雑草句録:ヒエ
2010/10/31
雑草句録:ヒエ
■休耕や菜種まきたりヒエの後
小さな田圃には、大きな農業機械が入らないので休耕にしている。そこにヒエがはえる。そのヒエも秋には枯れる。景観植物として秋にナタネを播いた。種子は春に咲いた畑の菜の花から採取しておく。来年はこの田圃をどうしようかとふと思った。里芋でも作って見ようか。
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2010/10/31
雑草句録:ヒエ
■休耕や菜種まきたりヒエの後
小さな田圃には、大きな農業機械が入らないので休耕にしている。そこにヒエがはえる。そのヒエも秋には枯れる。景観植物として秋にナタネを播いた。種子は春に咲いた畑の菜の花から採取しておく。来年はこの田圃をどうしようかとふと思った。里芋でも作って見ようか。
2010/10/30
雑草句録:月明かり
■月明かりアマランサスを刈りにけり
アマランサスを栽培して収穫したときの一句。実が付いている穂の部分だけを収穫して、それから乾燥、脱粒等の作業に進む。月明かりでアマランサスを収穫した事も忘れていた。アマランサス栽培も結局失敗に終わったが、BLOG掲載まで一つの体験で幾つもの作業が出来てぼけ防止には有効だったかもしれない。記憶の固定に役立つだろう。前向きに考えよう。
2010/10/29
雑草句録:雑草の山
■雑草の山を集めて堆肥とす
昔は雑草も何らかの役にたっていたようだが、今日では何のプラス要因もないように見える。しかし、見方を変えれば雑草が生えている事はそこに自然の循環が成立している事でもある。雑草を山積みすれば、やがてそれが腐り植物の栄養源になる。苗を植えるとき、植穴に灌水するのがベストであるが、水の手配が困難な時もある。そんな時、付近の雑草を根本に敷いてやると雑草マルチになり、根本の乾燥を防止してくれる。その後は、腐敗して肥料になるのだから考えようによると、雑草様々だ。
2010/10/28
雑草句録:外来種
■手抜きして領地とられる外来種
畑の雑草とどのようにつき合うかは常に頭を悩ます課題である。野菜は大変そうだから果樹を植えようと決めたが、果樹も最初は苗から育てる。その果樹苗作りはほとんどが専門業者が受け持っている。ともかく苗木を植えなければ始まらない。やむを得ず雑草対策の手抜きをすると、植栽のないスペースには外来種の雑草がはびこる。果樹も苗の頃は野菜と同じようにデリケートであった。何本苗を枯らせたことか。しかし、多少雑草の被害が出てもスタートが肝心と割り切る。
2010/1027
雑草句録:温暖化
■温暖化ミカン産地は北上す
地球温暖化が人間が新たに排出したCO2による温室効果が原因か今ひとつはっきりしない。自然の要因で短期的な温暖化が発生した事も完全に否定されていない。ともかく、ミクロ的には温暖化の傾向があるのは事実である。
そこで、温暖化はピンチなのかチャンスなのか。温暖化をチャンスに捉えて呼び込みを始めている面もある。ミカンの産地が北上するというのも、現在の傾向が続くと仮定しているという条件付きだろう。
ところで、今年の猛暑はこの温暖化の流れの中の現象なのか。これも、定かでない。今年のコメの品質は猛暑の影響で二等、三等、又は等外が多かったと報じられている。
あまりの暑さで、夜間温度も高く、稲が作った澱粉等のエネルギー成分は、種子の充実に廻されずに、稲自体の生存維持に消耗された結果だと近所の稲作農家の話を最近聞いた。稲の品種も気候条件、栽培条件、収量、食味等に合わせて開発されているので、相対的には変化に弱くなっているのかもしれない。
2010/10/26
雑草句録:岩の原のぶどう
■岩の原ワイン新酒の試し飲み
