれで、それこそ、そのスペクトル幅が広い。自分としては哲学とはあらゆる学問の

基礎と捉えていたのであろう。従って、実際の学問を合理的に理解できない哲学には余り興

味を覚えなかった。学問というより寧ろ科学と言った方が良いかもしれない。科学も結局、言

葉というシンボルに頼っている部分がある。しかし、そのシンボルを使わない限り理解できな

い対象がある。そういうシンボルは異なる個人が共有することにより、より確実な知識の獲得

に到る。一方、現象の表現はその対極を行くのではないか。表現は自分一人だけの感性が

物を言うのであろう。そう思うと、冒頭の短歌は何か哲学者西田幾多郎ではなく、西田幾多

郎とい一個人の心情を詠ったもので、何か新しい発見をしたようなときめきを覚えた。おそら

く、難渋する学問からちょっと退いて春の情景に身を任せた時に詠んだように思われる一首

である。歌集から掲載されたのはたった一首で、選者の目に留まった一首でもあったのだろ

う。ところで、春の岡べとはどんなところであろうか。幼少の頃、小川のほとりのしげみにぼけ

の花が咲いていたのをみたような記憶がある。別名をシドミと言うらしい。子供達はシドメと呼

んでいた。最近は、小さな雑木の生えているしげみを見る機会も少ない。西田幾多郎が見た

岡べも人家からそれほど離れた所ではなっかたように感じる。そんな所に、ふと足をとめると

ぼけの花が二三咲いている。ほーと、乙女子(おとめご)の唇を連想する。読む方は、哲学者

西田幾多郎からイメージを連想する。半ば、哲学者西田幾多郎を否定しつつ観賞するとなん

となく、人間西田幾多郎を身近に感じる。

2010年3月30日 (火)

挽歌:いとしきもの

2010/3/30

挽歌

今あらば君が片頬(かたほ)も染めぬべく山荘の炉の火の燃ゆる時

昭和萬葉集3巻。遺詠と挽歌、与謝野寛の死という区分にあった短歌である。歌人与謝野晶

子の歌である。君死に給うことなかれ等有名な歌は高校で学んだ記憶がある。第三巻には

昭和十年前後の歌が載っている。個々の歌には歌を詠んだ人の心情が明瞭に残り、作者名

を付記する気持ちになれない歌が多い。冒頭の歌はなぜか締め付けられるような心情から

解き放たれたような安心感を感じた。昭和十年代は丁度、父母の青年期と重なる。昭和萬葉

集を手にしたのは父母と自分の青年期を重ねてみようとしていたのかも知れない。ざっと、歌

を拾い読みすると迫り来る戦争という暗い気分が支配しているのを最初に感じてしまう。戦争

が一種の社会病理現象のように思えてしまう。東北地方の冷害、貧困、失業等々今日も同じ

事を続けているようでもある。しかし、最近は戦前の昭和にも明るい物、評価できる物、評価

すべき事があるのではないかと思う。そんな中で、冒頭の与謝野晶子の歌は亡き夫の事を

詠んだ歌なのだろが、不思議と暗さを感じずに、むしろほんのりとした明るさと暖かさを感じ

る。こういう挽歌は学校では教えないのであろうが、読む人の心に響くであろう。山荘の炉の

火の燃ゆる時は現在の事なのか。もはやかなわぬ未来の事か。暖炉の火の明かりは君の

片頬(かたほ)をゆらゆらと赤くそめてくれるだろう。今あなたがそこにいてくれれば。実は山

荘の炉の火の燃ゆる時はもう無いと知りつつ、今あなたがそこにいてくれれば、暖炉の火の

明かりは君の片頬(かたほ)をゆらゆらと赤くそめてくれるだろう、そうあって欲しいという心情

を歌ったのであろう。染めるとは動詞であるが、何が主語なのか漠然としている。むしろ、論

理や文法を乗り越えなければ不可能な表現もあるのかも知れない。君が片頬(かたほ)も染

めぬべくとは意味が深いように感じる。今あなたがいれば、山荘の炉で火を燃やして、あなた

の片頬(かたほ)をゆらゆらと赤くそめてやりたいともとれる。やはり、詮索より観賞が先なの

であろう。大学生の時、与謝野晶子の旧姓は鳳というんだと講義の合間の雑談で先生から

聞いた事を思い出した。鳳・テブナンの法則の説明の時であったと思う。実社会に出て、トラ

ンジスターの等価回路の計算をする時にお世話になった法則でもあった。調べてみると、日

本で鳳・テブナンの法則を証明したのが鳳秀太郎(東京大学工学部教授で与謝野晶子の実

兄)であるとの事である。

2010年3月29日 (月)