もう、農事の団体旅行の事はすっかり忘れている。ワインの試しのみやワイナリーの見学もしたはずだ。それも忘れかけている。
岩の原葡萄園のホームページに「1890年(明治23年)、新潟のここ上越市で、日本のワインとぶどうの父「川上善兵衛」は、岩の原葡萄園をひらきました。国産ワインの歴史に多くの足跡を残し、幾多のワインコンクールで受賞の栄誉に輝いてきた「岩の原ワイン」の始まりでした。」ここで、おみやげを買ったかは覚えていないが、その農園を開拓した「川上善兵衛」の伝記本は買った記憶がある。
ざっと拾い読みしたと思うが、その本はどこかに埋もれてしまっている。明治初期の日本へのぶどう導入についても色々なドラマがあったと感じる。そのなかでキャンベル・アーリーという品種も出てきたので、検索してみたら久保郷土文化館というホームページhttp://www6.ocn.ne.jp/~kubo386/kannda.htmで「葡萄の先覚者神田善太郎(広島)」が紹介されていた。リンゴ、ブドウ等の本格的な日本への導入は明治に入ってからのようで、農芸部門にも西洋の影響が顕著になってきたようだ。
果樹等は永年作物というらしい。実が生るまでに数年かかる。それを一つの事業にまで育てるには気の長くなるほどの時間がかかる。その地域にあった作物を作るのがあらゆる面で最善だが、情報やノウハウが無ければ、全てゼロからの積み上げだけが結果を決める。果樹そのものもDNAが大きな要因を占めるが、栽培の歴史の中にそれに拘わってきた人々のDNAが刻み込まれている。果樹の魅力と言えるだろう。
2010/10/25
雑草句録:牧牛
■牧牛は家に帰りて草青し
これは、夏場だけ育牛農家から牛を預かり、放牧する牧場の風景。牧場の牛は、秋には飼い主の所に帰り青草が牧場の一面を覆っていた。牛もこのような広い牧場で過ごせばストレスを感じずに済むのかもしれない。
しかし、最近はトレーサビリティというやかましい問題もある。いつか見た牛の耳には、その牛の個体認識を示すカードが取り付けられていた。これには牛もやりきれないのではないか。不届きな業者の尻拭いを罪もない牛がさせられている。目には目、歯には歯。偽装業者に耳鑑がつけられれば、牛も納得するだろうが。
トレーサビリティには狂牛病対策等への対応もあるようだが、プリオンが畜牛に感染するのは飼料を通してであろう。飼料のトレーサビリティはどうなっているのであろうか。
2010/10/24
雑草句録:栗の実
■拾いたる栗の実はまだそこにあり
栗の実を食べるのは手間がかかる。栗拾いしても食べずに終わった事が多い。しかし、食べ始めると止められない。やはり、素朴なうまさがあるようだ。今年は猛暑続きで、栗の木の澱粉合成が盛んであったのか、相当大きな実がなった。その実を久しぶりに食べた。実が大きければ皮を剥く手間も相対的に小さくなる。来年の栗の実のなり具合をしっかり確かめたい。
2010/10/23
雑草句録:カラタチ
■カラタチのひそかに落ちし実を拾う
カラタチの歌にはなつかしい響きがある。昔の生活にはどこかでカラタチとの接点があったのではないかと思う。我が家のカラタチはミカン苗が枯れて、その第二の人生としてミカンの台木が育ったものだ。道路沿いの生垣の一部を形成するがこのカラタチに気付いている人がどのくらいいるのだろうか。最近、この丸い実は何と聞かれてちょっとうれしい気がした。
010/10/22
雑草句録:運動会
■高齢化運動会も衣替え
町内運動会もけが人が出たりして運動というよりレクレーション的なイベントに衣替えした。ともかく、町内イベントが完全に無くなると同じ町内の住人でも顔も知らないという事に生りかねないのが現代社会の一面だ。昔は、住民の問題は住民が相談して解決するという事が多かった。現代はその多くの部分を市や行政が受け持つ。住民はお客様になってしまった。