離農:いとしきもの

2010/3/29

離農

農捨てて街に出でむと妻に言ふすでに幾度も言ひたる言葉

昭和萬葉集14巻。きびしい農業、離農・過疎という区分にあった短歌である。最近になって

気まぐれに短歌を読むようになった。ある時代を生きた人がその時代をどのように生きたか

を知る手がかりになるからである。詠むとなるとまた別の心情が生まれるのであろう。そこに

はそれなりのエネルギーの集中が必要なのだ。詠んだ人の心情を読んだ人が感じるという

部分にも短歌の持つ性格があるのだろう。心情の表出から更に伝えたいという気持ちも生ま

れる。丁度、自分が社会に出ようとした頃作られた短歌であろう。一巻の中には二三千首程

の短歌が掲載されていると思うが、その一つ一つに切ない心情を感じてしまう。思うに農はい

つの時代にも厳しさがあった。自分も、農に生まれ育ったが、結果として自分も農を捨てた。

そうして、人生の大半を農以外で過ごして、また農に戻ってきた。ともかく何で飯を食うかが

目先の問題であった。振り返ると自分も、父招く青空大学断念し理文も捨てて工を学びし、と

いう状況であり、冒頭の歌が切なく感じるのである。一度、農を捨てて、齢60才頃に帰農して

も、後継者も無ければ前途も知れている。そう言えば、当時の美濃部都知事が都庁を去るに

際して、陶淵明の帰去来の辞を引用したのを思い出した。歸去來兮(かへりなんいざ),田園

將(まさ)に蕪(あ)れなんとす,胡(なん)ぞ歸らざる。当時は革新都政に何か輝かしいものを

感じた。しかし、何事も輝かしさは時と共に失われてしまう。終戦前後は食糧難の時代であっ

た。現在はどうか。食料が余っていても、食に窮する人がいる。いくら時代が変わっても、本

来の農・田園はどんな人間でも受け入れてくれるもののようにも思われる。また、そう願う。そ

こには生物(生命)の再生原理があるから。

2010年3月28日 (日)

文革:いとしきもの

2010/3/28

文革

革命者毛沢東も老い太りよたよたとして壇を降りゆく

昭和萬葉集14巻。世界の中の日本・激動の中国という区分にあった短歌である。確かに昭

和40年前後は中国も大きく揺れていた。今振り返ると、その振動のエネルギー源は終戦後

に生まれた当時の青少年であったろう。その世代が今日の中国を作り上げてきたと言っても

過言ではないだろ。近代中国を産み育ててきた毛沢東。詰め襟の人民服を着た大きな写真

を思い出す。この歌の作者はこの歴史上の巨大な人物を革命家と言わずに革命者と呼ん

だ。それにより、全ての神話から離脱した一人の毛沢東老人の姿を一枚の写真に収めたよ

うな作品になったようだ。文化大革命では紅衛兵が毛沢東語録という小冊子を掲げて気勢を

上げている姿も度々報道されていた。そういえば、ともかく中国をもっと知ろうという気持ちも

生じて、北京週報を購読した事を思い出した。インターネットで検索すると「『北京週報日本語

版』は、1958年、故・周恩来首相の提案により創刊された海外向け週刊誌で、中国の最新

情報を知るための窓口となってきた。」と北京週報ネット版が伝えていた。ネット版では発掘さ

れた曹操墓の真偽の論争等が伝えられており時代の変化を感じた。ともかく文化革命は文

化という帽子をかぶっているが革命は当然それ以外の目的もあったであろうが、これが中国

を成熟した国家・社会に鍛え直す機会でもあったと思われる。愚公移山という言葉を度々聞

いたのもこの頃ではなかったかと思う。調べてみると、愚公が通行に不便な山を箕で移し始

めたのが齢90才の時。これを見ていた天帝がこの山を移した寓話とある。誰にでも、実現不

可能に見える事でも、それは決して不可能なことではない。それを先ず始めようではないかと

いうメッセージとして意味があるだろう。中国革命の指導者はその革命の完全な成就には愚

公移山の精神が必要である事を見抜いていたのかもしれない。中国の歴史を見るとそのス

ケールの大きさを感じてしまう。文革の評価は非常に難しいだろう。WIKIPEDIAに詳細な記

述があった。ともかく、文革は否定するも肯定するも、それが現代の歴史の一局面であること

には変わりがない。日本もその文革の波が及んできていたのだ。

2010年3月27日 (土)

シノ:いとしきもの

2010/3/27

雑草句録:シノ

■シノ堀りの余禄に一つふきのとう

篠は種類や条件によるが、地下10~30㎝位に地下茎が這う。畑に篠が畑に進入を始める

時は篠の基地から、畑に向かって地下茎が伸びる。考えてみれば当たり前である。その地

下茎の節目の10~20毎に篠の芽が付いている。時には地上に芽や茎がが出て、一直線に

並んでいるのに気付く。しかし、その下に地下茎が伸びている事にはつい気が回らない。篠

を駆除しようとしたらその基地を叩くのが基本なのであろうが、手遅れになると地下茎は四方

八方に張り巡らされてしまう。結局、地面に出た篠を掘り上げるというモグラ叩きとと同じ戦法

になってしまう。少なくとも基地からの補給路を断てば少しは時間稼ぎが出来るのではない

か。我が畑にはあちこち篠の基地ができてしまった。回路技術者だったが、篠の根っとわーく

の凄さにはついつい気付かなかった。地下茎の先端が人に見えない間にどんどん伸びてい

る。篠はそこに養分(エネルギー)を注ぎ込む。そこが、篠が生き残るためのフロンティアなの

だ。そんなことを考えつつソニーのネットワークカンパニーという呼び名を思い出した。ソニー

もネットワークに何か思い入れがあったようだ。立って生きるより這ってでも生きる。篠もした

たかな戦略を見つけたようだ。ともかく篠の根っとわーくには養分と情報が流れている筈だ。

篠に勝つか負けるか。こちらも戦略を練るが抜本的な手がない。文字通り、「抜本」で根を掘

るのが最終解かもしれない。当分は、程々につき合いう以外にない。刈り取った篠や枯れた

雑草の茎の処分に困った。燃やそうと思ったが、それをマルチ材にしたら使えそうだというア

イデアがひらめいた。苗の下に敷いて、乾燥と雑草の繁茂を防止するのに使う。腐れば肥料

になる筈だ。「豆を煮るに豆殻をもってす」という故事もあるようだ。深い意味もあるようだが、

即物的に考えると、捨ててしまう豆殻も豆を煮るために使える。これこそ究極のエコかもしれ

ない。一方、豆を人間に例えると苛烈なる人事の世界を覗くような気もする。ともかく、いやな

篠にも、農作業上の用途があるならば、他人から受ける変なプレッシャーも軽減できるので

はないか。

Shino-bamboo: Beloved Ones

2010/3/27

2010/6/11 English Version

雑草句録(Weedy Haiku Records):シノ(Shino-bamboo)

Japanese         ■シノ堀りの 余禄に一つ ふきのとう

Pronunciation  ●Shino-hori no  yoroku ni hitotu  fuki-no-tou

English

▲Digging out deeply

    Shino-bamboo  roots,

    A butterbur sprout, luky present.

**************************************

It's a hevy work to dig out deep roots of Shino,in a cold day of early sprig. 

But,a butterbur sprout edible wild plant found in the work,  dissolves the fatigues.

2010年3月26日 (金)

兵器:いとしきもの

2010/3/26

兵器

ベトコンの使ふ兵器と知りてよりやや救はれて遅く夜業す

昭和萬葉集14巻。仕事の歌・工場にてという区分にあった短歌である。自分が学業に勤しん

でいた頃、工場で仕事に励んでいた人が作った短歌である。兵器は向けられる方角でその

性格が逆転してしまう。自分が作っている物が兵器であると知っても自分の仕事に家族の生

活がかかっているとなると矛盾を感じつつその仕事を去ることができない。そんな中で作られ

た短歌ではなかろうか。盾も矛も武器だ。守るにも攻めるにも矛盾が伴う。自分が社会に出

た頃は冷戦の時代、共産主義と自由主義の対立の時代でもあった。武器・兵器の輸入・輸

出も厳しい規制があった。完成した兵器だけでなく、その素材や部品も規制の対象となった。

企業では輸出管理が徹底された。特に汎用性のある集積回路は兵器への転用も容易であ

るので気を使った。ひょっとすると自分が関係した集積回路が兵器に転用されているかもし

れないと思うと心安らかではなかった。当時から既に半世紀が過ぎた。共産主義も自由主義

も絶対でもなく万全でもない事が明らかになった。しかし、各国のもつミサイル等の兵器の向

けられる方角は余り変わっていないのではないか。もはや、兵器を向ける方角が定まらない

テロとの戦いが大義名分になってもいる。最近、北朝鮮への贅沢品の輸出違反に関するニ

ュースを聞いたような記憶がある。小さなニュースで気にもかけなかった。輸出規制も何らか

の効果を狙っているだろうが、贅沢品の輸出規制が大局的にどの程度の効果を持つものか

不思議に思った。困れば内政でも贅沢品は制限されるのだから。何かしっくりしない手詰まり

感を覚えた。確かに、食料等の人道支援の対極にあるのは理解できるが。振り返ると、日本

でも輸入贅沢品を買うのを楽しみに仕事に励んだ人が多くいたのではないだろうか。

2010年3月25日 (木)

薬莢:いとしきもの

2010/3/25

薬莢

ベトナムを撃つ薬莢の一つと知れ何をなしえん薬莢をつくる

昭和萬葉集14巻。中継基地・日本という区分にあった短歌である。戦争に正義はあるのか。

敗戦から復興するきっかけに米軍の特需があった。自分が学生時代にベトナム戦争があっ

た。日本だけではなく、アメリカでも反戦運動は盛り上がり、一つの世界的な流れになった。

ベトナムではありとあらゆる兵器が使われたようだ。ABCのAを除いて。さすがに核兵器は

非人道的過ぎるし、それを再び使用したら、いかなる理由があろうと、いかなる国も正義や倫

理が崩壊した国として世界中から見放されるのではないか。しかし、核兵器を持っているとい

う既得権は今も健在である。従って核兵器保有国への仲間入りの動きも健在する。ジラード

事件では生活の足しにするため、米軍の演習基地で薬莢拾いをしていた主婦が米兵に射殺

された。今なお、米軍基地の問題が続いている。一方米国ではまだ兵役がある。ベトナム戦

争で兵役を拒否した若者は一般社会から厳しい視線を受けたようだ。兵士の無差別射殺事

件も聞く。米国でも兵役は若者に重くのしかかっている筈だ。商用で韓国から来た客と話した

時、兵役の話しが出たことがあった。韓国ではまだ兵役があるのですか~云々。庶民として

は、薬莢を拾い、薬莢を作る事からも逃れることは難しい。それが不条理だとは知りつつ。

2010年3月24日 (水)

地震予知:いとしきもの

2010/3/24

地震予知

リスクマネージメントという言葉も最近はかなり一般化してきて、聞く機会も多くなった。ところ

が、この言葉を日本語に直すとどうなるの心許ない。危機管理という事か。危機にも色々な

要因がある。危機管理の要諦は先ず危機の存在、発生を認識することから始まるのであろ

う。方丈記の災害関係の記述を見ると、大火災に関しては出火場所を伝えている。これを発

展させれば防災意識につながってくるのであろう。地震、竜巻に関しては天災でなす術が無

かったようだ。日本は地震大国という事で、地震対策は経験と実力があると胸を張っている

ようだ。必ず起こると予想されている東海地震にどう対応するかも色々議論されているよう

だ。かつては地震予知の研究が色々行われてきたようだ。しかし、地震は確率現象でいつど

こで起こるかは事前に予知する事は不可能であるという結論に達したようだ。現象という点で

起こることを阻止することは出来ない。それならば、起こった場合どうするか。施策の重心が

地震発生後の対策の準備に向けられるようになったようだ。これに伴い、地震予知という科

学研究への熱意が冷めていると指摘もあるようだ。建築物件の耐震強度の基準が強化さ

れ、日本の建築物の耐震性能が向上しているのは間違いないであろう。数年前には耐震強

度偽装問題が発覚して、その余波で更に規制が強化され、最近建築設計業者のぼやきを耳

にした。これは社会的偶然。石原純はその科学史の中で、日本が最も早く西洋科学を取り入

れて、先進国を凌駕するようになった科学分野に地震学があったと指摘している。その背景

に明治12年の横浜地震、明治24年の濃尾大地震(これを機会に震災予防調査会が設立さ

れた)、大正12年の関東大震災があったと記す。科学の発展にも社会的な要因が作用して

いる。東京帝国大学の地震学教授の大森房吉は震災予防調査会の第一の目的に、「地震

を予知する何らかの手段があるか否かを研究すること」と述べていると記している。第二の

目的は防災の科学である。これが、日本の地震学のDNAではないだろうか。そういう点で

は、科学的な地震予知理論を創出する事が日本に課せられた使命なのかも知れない。当

然、こういう理論はプレートテクトニクスという理論の枠組みを更に精緻にするものだろう。日

本人の得意な分野ではないか。上田 誠也氏の「地震予知研究の歴史と現状」は大変参考

になった。しかし、現実を知ると残念でもある。日の丸は一本にすると親方日の丸になってし

まう。何本か立てて切磋琢磨した方がよさそうだ。VAN法には興味を覚えた。やはり、科学

は何か分からないXを追求するところに原点があるのだろう。地震を引き起こす刺激(予知

原因)エネルギーと地震が引き起こすエネルギーの比は予想できないほど大きくなるかも知

れない。地震の種を知りたい。単純な好奇心でもある。地震も集団と見れば確率現象であろ

うが、個々に見ればそれは歴史現象になるだろう。種は外から来るのか。少しずつ成長する

のか。横綱級の地震は個別に歴史(予兆を含めた過渡現象)的に研究する価値があるだろ

う。2010年 2月27日15時34分頃(日本時間)起きた チリ中部沿岸のマグニチュード8.8の地

震では津波警報が出されたが避難状況に課題が指摘された。要は情報の発信側と受け取り

側の行動にギャップが生じた。こういう問題は科学では処理できない。しかし、津波警報は地

震予知に通じるのであろう。ところで、今回の地震に予知の手がかりとなる予兆があったの

か興味がある。

2010年3月23日 (火)

誤動作:いとしきもの

2010/3/23

誤動作

何気なく聞いて、余り深く原因を考えない言葉に暴走という言葉がある。自分にとって関心が

あったのがオートマ車の暴走という問題もその一つであった。一時は新聞でも取り上げられ

たと思うが、既に20~30年前頃の事だったと思う。既にこの頃から車にマイクロプロセッサー

が搭載され始めていたのではないかと思う。コンピュータの番犬という題でウオッチドックタイ

マーICの事を書いたのを思い出した。気になったのは車の暴走とマイクロプロセッサーの動

作に何か関係があったかどうかであった。電子機器が動作する環境と言う点では、車の走る

環境は屋内機器の動作する環境より相当厳しい。特にエンジンルームの中は電気的(静電

気、サージ電圧)、機械的(振動)、化学的(バッテリー液、化学変化)、物理的(周囲温度)等

色々なストレスが満ちている。集積回路の信頼性に関しては色々な試験が行われるが、それ

も万全ではないだろう。部品屋は部品単体の信頼性は何とか調べる事は可能であるが、シ

ステム全体の信頼性は調べることは不可能である。一般的には、それは装置メーカーの仕

事になる。一般的に、欠陥はバスタブ型の曲線を示すと言われる。システムの稼働初期と末

期にには欠陥が大きくなる。稼働初期の欠陥は除去されない欠陥の顕在化による要因が多

い。従ってその原因を除去すればその後の欠陥は低下して安定期に入る。稼働初期の欠陥

は部品の摩耗等による寿命が顕在化した場合が多い。いわば、ストレスの蓄積によって機

能が損なわれて起きる。最近車のリコールの報道が続いている。イベントレコーダーが搭載

されている車があるようだ。これには興味がある。しかし、個人情報云々でそのデータの取り

扱いが微妙なように思われる。しかし、イベントレコーダー搭載の事実を顧客に告知もせず

に、メーカー側が顧客に無断で、クレーム時に解析するとなるとこれにも疑問が生じる。航空

機のブラックボックスのような取り扱いになるのであろうか。ともかくシステムに問題がないと

するのならばそれを証明する必要もあるだろう。イベントレコーダーはその時どんな役割を果

たすのであろうか。そもそもイベントレコーダーは安全基準として設置義務があるのか。実務

で再現の難しい誤動作の存在を体験した。メーカー側のサンプリング的な検証をすり抜ける

誤動作も、実社会における膨大な台数X時間X動作環境という空間では確実に起こっている

場合もあり得る。常識的だが完全な機械(構造物)はないという認識を持つ事が必要だ。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)